Caresse 愛撫

Caresse 愛撫





ホント、すぐわかるんだよね。
岩城さんがなんか、難しいことを考えてるときって。
仕事絡みのときとは、ぜんぜん顔つきが違うから。

人生とは、とか。

他人を信じるとは、とか。

そういう哲学みたいな命題を、真摯に、真剣に考え始めるんだ。
思いもよらない、ふとしたきっかけで。
悩んでる・・・のとは、ちょっと違うんだと思うよ。
あの官能的な唇をきゅっと、真一文字に結んで。
ソファに深く腰かけて、微動だにせずに。
傍にいる俺のこと、忘れてるんじゃないかな。

鼻腔をくすぐる、炒りたてのコーヒーの香り。
マグカップを突き出して、俺はそっと呼んだ。

「ねえ、岩城さん」

こういうとき、なんて言うんだろうね。
思考に耽ってる岩城さんの、邪魔をしたいわけじゃないんだ。
すっきりした横顔のラインに、ぼんやり見惚れたり。
研ぎ澄まされた美貌に、あらためて驚嘆したり。
俺は俺なりに、ふたりでいる沈黙を、楽しんでるつもり。

・・・なんだけど。

でも、ちょっと寂しくなるときもある。
思いっきり拗ねて甘えてみせようかな、なんてさ。
そんなガキみたいなことを、思いついたりする。
幾つになっても、俺はそういうとこ、我慢がきかないんだ。

「ねえ、岩城さんてば?」

美味しいコーヒーなのに、冷めちゃうよ。
って本当は、そんなの口実なんだけど。
俺はもう一度、そっと岩城さんを呼んでみた。

「ねえ、岩城さん?」
「・・・えっ!?」
「なんか、考えごとしてたでしょ?」
「あ、ああ、すまん。呼んでたか?」
「うん」

しまったって表情で、岩城さんが顔をしかめる。
去年、ささいなことがきっかけで喧嘩してから、岩城さんはこういうことに敏感だ。
俺と一緒にいるときは、最大限に俺に気を遣ってくれる。
自分のことは後回しで、俺を甘やかしてくれる。

・・・嬉しいんだけど、ちょっと胸が痛い。

「すまない、ちょっとな」
「なに考えてたの? 眉間にしわ、寄せちゃって」
「いや・・・」

あのな、と岩城さんはゆっくり言った。

「人生は終着駅のない旅だって、喩えがあるだろう」
「うん、そうだね」
「じゃあ俺は、どうなんだと思ったんだ」
「・・・なんで?」
「なんでって、お前のいるところが、その・・・」
「ああ!」

ちょっとだけ困ったように、俺を見上げる岩城さん。
そんなに、気にしないでいいのに。
俺はできるだけ優しく、笑ってみせた。

「俺が、終着駅だからって意味?」
「・・・ああ」

岩城さんが、ほんのりと頬を染めた。
俺が言い当てたのが嬉しくて、でもちょっと照れくさくて。
ごまかすみたいに、ちょっと瞬きをする。

・・・この人はどうして、こんなに可愛いんだろう。

「岩城さんの場合は、たまたまさ?」
「うん?」
「出発駅と終着駅が同じだった、ってことじゃない?」
「なんだ、それは」
「だってさ」

うふふ、と含み笑いをこぼして、俺は岩城さんを抱き寄せた。
抵抗しない。
するわけない、しなやかな身体。
ほんわりと肌の香りが漂って、くらくらする。
すっぽり俺の両腕に包まれて、岩城さんが俺を見つめた。
きらめく漆黒の、澄んだ瞳。

・・・ああ、なんて綺麗なんだろう。

「俺が岩城さんの最初で、最後の恋の相手だもん」
「だもん、って・・・」

とびっきり甘い低音で、俺はきめてみせたつもり。
・・・なんだけど、ねえ。
岩城さんは可笑しそうに、小さく首を振った。
おかしいよね。
端正な美貌の、すっきりした色男なのに。
こういうときの岩城さんは、少女みたいに可愛らしい。

「いいじゃん。なんの問題もないでしょ」
「え?」
「俺と二人で、人生の終着駅ってやつを目指せばいいんだからさ」
「・・・ああ、そうか・・・」
「でしょ?」

一瞬ちょっと、びっくりしたみたいに目を見開いて。
それから岩城さんは、腑に落ちたって顔で頷いた。
まるで大輪の花が綻ぶような、そんな眩しさ。

「そういうこと!」

俺はそれだけで、めいっぱいの幸せを実感する。
岩城さんの慈しむような笑顔。
一点の曇りもない、まったき愛情。
そのすべてを注がれていることが、俺の心を熱くする。

俺の腕の中の、まごうことなき奇跡。
俺の命。
俺の天使。
ほかには何も、要らない。

岩城さんが、じっと俺を見つめる。
ひたむきな眼差しが、俺の心の奥底を覗き込む。

きれいだよ。
きれいだよ。
本当に、誰よりもいちばんきれいだよ。

「ちょっと、岩城さん」
「え・・・?」
「なんか、また余計なこと考えてない?」
「・・・うん。まぁ、昔のことを、ちょっと」
「昔のこと、ねえ」

俺と出会う前のこと、なんだろうな。
岩城さんにとってそれは、不都合な事実だから。
汚点だって感じていて、できれば消し去りたいって思ってるから。
俺だって同じもの、背負ってるんだけどね。
岩城さんにとっては、どうしても違うらしい。
忘れられればいちばんいいんだけど、そうもいかない。

そういうときの岩城さんは、ほんの少しだけ哀しい。
きれいな顔を曇らせて、辛そうに俺を見る。

「香藤・・・」

でも俺は、何も言わない。
俺がなにを言っても、過去を書き換えることはできないから。
どう取り繕っても、事実は事実だから。
だからこうやって、俺は岩城さんをしっかり抱きしめる。
千回でも万回でも、愛してるって言い続ける。

「岩城さん、疲れてるんじゃないのかな」
「・・・そうかな」
「振り返っちゃう時って、そういうもんだと思うよ」
「うん・・・」

俺がなにを考えてるのか、わかるんだろう。
俺が何を言いたくて、でも言わずにいるかも。
岩城さんは首を振ると、ちらりと、いたずらっ子みたいな笑顔を見せた。

「だいたい、誰のせいで疲れてると思ってるんだ?」
「あれー?」

さらりと、予定調和の切り返し。
こういうとき、夫婦だなあって思う。
落ち込むときも、からかうときも、さじ加減がわかるんだ。
お互いに心地のいい着地点が、切り上げ時が、ちゃんと見えてるんだよね。

・・・長年連れ添った今だから、言えることなんだけど。

「しょうがないでしょ。俺、岩城さんにベタ惚れなんだもん」
「・・・ファンが見たら泣くぞ、その緩んだ顔」
「大丈夫、見せないから!」

俺の得意満面に、岩城さんは呆れた顔をしてみせた。
なんていうんだろう。
穏やかな、滲むような笑顔。
無防備な、100%素顔の岩城京介。
子供みたいに安心して、身体を預けてくれる。

・・・愛されてるよね、俺。

「それよりさ、俺の誕生日なんだし」
「なんだ、その、なんだしってのは?」
「せっかく休みを取ってくれたんだから、お礼をね!」

そろそろ、オトナの時間だしね。
岩城さんの期待に応えるべく、俺はゆっくりと立ち上がった。
胸にしっかり、美貌の姫君を抱き上げながら。
俺だけをまっすぐに愛してくれる、俺だけの麗人。

「・・・疲れてるんだぞ、俺は」
「うん、ちょっとだけにしとくよ」
「お前にちょっとって言われても、信じられないな」

少し眉をひそめて、岩城さんが俺を見上げた。
クールな言葉とは裏腹の、潤んだまなざし。
そこには、火照り始めた情熱が見えた。
艶やかな笑みが、こぼれ落ちる。

ああ、本当に綺麗だ。
10年経っても、何よりも俺を酔わせる恋人。
最高に幸せな気分で、俺は岩城さんの額にキスをした。

「・・・まあ、いいか・・・」

甘いかすれ声が、そっと俺の名前を呼んだ。





藤乃めい
8 June 2008

香藤くんも、なんと33歳。
相変わらず可愛い部分もあるけれど、本当にオトナになりました。
スケールの大きい、ぞくぞくするほどのいい男。
岩城さんを守り支える、その自信でよりいっそう輝いている。
貴方の笑顔が、岩城さんの幸せのすべてだと思います(笑)。
これからも、いつまでも最高の男前でいてください。
お誕生日、本当におめでとうございます!
なお、この作品は、弓さんの『C'est une vie merveilleuse』への対歌、
もしくは返歌(みたいなもの)です。
そちらと併せて、読んでいただければ幸いです。
ついでに小鳥さんも、お誕生日おめでとう♪


2013年9月2日、サイト引越にともない再掲載。初稿を若干修正しています。