君がもとにぞ

君がもとにぞ ― post Violence Lyric 01





「病院まで迎えに来てくれたのは嬉しかったし・・・頼もしかった・・・」
俺の腕の中で、岩城さんがうっとりと言った。
やさしい甘い吐息。
「そ・・・?」
良かった、と囁いて。
俺は岩城さんにキスをした。
額に、頬に、髪の毛に。
母親の抱擁に安心しきった子供みたいに、岩城さんは全身を預けてくれる。
ほんのり頬を染めて、じっとしたまま。
―――可愛い。
俺の岩城さんはどうしてこんなに可愛いんだろう。
「・・・家族なんだから」
たまらなくて、俺は岩城さんの唇を奪った。
「それくらいするのは当然だよ・・・?」
しっとりと重なる唇。
俺を抱きしめる岩城さん。
―――ああ、本当に久しぶりだ。
こんなふうに二人っきりで過ごすの、何週間ぶりだろう。



静かな平日の昼下がり。
俺たちの家、俺たちの寝室。
―――やっと、帰って来れた。
俺は安堵感で胸がいっぱいになる。
岩城さんもきっと、同じ気持ちだと思う。



考えてみれば、怒涛の数週間だった。
岩城さんが倒れて以来、ずっとずっと苦しかった。
息が止まりそうな衝撃。
心臓の病気だと聞かされて、心配でどうにかなりそうだった。
冷や汗が噴き出し、全身の震えが止まらなかった。
―――あのときの、あの恐怖感。
思い返すだけで気が狂いそうだ。
岩城さんに万が一なにかあったら、と想像すると足が竦んだ。
そして俺自身の、例の体験。
最近は忘れかけてたフラッシュバックが襲って来そうで、目の前が真っ暗になった。
―――あんなのは、もうごめんだ。
二度と、あんな思いはしたくない。



今こうやって、岩城さんは俺の腕の中にいる。
真っ直ぐな瞳で俺を、俺だけを見つめてくれる。
「香藤・・・」
「岩城さん」
たしかなぬくもり。
こうしてまた二人で一緒にいられる幸せ。
穏やかな時間が夢のようだ。
―――神様、本当にありがとう。
感謝の思いを込めて、俺は岩城さんを抱きしめた。
とくん、とくんと。
リズムを刻む岩城さんの心音が伝わって来る。
「気持ちいいね・・・」
「ああ」
俺たちはしばらく、ただ抱き合っていた。
ぴったりと身体を重ねて、ついばむようなキスを繰り返す。
「重たい、俺?」
「・・・いや」
岩城さんの忍び笑い。
「・・・ん?」
ちょっと顔を上げて、俺は岩城さんを見つめた。
「なに?」
岩城さんのやわらかな微笑。
それがふと、艶めいた色を刷いた。
まっすぐに俺を見上げて、かすれた声で囁く。
「本当になにもしない気なのか?」
からかうような響き。
「でも」
「五時間・・・あるんだろ?」
俺を抱きしめる岩城さんの手が、じわりと背筋を伝わって動く。
腰のあたりで、デニムを引っ張る感触。
誘う。
求める。
ああ、いつもの岩城さんだ。
「・・・んもう!」
俺は笑って、上半身を起こした。
「ダメだって言ってるのに、岩城さんのエッチ」
岩城さんの手を捕まえる。
くったりと横たわったままの岩城さん。
頬がきれいに紅潮している。
再び、いたずらな細い指が俺のクロッチに伸ばされる。
「嫌なのか?」
黒い瞳が潤んでいた。
俺が欲しい、というシンプルなサイン。
「んなわけないでしょ」
俺はさりげなく、岩城さんの腕を捉えた。
こういうふうに欲しがる岩城さんを見るのは久々だ。
―――あれ?
そう感じた途端、俺は気づいた。
俺のせいだ。
「岩城さん・・・」
―――ああ、そうか。
そういうことか。



あの日から向こう、俺たちのセックスは変質していた。
知らず知らずのうちに、そうなってた。
・・・俺は、岩城さんに甘えていた。
今ならわかる。
不安定な心のままに縋り、ときに理不尽な苛立ちをぶつけていた。
空回りする気持ち。
焦躁を忘れるための行為。
岩城さんは拒まなかった。
どんなときでも、絶対に。
ひたすら柔らかく、黙って俺を受け入れてくれた。
俺が荒れても、全身で抱きしめてくれた。
慈しむための、癒すためのセックス。
岩城さんの瞳はいつも、深い海のような優しさに満ちていた。
―――でも、それは。
今ならわかる。
俺はどれほどの我慢を岩城さんに強いていたんだろう。
あれは、いわば治療のようなものだった。
俺にはそれが必要だったけど、でも、岩城さんにとっては・・・?
岩城さんは黙って俺を支えてくれた。
重荷だっただろう、と思う。
どれだけ俺を愛していても、いや、愛しているからこそ、出口の見えない不安に押しつぶされそうだっただろう。
『生きていてくれるだけでいい』
『おまえが愛おしいんだ』
ありったけの愛の言葉を、岩城さんはくれた。
愛してる。
愛してる。
愛してる。
ずっとずっと、全身で俺にそれをわからせようとしていた。
それなのに俺は、自分のことでいっぱいいっぱいだった。
岩城さんの辛さを思いやる余裕なんかなかった。
見ていなかったんだ。
目の前にいる、俺の岩城さんのことを。
―――わがままだった。
病気だったから、という言い訳はしない。
してはいけないと思う。
俺は視野狭窄を起こしていた。
恋人だから、病気だから、何もかも許されるわけじゃないのに。
今、やっと気づいた。
―――ねえ、岩城さん。
病んでる俺といて、大変だったよね。
怖かったよね。
泣きたくなったときもあったと思う。
ひとり孤独を抱えて、どれほど辛かったか。
不安な気持ちを誰かに打ち明けて、それで気が紛れるような人じゃないから、よけいに。
そんな日常で、幸せを感じられた?
せめてセックスの愉しみや充足感はあった・・・?
身体の欲求を満たすという、純粋な喜びはあったんだろうか。
岩城さんの献身的な愛情。
その裏にあったはずの苦悩を、俺はわかっていただろうか・・・?



「岩城さん・・・」
「うん?」
揺れる瞳が俺を誘う。
ストレートに、俺の愛撫を欲しがってくれる。
俺に甘えたり頼ったりしていいんだって、やっと岩城さんは思い出してくれた。
やっとここまで、俺は戻って来た。
そういうことなんだ。
それが今は、なにより嬉しい。
「ありがとうね」
「・・・は?」
「いいから」
首をかしげる岩城さんに微笑を返して、俺はゆっくりとパジャマを脱がせた。
ボタンをはずし、きめ細かな素肌に触れる。
「あ―――」
「大丈夫? 痛くない?」
俺は手のひらを、岩城さんの心臓の上に置いた。
「ああ」
岩城さんの命。
俺の、命。
岩城さんの手がゆっくりと重なる。
とくん、とくん。
たしかな鼓動。
俺は息をひそめて、規則正しいそのリズムを感じていた。
岩城さんの生きてる証(あかし)。
同時に俺の、生きる理由。
「ちょっとドキドキしてるね」
「ああ」
もう大丈夫だから、と岩城さんは繰り返した。
にじむような柔らかな笑顔。
「うん」
俺は屈み込んで、岩城さんの胸にキスをした。
「あ・・・っ」
ぽっちりと勃った乳首。
舌の感触に反応して、岩城さんが甘い息を漏らす。
股間を直撃する色っぽい声。
ふ、と。
―――医者もここ、触ったんだよね。
いきなり変な光景を想像して、俺は慌てて首を横に振った。
バカじゃないのか、俺。
岩城さんを救ってくれた人たちに嫉妬するなんて、可笑しいだろう。
あり得ないよ、もう。
「・・・なんだ?」
岩城さんが手を伸ばし、俺の頬に触れる。
いとおしむような優しい愛撫。
「なにを考えてる?」
「なんでもないよ」
俺は苦笑して、岩城さんの指先にキスをした。
「痩せたね」
「そうか?」
「寒くない?」
「いや」
裸の上半身を、俺はゆっくりと撫でた。
痩せたというのか、筋肉が落ちたというのか。
わずか数週間のことなのに、何かが違うような気がした。
ほの白い肌が、どこか青白く痛々しく見える。
―――気のせい、なのかな。
俺がちょっと神経質になりすぎてるのか。
「・・・香藤」
俺の躊躇いに気づいたんだろう。
少しだけ眉をひそめて、岩城さんが俺を見上げた。
探るような眼差し。
「ごめん」
俺は舌を出しておどけて見せた。
「やっぱ、こっちはなしにしよう?」
「え・・・」
はだけた岩城さんのパジャマを、俺はかき合せた。
「途中で俺、止まらなくなりそうだからさ」
「香藤・・・」
「その代わり―――」
俺は岩城さんのパジャマのボトムに手を掛けた。
「こっちはちゃんと抜いてあげるから、ね?」



「あ・・・」
パジャマを引き抜いて、じっと視線を交わす。
岩城さんは眩しげに俺を見上げていた。
―――少し、照れてる・・・?
考えてみるまでもない。
『婆娑羅』の撮影で京都に詰めっぱなしの俺は、このところ家を空けがちだった。
もともとすれ違い生活が続いていたところに、岩城さんの入院。
だから、これは本当に久しぶりのセックスだ。
「なんだ?」
ふふ、と笑った俺に、岩城さんが首をかしげる。
「ううん。久しぶりだなあ、って思ってさ」
「香藤・・・」
こういうときの岩城さんは驚くほど素直だ。
欲しいという気持ちを、まっすぐ俺にぶつけて来る。
ほのかに紅潮した頬。
期待が九割、不安が一割って感じだろうか。
不安ってのはもちろん、心臓。
―――でも、だからこそ。
不安を払拭するためにも、今ここで肌を触れ合わせないといけない気がする。
「今、あげるよ」
俺は微笑んで、岩城さんの下着に触れた。
―――と。
「・・・!!」
突然、だった。
岩城さんがもの凄い勢いで、俺の手を払いのけた。
「え、え・・・!?」
俺は思わず、目をぱちくり。
何が起きたのかわからない。
「すま・・・っ」
岩城さんは真っ赤だ。
慌てて上半身を起こし、ぺたりとベッドに座り込む。
「・・・ど、したの・・・?」
「あの、あのな・・・っ」
耳まで真っ赤に染めた岩城さんが、思わず身を乗り出す。
言い淀んで、ためらって。
それから悄然とうな垂れた。
「すまん・・・」
「謝らないでよ、岩城さん」
ようやく気を取り直して、俺は静かに言った。
「もしかして俺、乱暴だった?」
「いや」
「急ぎすぎたかな」
「いや」
「やっぱり、まだ怖い?」
「そんなことはない」
「無理しないで、岩城さん」
「無理なんかしてない」
岩城さんはかぶりを振る。
でも一向に、俺の顔を見てくれない。
ただ、いたたまれない様子で身を強張らせている。
「じゃあ、なんで・・・?」
俺はそっと腕を伸ばした。
ふわり、岩城さんを抱きしめる。
「かとう・・・」
申し訳なさそうな声。
そして、岩城さんはようやく全身の力を抜いた。
俺に凭れてそっと額をつける。
―――ああ、よかった。
大丈夫だ。
ここで安心してくれるなら、問題ない。
俺が何か拙いことをしでかしたわけじゃない、ってことだから。
「あの・・・」
くったりと俺の胸に上半身を預けて、岩城さんはため息をつく。
「うん?」
「あのな」
「うん」
「その・・・」
よっぽど言いにくいんだろう。
岩城さんは唾を飲み込み、恐る恐る顔を上げた。
「なあに?」
恥ずかしげな表情が、本当に可愛い。
俺が思わず笑みをこぼすと、岩城さんはついと顔を逸らした。
「・・・笑うな」
「笑ってないよ」
「笑ってるだろ・・・」
「んもう!」
たまらずに、俺は岩城さんの真っ赤なほっぺたにキスをした。
ちゅっと、音を立てて。
「かわいすぎ!」
「香藤・・・!」
「だから、なーに?」
真正面から、岩城さんの目を覗き込む。
「わ、笑わないか?」
「だから、笑ってないってば」
「絶対だな」
「うん」
「・・・その、」
「んー?」
―――これなんて焦らしプレイ?
俺、かなり辛抱強く待ってるつもりなんだけど。
内心そう思いながら、岩城さんの髪をかき上げた。





藤乃めい
25 January 2014


(フライング気味)
岩城さん、お誕生日おめでとう。
いつまでも元気に、幸せでいてね。
それにしても、44歳か・・・(汗)。

このお話の冒頭部分は、昨年10月31日/11月5日にブログに掲載したタイトル未定の隙間小説です。
言わずと知れた、GOLD(2013年12月号)掲載の『バイオレンス・リリック』に描かれなかった、退院・帰宅後の岩城さんと香藤くんの空白の?数時間を妄想したもの。
・・・続きます(たぶん)。

ちなみにタイトルは、西行の「さまざまに思ひみだるる心をば君がもとにぞ束(つか)ねあつむる」という歌から採りました。
自分好みに超訳すると、「恋しい貴方のせいで私の心は千々に乱れるというのに、でも結局、すべての思いは貴方に向かって(ひとつに束ねられて)いくのよね・・・」って感じでしょうか。
私の心をかき乱すのも、癒すのも貴方。
恋しい相手に自分の心のすべてを差し出してしまう恋愛の苦しみと陶酔を、平易な言葉でつづっている・・・と、わたしはそう解釈しています。