第二話 (後編)



翌日、何もかもを白で覆われた私室の褥の上で、岩城はぼうっとして白い小袖姿で、両脚を投げ出して座っていた。
香藤は、黙ってその岩城を両腕に抱え、ゆっくりと背を撫でていた。
「お前、仕事休んだのか?」
「当り前でしょ?」
「いいのか? 右兵衛督が、それで?」
「それどころじゃないもん。」
しばらくして、岩城の顔が急に歪んだ。
「・・・くっ・・・。」
「岩城さん?!」
香藤の腕を掴んで、岩城は身体を硬直させていた。
「香藤・・・佐和を・・・。」
「わかった。」



「大丈夫なの?」
「まだ、でござりまするよ。人だとて、初産のときはそうでござりましょう?」
心配げな香藤を尻目に、佐和は静かに笑った。
「そうだけど、」
「・・・うぅっ・・・」
香藤の腕を掴んで、岩城が再び呻いた。
「岩城さん!」
痛みが去るのを待って、香藤の腕の中から岩城は彼を見上げた。
「大丈夫だ。でも・・・。」
「でも、なに?」
肩で息をしながら、岩城は済まなそうに眉を寄せた。
「この姿を保っているのが、無理になってきた。」
「いいよ。気にしないで。」
「うん。」
返事をするが早いが、岩城の身体が発光し、香藤の腕の中で岩城の髪が白金に変わった。
「・・・んんっ・・・」
下唇をかんで、岩城は断続的に襲ってくる痛みに堪えた。
九本の尾がそれを現すかのように、岩城の腰の辺りで縮こまった。
佐和は、黙って岩城を見つめていた。
その後ろで、板戸がすっと開いた。
「婿殿、廊下で待たれよ。」
岩城の母がにっこりと笑っていた。
「・・・母者・・・。」
香藤は、岩城をぎゅっと抱きしめると、褥に横たわらせた。
「後でね、岩城さん。」
「・・・ああ。」
そっと唇を重ねると、香藤は廊下へ出た。
きぃ、と音を立てて扉がしまった。
額を板戸に付け、嘆息した香藤の背に、声がかかった。
「男など、こういう時には役に立たぬよ。」
「義父上!」
岩城の父、安名がそこに立っていた。



「はじまったようだな。」
呼ばれて保憲が屋敷を訪れ、その後、香藤の父がやって来た。
あわただしい屋敷内を尻目に、保憲は祈祷の用意などせず大炊所へさっさと座り込んだ。
雪人が、その前に酒々(ささ)を載せた膳を置いた。
「今日ばっかりは、俺は邪魔者だからな。ここにいさせてもらうよ。」
「はい。」
「三位殿はいずこにおられる?」
「お廊下です。」
それを聞いて、保憲はぷっと酒を噴出した。
「廊下とは、本当だったのか。それは、気の毒な。」



大殿油の灯りが、煌々と岩城の私室を照らしていた。
「・・・うぁっ・・・あぁっ・・・」
褥の中の岩城の両手を、佐和と母が握り締めていた。
「しっかり! しっかり為されよ!」
「吾子、もう少しじゃ!」
「・・・あううっ・・・」
歯を喰いしばり、全身を震わせ両足を広げ、仰け反りながら、岩城はそれに堪えていた。
「・・・くうぅ・・・」
香藤は、いらいらと廊下を行ったりきたりしていた。
岩城のりきみ声が聞こえる度に立ち止まり、聞いていられない、と首を振った。
「落ち着け、洋二。」
「そうはいくか!」
香藤の父が、同じように廊下に座り、香藤を見あげた。
「あ〜〜〜! もう!」
「心配せずとも、産まれる、婿殿。」
その隣で、岩城の父がゆったりと笑った。
「義父上、よく落ち着いてられますね?」
「あれが生まれたときよりは、落ち着いているな。」
「それは言える。我が子と孫は違うものさ。」
父親二人が、顔を見合わせて笑うのを横目に、香藤は板戸の前を繰り返し、行きつ戻りつしていた。
「・・・かっ・・・香藤!!・・・香藤!! 香藤ォ・・・!!」
突然、岩城の悲鳴が聞こえた。
血の気の引いた顔で、香藤は板戸に縋りついた。
「岩城さん! 俺はここにいるから!! ここにいるよ!!」
どんどんと扉を叩く香藤の耳に、岩城の叫び声が届いた。
一拍の後、ピタリ、と扉の中が静かになった。
気が抜けたように、ぺったりと、香藤は廊下に座り込んだ。



し、ん、とした中、突然、赤ん坊の泣き声が響いた。
ほぎゃあ、ほぎゃあ、ほぎゃあ・・・・
「おめでとうござります! お生まれにござりまする!」
佐和が、扉を開けて出てきた。
「お元気な和子さまであらせられますぞ。」
「やった〜〜〜〜〜〜!!!!」
座り込んでいた香藤が、飛び上がった。
「生まれたよ!! 生まれたよ、親父!!」
香藤の父と岩城の父も立ち上がり、香藤の肩をたたいた。
「あ、もう親父じゃないや、じいさんだ!」
「ほほ。じいさん二人だ。」



「騒がしいこと。」
岩城の母が、そっと笑った。
その香藤の声を、褥の中で岩城が聞いていた。
腕の中に、生まれたての赤ん坊を抱いて、岩城の母が産湯を使っていた。
「・・・母者。」
「ん? 良い子じゃぞ。それに力もある。」
「ええ。それは感じます。」
岩城は、溜息をついて瞳を閉じた。
「それ、吾子よ。そなたの子じゃ。」
母が、そっと岩城の隣へ子を寝かせた。
「三位殿のお子じゃと、すぐにわかるな。」
「ええ。」
岩城が微笑んで、その子を見つめた。
そこに丸くなって、白い毛に覆われた赤子がいた。
一本の尻尾の先と、両耳と両手足の先だけが茶色い。
「母者、香藤を中へ・・・。」
「おお、そうであったの。」



おずおずと、香藤君は佐和に促されて、中へ入って来た。
それを見あげて、岩城は微笑を浮かべた。
汗にまみれ、額にべったりと白金の髪が張り付いていた。
まだ荒い息をついている岩城の顔を、黙って見ていた香藤の頬を、涙が伝い落ちた。
香藤は、身体を折って岩城の額の髪をかきあげ、そっと、そこに唇を触れて、そのまま頬をつけて動かなくなった。
「・・・バカ、泣くな。」
「・・・だって・・・ありがと、岩城さん。」
「礼なんかいらん。」
「でもさ。」
「俺も嬉しいよ。」
「・・・可愛いね。」
香藤が岩城の隣りで丸くなっている子狐を見て、目尻を下げた。
「すまん。」
「は?」
「いや・・・人型にしておけばよかったな。生まれたばかりで、自力で人型にはなれないから。」
「なに言ってんの? 俺が、狐の姿のこの子を、やだって思うと思ってるわけ?」
「・・・香藤。」
岩城の頬に、光るものが零れた。
「馬鹿だなァ、岩城さん。そんなことあるわけないでしょ。」
香藤は、そっとその両手の平に乗るほどの、白い子狐を抱き上げた。
「あは、俺そっくり。」
「婿殿。」
岩城の母が、そっと声をかけた。
「あ、義母上。すみません。ありがとうございました。」
「なんの。」
母は笑って頷くと、香藤に手拭を差し出した。
「吾子の身体、清めてやってくれぬか?」
「・・・あ、はい。」
香藤は赤子をそっと褥に戻すと、受け取った手拭を盥の湯で濡らし固く絞って、岩城の着ている、汗のしみこんだ小袖を脱がせた。
岩城の母と佐和は、下手に下がるとそれを黙って見守った。
「きつかったでしょ?」
「いや・・・。」
「大丈夫?」
「ああ・・・。」
岩城の全身を綺麗に拭うと、香藤は岩城の母から真新しい小袖を受け取って、手馴れた手つきで着替えさせた。
「すまん、香藤。」
「いいよ、気にしにないで。これって、父親の最初の役目って奴じゃない?」
母が、口元を抑えて、忍びやかに笑った。



「無事に生まれたようですな。」
保憲が廊下へ現れた。
岩城の父の前に座り、両手をついた。
「保名殿、お久しゅうござりまする。」
「おお、保憲、久しいな。此度は世話をかけた。」
「なんの。何もしておりませぬよ。大炊所で酒々を喰らっておりましただけで。」
それを聞いて、香藤の父が片手を上げて杯を煽る仕草をした。
「どうです、我々も?」
岩城の父が、わが意を得たりと笑った。



子供が産まれたその夜、香藤の妹、洋子が岩城の屋敷に呼ばれた。
岩城は子の姿を人型に変え、子は洋子から初乳を貰った。
「可愛い。お兄ちゃんそっくり。」
「だろ?」
香藤が、乳を含む赤ん坊の頬をつついた。
「俺と岩城さんの子供だもんね。」
「・・・バカ。」
岩城が苦笑して香藤の頭を叩いた。
洋子が、声を上げて笑った。
「親ばかになりそうだね、お兄ちゃん。」







三日目の夜、五日目の夜、七日目の夜、九日目の夜に、「産養(うぶやしない)」と呼ばれる誕生の祝いが行われた。
七日目に赤子の名前を付け、神様に報告し、親戚や縁者一同にお披露目をする、 命名奉告の祝いを催した。
子は、「小君」と呼ばれることとなった。



祝いにやってきた闇の者達は、一様に小君の顔を見て噴出しそうになるのを堪え、下がっていった。
屋敷の闇に消えてから、彼らは堪えていた笑いを漏らした。
それが耳に届いて、岩城は苦笑していた。
最後に現れた老人が、小君の顔を見てにっこりと笑った。
「垂れ目の狐など、初めて見ましたぞ。」
「はは。」
岩城は褥の中で、溜息をついた。
「この子は、たいそうな力を持っておるようじゃ。修行させるのが楽しみじゃて。」
「行者殿、それは・・・。」
岩城の声にためらいを聞き取って、役の行者はその顔を見つめた。
「ま、好きにすればよいわさ。」
「へぇ・・・力、強いんだ。」
香藤が小君を上から覗き込んだ。
「お解りになりませぬかな?」
「なんとなく。」
行者は、ゆったりと頷いた。
「天帝に愛でられたおことと、統領のお子じゃ。力がないわけがない。そうじゃろう?」
香藤がその言葉に、嬉しそうに顔をほころばせた。







翌日、内裏に出仕した香藤は、お上に呼ばれた。
「いかが、洋二殿?」
「無事に生まれました。お心遣い、感謝します。」
「それは、重畳。」
お上から、岩城はいつ出仕できるのかと聞かれた香藤は、首をかしげて答えた。
「それは、岩城さんに聞いて見ないとわかりませんね。」
「この都にとって、御息所はなくてはならぬ。」
「ありがとうございます。」
「で、いつ出仕できるのじゃ?」
「だから・・・まだ、本調子じゃありませんから! 今、動いて無理させるわけにはいきません。」
御簾のうちから、くすり、と笑う声がした。
「ほんに、洋二殿は御息所が大事と見える。」
「当然です。」
「わかった。身の負けじゃ。」



「まったく、お上には困ったもんだよ。」
「仕方ないだろう。ずいぶん長いこと休んでいるからな。」
岩城は、褥に横たわったまま香藤を見あげた。
「いい加減、俺も起きたいんだがな。」
「ダメ。」
即座に首を振る香藤に、岩城は嘆息した。
「俺は、病人じゃないぞ? とっくに人型を取るだけの力は戻ってる。」
「それでも、ダメ。」
「・・・わかった。仕事ならこのままでも出来るからな。」
「ダメ。」
二度目の溜息をついて、岩城は黙り込んだ。
「ダメッたら、ダメ。ひと月はじっとしてて。」
「・・・腐りそうだな。」
「馬鹿なこと言わないの。」
「お前、ほんとに過保護すぎるぞ。」
香藤は、にっこりと笑って岩城の頬に唇を触れた。
「諦めてよ。俺にとっちゃ、岩城さんが一番大事なんだからね。」
「それはどうだかな。」
「なに、それ?」
香藤のふくれっ面に、岩城は声を上げて笑った。





2006年2月8日




サイト引越に伴い2012年12月14日に再掲載。