Amo tutto di te

Amo tutto di te ― あなたのすべてが愛しくて





「ちょっ・・・マジ!?」
バサッ。
思わず新聞を放り出して、俺は叫んだ。
朝っぱらから、声がすっかり裏返っている。
「え・・・ええーっ!?」
ソファから飛び上がってジタバタ。
心臓がバクバクしてる。
その場でぐるぐる、走り回りたくなるほど。
―――子供かよ、俺!?
いい歳して、こんなのって。
「落ち着け、落ち着け・・・!」
大きく息を吸い込んでから、また再び座り直した。
ゆっくり腕を伸ばして、新聞を引き寄せる。
「なに、これ・・・」
今度は情けないほど、掠れた声になった。



朝いちばんの広尾の自宅。
岩城さんはまだ、寝室で夢の中。
―――帰宅したの、今朝だもんなあ。
俺が目覚めたら起こしていいって言われてるけど、あと数時間は、寝かせてあげたい。
―――たまのオフなんだから。
それから、新聞に意識を戻した。
「これ、さあ・・・」
手を胸に押しつけて逸る心臓を抑え、俺はそろそろと視線を下げた。
コーヒーテーブルの上の、大きく開かれた新聞。
見開き二ページ全紙を使った、それは広告ページだった。
黒マットのシンプルな背景。
中央に、スポットライトを浴びた深紅の大型バイク。
鮮やかにきらめく赤いボディに、黄金色のエンブレムが鈍く光っていた。
「オートレースで見るやつだよね、これ」
バイクには詳しくないけど、このメーカーの名前は知っていた。
たぶん、超がつくほど有名なロゴなんだろう。
官能的なデザインで知られる、イタリア製の二輪車。
「うー・・・」
流れるような優美なライン。
うっとりするような、精緻なメカとしての美しさ。
そのバイクに、長身の男が跨っていた。
しなやかな体躯を黒いレザースーツに包み、こちらに挑戦的な眼差しを投げかけて―――。
「岩城さん・・・!!」
呆然と、俺は呟いた。
そのままじっと、食い入るように広告写真を見つめる。
「うっわー・・・」
馬鹿みたいにあんぐりと、口を開けて。
「か・・・」
謎めいた微笑を見せる、写真の中の『岩城京介』。
来いよ、と誘ってるようにも見える。
悠然と構え、余裕たっぷりで。
「か・・・」
冴えた美貌が、黒光りするマシンに映えていた。
柔と剛。
赤と黒と、透けるような白い肌のコントラスト。
「か・・・っ」
新聞を掲げ持つ両手が、思わず震えた。
興奮で、もうどうしようもなくて。
「カッコよすぎ―――!!」
再び、俺は叫んだ。
鼓動がヤバいくらい煩い。
「なんだよ、これ・・・」
目をそらすことも出来ずに、俺は感嘆の吐息を漏らした。
「凄いよ、岩城さん・・・!!」
声はすっかり、上擦っていた。



「そういえば―――」
珍しいCMの仕事が入ったって、岩城さんが言ってたっけ。
一ヶ月ほど前のこと。
現在ロケ中の映画とのタイアップ企画だって、聞いた気がする。
「あ、これか」
そこまで思い出してようやく、俺はそれに気づいた。
ページの端には、まもなく公開される映画の情報。
岩城さんの三年ぶりの主演映画だ。
特設サイトのURLや、舞台挨拶スケジュールも紹介されていた。
「そっかあ・・・」
俺は髪をかきあげて、ため息をついた。
映画とのタイアップ広告と聞いて、俺はてっきりファッション関係だろうと思ってた。
ファッションか、ジュエリーか、じゃなかったら飲食料関係。
最近はそういうのが、あたりまえの業界だから。
「岩城さん、特になにも言わなかったし」
俺もそれ以上、聞かなかった。
特に話題にするほどじゃないんだろうって、勝手に思ってた。
「それが、これって・・・!」
―――わざと言わなかった、ってこと?
俺をびっくりさせたくて、黙っていたとか?
「それにしても・・・」
まさか、真っ赤な二輪のCMだとは。
「サプライズにも、程があるよ・・・!」
黒革スーツの岩城さん。
泰然と、でも挑発的な目つきの。
「たまんないね・・・」
その姿を指でなぞって、俺はくすりと笑った。



☆ ☆ ☆



「・・・うん?」
布団がやけに重たい。
―――身体が圧迫されて、自由に動かない。
さっきまで、こんな感覚はなかったはずなのに。
心もち苦しくて、俺はのろのろと目を開けた。
「おはよ、岩城さん」
鼻のすぐ先に、香藤の笑顔が咲いていた。
「ああ・・・」
焦点が会わないほどの至近距離。
目が―――薄闇に慣れるまで、俺は何度か瞬きをした。
「・・・重い」
俺の声は、寝起きで掠れていた。
「あは、ごめん」
上機嫌で香藤は答えたが、動く気配はない。
「ひとが寝ているときに乗るなと、あれほど・・・」
その続きは、キスに飲み込まれた。
「ん・・・」
いきなり降って来た長めのキス。
―――わざと、こんな。
やさしい朝のキスには程遠い、入念な口づけ。
俺は布団からなんとか片腕を抜き出して、香藤の耳を引っ張った。
「・・・痛いってば」
「それは、こっちの、台詞だ」
息苦しくて、俺は喘ぎながら抗議した。
「うん、ごめん」
鼻先に、今度はちょこんとキス。
「おはよ、岩城さん」
「ああ」
「岩城さんが起きて来るまで、待てなかったんだ」
無邪気な笑顔。
どうやら、もの凄く嬉しいことがあったらしい。
今朝の香藤は勢いよく尻尾を振る犬のようだった。
「・・・いったい、どうしたんだ・・・」
あくびを噛み殺しながら、俺は香藤を見上げた。
―――今、何時だろうか。
「見たよ、あれ」
「あれ?」
浮き立つような表情の香藤が、上半身を持ち上げた。
少し自由になった俺は、布団の中で香藤の脚を蹴ってみる。
「あはは、ごめん!」
笑いながら、香藤が身体を退ける。
それでようやく、俺は圧迫感から逃れて息をついた。
―――ふだん、全体重をかけて来ることはないのに。
子供のようだと、俺は思った。
いつもの香藤は俺たちの体重差に敏感だ。
セックスのときは必ず、彼の体重が俺の負担にならないように、神経質なほど気を遣う。
だけど、じゃれつくときは別らしい。
嬉しいことがあると、それこそ猛然と甘える大型犬のように、容赦なく俺に圧(の)し掛かってくる。
―――そういうところもまあ、可愛いけどな。
いつの間にか、俺は微笑していたらしい。
香藤は嬉しそうに、俺の髪を撫でた。
「なにがあった?」
「ドゥカティ!」
ひと言、それだけ。
「ああ―――」
ああ、なるほど。
あれが新聞に載ったのか。
俺はようやく理解して、香藤の顔を見上げた。
「今日、だったっけ・・・」
「うん! 見たよ、あれ!」
「そうか」
「すっごい驚いたよ! めちゃくちゃカッコいいじゃん!!」
はじけるような笑顔が眩しい。
「ああ。・・・たしかに、あれは凄いバイクだった」
頷くと、香藤が眉をしかめた。
駄々をこねる子供のように、俺の身体に抱きつく。
「もう、なに言ってんの」
―――耳に、熱い吐息がかかる。
「カッコいいのは、岩城さんでしょ!」
ごろりと横になったまま、香藤は俺の顔を覗き込んだ。
「息が止まって、死ぬかと思った。岩城さん、カッコよすぎ・・・」
うっとりと、まるで絶世の美女を口説くように。
大きな掌が、俺の頬を撫でる。
―――まったく、こいつは・・・。
朝っぱらから、あまりにストレートな愛の言葉。
甘く、熱っぽい視線。
受け流そうとしたが、思わず顔が火照るのが自分でもわかった。
「香藤・・・」
この男と知り合ってから、15年。
いい加減に慣れてもいい頃だと思うのだが、いまだに面映ゆくて堪らなくなるときがある。
いまだに、どう反応していいのかわからないときが。
「そんな顔、されるとさあ・・・」
ひょいと眉を寄せて、香藤は困ったような顔をした。
指を絡ませて、ゆっくりと俺を抱き寄せる
「可愛すぎるよ、岩城さん」
「香藤・・・」
「あのCM、サプライズのつもりだった?」
「・・・そういうわけじゃ・・・」
香藤の腕のぬくもりの中で、俺はそっと答えた。
「少し、恥ずかしかった・・・かもしれない」
「・・・なんで?」
「だって、あれは―――」

『究極にカッコいい岩城さんを目指しましょう』
―――撮影の前、ディレクターにそう言われて、ふと香藤のことを思い出した。
迷いが生じたのは、そのときだ。

「・・・ああいうのは、おまえの方が似合うだろう」
「へ?」
きょとんと、香藤が俺を見返す。
「撮影自体は、うまく行ったと思う。けど・・・」
「けど?」
「俺のガラじゃない、そんな気がしてた」
「なに言ってるんだか・・・」
香藤がいかにも楽しそうに笑った。
本当にいい男というのは、こういう男を言うのだろうと思う。
「あんなにカッコいいのに、自分ではわからないなんて。自信なさげな岩城さんも、可愛いけど」
とろけそうな眼差し。
「おい・・・」
「謙虚すぎるのも、考えものだよ?」
「あ―――」
布団の中に忍び込んだ香藤の手が、俺のパジャマをまさぐる。
慣れた手つきでボタンをはずし、俺の肌に触れる。
「・・・冷たい・・・」
「俺の指?」
「ああ」
「じゃあ、あっためてよ―――」
鼓動が、跳ねた。
素肌がそそけ立つ感覚。
俺は布団の上から、香藤の手を捕まえた。
俺の熱で、早く温まるように。
「・・・あの、バイクな」
「うん?」
「実際に触れてみると、もの凄かった。うまく言えないけど、質感というか、存在感というか」
「そう?」
「・・・高校の頃、二輪が欲しかったことを思い出した」
「へえ?」
香藤がゆっくりと布団越しに、俺の上に乗って来た。
全体重をかけないように、注意深く。
「バイク少年だった? 知らなかったなあ」
ふわりと笑って、俺の唇を奪う。
香藤の髪の毛がやわらかく広がり、俺の顔を半ば覆った。
「・・・反抗心、だったんだろうな。母親に反対されて、それっきりだった」
俺はくすりと笑って、香藤の頬を両手で包んだ。
「昔のことだ」
「大型二輪の免許、要るよね」
「そうだろうな」
ついばむようなキスを返すと、香藤は嬉しそうに瞳を閉じた。
「気持ちいい・・・」
「ちょっと、想像したんだ」
「なにを?」
「もし、ああいうバイクがあったら―――」
「うん?」
「おまえを後ろに乗せて、ツーリングするのもいいな、って」
香藤の目が、ぱちんと瞬いた。
きらめく茶色の瞳が、まじまじと俺を見おろす。
「どうした・・・?」
「・・・んもう、岩城さん・・・!」
いきなり上半身を起こすと、香藤は布団を引き剥がした。
バサバサと無理やり脇に押しやり、露わになった俺の身体を抱きしめる。
ぎゅっと、力いっぱい。
「おい・・・!」
「そういうの、反則だって!」
首筋に、熱いキスが落ちる。
擦りつけられた下半身には、明らかな漲(みなぎ)り。
「香藤・・・」
俺は息を乱して、香藤を見上げた。
―――どうして、いきなり。
この男はいつも、予想外の反応で俺を驚かせる。
「・・・慣れるのは・・・」
「なに?」
「いや」
きっと一生、慣れることはないんだろう。
―――そういうのも悪くないけどな。
「岩城さん、好きだよ」
「香藤・・・」
声が、甘く掠れた。
この先はもう、何も言わなくてもいい。
ゆるりと頷いて、俺は瞳を閉じた。





藤乃めい
26 January 2013



2013年2月23日、サイト引越にともない再掲載。初稿(ブログ掲載)を若干修正しています。背景画像は、無料配布のバイク写真をもとにした自作。イメージする赤黒1200ccとは若干ちがいますが、Ducati写真があっただけ幸運だと思ってます(笑)。