Hymne a l'amour 愛の讃歌

※この話は、弓さん(Lovesymbol)の 「ものや思ふと」 (2008年岩城さんお誕生日SS)と対になっています。連動企画なので、そちらを先に読んでくださいね。



Hymne a l'amour 愛の讃歌





香藤洋二様



おまえの手紙は今日、金子さんが届けてくれた。
実を言うと、おまえのことだから、俺の誕生日に日本にいない埋め合わせに、何か仕掛けをしているんだろうと思っていた。
何が起こるのか、だから楽しみにしていた。


だけど、こういう正攻法は正直、考えていなかったよ。
本当にありがとう。
嬉しかった。
白状すると、こみ上げるものを堪えるのが大変だった。
金子さんの前で開封しなくてよかったと、ほっとしたくらいだ。
みっともないところを、見せてしまっただろうからな。


今、自分の部屋でひとり机に向かって、あらためておまえのことを考えている。
(使っているのは、何年か前に兄にもらった万年筆だ。覚えているだろう。こういう機会でもないと、使わないものだな。)


おまえと出会って10年、俺はずっと幸せだった。
今更そう口にするのが面映いくらい、おまえの愛情に包まれて暮らすのが、あたりまえになっていると思う。
愛されることに胡坐をかきたくはないが、もしかすると、おまえがいつも支えてくれることに、感謝を忘れている時もあるかもしれない。
ずいぶん甘えているという自覚は、あるつもりだが。


どう言ったらいいのか。
今こうやってこの家にひとりでいても、俺は独りじゃない。
おまえは至るところにいて、俺を守ってくれていると感じる。
傍にいないのが寂しい夜ですら、俺は孤独だとは思わない。
ゆらぎない愛情はもちろん、おまえは俺に安心感を与えてくれているのだと、こういう時あらためて思う。
本当に、ありがとう。


10年前、おまえの気持ちに応えようと決心したとき、俺はこれ以上ないほどの恋をしているつもりだった。
一生添い遂げたいと思った相手など、他にいなかったから。
初めておまえを連れて新潟に戻ったときも、新婚旅行のときも、幾度も俺は、これ以上は人を愛せないと思った。
でも、不思議なものだな。
今の俺は、あのときの一万倍、いや百万倍も、おまえが愛おしい。


いつだったか、おまえが死ぬ役を演じたとき、俺はおまえを失うのを想像しただけで怖くて、一晩眠れなかった。
あのときのおまえの言葉は、今でもよく覚えている。
だけど、いつの間にか俺は、そういう心配をしなくなった。
おまえがいない世界に、俺は存在しない。
存在する意味がない、ただそれだけのことだ。
考えてもしかたがないと腹をくくったら、だいぶ楽になった。


この10年で俺は、ずいぶんものの見方が変わったと思う。
おまえに影響されて、ポジティブな考えが身についたからかもしれない。
天まで駆け上がる勢いの駿馬のようなおまえを見ていると、悩みが吹き飛ぶせいもあると思う。
それも、とても感謝している。


ああ、それから、おまえが気にし始めた目尻の小さな皺だが、俺は最高に気に入っている。
それはおまえの勲章だから、悩む必要はまったくない。
今のおまえは、本当にいい顔をしている。
毎日そばにいる俺が眩しいと感じるほど、常に進化し続ける香藤洋二は、今がまさに旬だと思う。
日本中、いやハリウッドの何処を探しても、おまえほどいい男はいない。
何より俺が一番のファンで、おまえを誇りに思っている。
同じ役者として、パートナーとして、おまえに恥じない自分でありたい。
これは、掛け値なしの本音だ。


ずいぶん長い手紙になった。
言いたいことは、ただひとつ。
最高の誕生日プレゼントをありがとう。
それから、早く帰って来い。
元気でこの家に戻ってきて、おまえの笑顔を見せて欲しい。
待っているから。



京介
2008年1月27日







藤乃めい
27 January 2008

岩城さん、お誕生日おめでとうございます。
1、2、7という無機質な数字の羅列が、わたしにとって特別な意味を
持つようになって、そろそろ3年。
岩城さんに出会えた至福を、日々噛みしめて生きてます(笑)。
しなやかで豊かな、38歳の岩城さん。
しぶとかったり繊細だったり、いつも目が離せません(笑)。
爛熟への道のりはまだ遠いと思いますが、いつまでもどこまでも、貴方について行きますとも!


2013年8月24日、サイト引越にともない再掲載。初稿を若干修正しています。

なお・・・言い訳になりますが、この手紙の署名について。岩城さんの性格的に、フルネームでのサインが妥当だろうな、と思うわたし。だけど、どうしても「京介」のみのサインが見たくて(笑)・・・自分の萌えを優先しました。ごめんなさい。