春隣 Spring steps

春隣(はるどなり)――― Spring steps ――― 1





岩城さんが、小さなため息をついた。
夜遅く帰宅して、ぱさりとコートをダイニングの椅子にひっかけて。
「どしたの?」
俺はソファから立ち上がって、横抱きに岩城さんを包み込んだ。
「何でもない」
照れたように笑って、きれいな指先でそっと俺の筋肉をなぞる。
俺の腕の中で、安心したみたいに弛緩する、愛しい身体。
それはもう、今朝と変わらない暖かさで。
―――別に何か、辛いことがあったわけじゃないみたいだね。
なら、いいんだ。
言いたくなったら、言ってくれれば。
俺はゆっくり、岩城さんを解放した。
「ご飯、食べた?」
「・・・いや」
「うーん、遅い時間だけど。リゾットくらいなら、いいかな」
俺はそう言って、キッチンに立った。



お風呂あがりの岩城さんが、パジャマにセーターをはおってテーブルについた。
ほかほかのリゾットには、冬野菜とベーコン。
これくらいなら、胃にもそんなに負担にならないよね。
「うまそうだな」
岩城さんはうれしそうに笑って、礼を言った。
無造作に乱れた、湿った髪のせいかもしれない。
それとも、スプーンで一口すくっては、フーフーしてるせいなのかな。
とにかく、おいしそうに食事をする岩城さんが、とても可愛く思えて。
俺は、その腕を捕らえてキスしたい衝動に襲われた。
―――いや、別にキスしたって、岩城さんは嫌がらないだろうけど。
俺だってもう、いい歳の大人なんだから。
恋人が夜食を食べる間くらい、待てる余裕が欲しいよね。



「岩城さん、明日は何着ていくの?」
明日は、映画『冬の蝉』の封切だ。
ハリウッドでのワールド・プレミア上映も大好評のうちに終了し、満を持しての日本全国一斉ロードショー。
俺たちは有楽町と日比谷の映画館で、監督や他の出演者と一緒に、初日の舞台挨拶に出ることになっていた。
いよいよ、映画の真価が問われる。
緊張しないといったら嘘になるけど、俺は案外、落ち着いていた。
俺たちが、最高のものを作るためにスタッフと力を合わせ、渾身の情熱を注いできた映画だ。
きっと、成功する。
そう確信できるだけの、手応えはあった。
「特に考えてはいないが・・・まあ無難にスーツだろう。おまえは?」
「・・・俺も、スーツにしようかな」
映画も俺の役もシリアスだから、ちょっとまじめな格好でもいいかもしれない。
岩城さんと並んで恥ずかしくない、そんな役者を目指してるんだから。
「・・・そうだな。ネクタイを貸してやるよ」
「うん」
俺はほうじ茶を淹れて、岩城さんに湯呑みを渡した。
芳ばしい香りが、鼻をつく。
「・・・香藤」
「ん?」
「明日・・・お義父さんたちも、来るのか?」
「ああ、有楽町プレミア? うん。金子さんに頼んで、実家に招待券を送ってもらったから。確認はしてないけど、来ると思うよ。何しろ俺が仕事してるとこ見るの、久しぶりだからね」
岩城さんは、うっすら笑った。
でもなんだか、ちょっと屈託がある感じで。
「・・・岩城さんの実家は?」
誰も来ないのかもしれない。
遠距離だし、まだしこりが残ってないわけじゃないから。
―――いや、招待だって、したかどうか。
「ああ、そうじゃない」
岩城さんが、俺の顔色を読んで首を振った。
「俺は本当に、気が利かなくて・・・。でも、清水さんが招待券を手配してくれてたんだ。兄貴が親父を連れて上京するって、昼間、電話があった」
照れたように笑う岩城さん。
俺も思わず、うれしくなる。
「よかったね。会うの、久しぶりでしょう」
「ああ・・・」
「・・・どうしたの?」
言いにくそうに、口ごもる。
もしかして・・・さっきのため息の原因か、これ。
「会いたくないわけじゃ、ないよね・・・?」
「・・・ちがうよ」
頬を染めて、岩城さんはちょっと決まり悪そうに笑った。
「・・・はじめて、だろ」
「え?」
「だから・・・おまえの家族と、うちの親父。顔を合わせるの」
「ああ、そういうこと!」
俺はやっと岩城さんの悩みの原因に思い当たって、破顔した。
岩城さんは、すねたように上目遣いで俺をにらむ。
「・・・何がおかしい」
「ごめん」
そういうことで、悩んじゃうんだ。
かわいいね、岩城さん。
俺は伸び上がって、岩城さんの鼻先にキスをした。



食事を終えた岩城さんの腕を引いて、俺はリビングに移動した。
「おい、香藤・・・」
ちょと眉を寄せて、俺を見つめて。
それでも岩城さんは、促されるままにソファに座った。
俺はどさりと床に腰を下ろし、岩城さんの両膝の間から恋人を見上げる。
くすりと笑って、岩城さんはそっと俺の髪をすいた。
なんだかペットを撫でてるみたいだよ、岩城さん。
気持ちいいから、いいけどね。
「今まで、さ」
「ん?」
「一度もきちんと、挨拶したことなかったよね。俺たちの家族ってさ」
「ああ・・・」
「だからさ、いい機会なんだよ、きっと。映画を口実に会うなら、どっちの家族にとっても、ちょっとは気が楽だろうしね。みんな大人なんだから、大丈夫だよ。・・・うちの親父たちは少なくても、岩城さんのお父さんに会えたら、うれしいと思うよ」
「そうだな・・・」
岩城さんは、困ったような笑顔を見せる。
「俺は・・・おまえのご両親には、本当によくしてもらってるから。感謝してるんだ。いやな顔ひとつせず、いつも本当の家族みたいに扱ってくれて―――」
「何、言ってるの!」
俺は岩城さんをさえぎった。
「今さらだよ。岩城さんは、うちの家族なの。もう何年もずっと、親父もお袋も、そう思ってるよ。俺の・・・」
俺は岩城さんを見上げて、にんまり笑った。
「・・・奥さんなのか、旦那さまなのか、未だに決めかねてるみたいだけどね」
岩城さんが、さっと顔を赤くした。
「そんなこと・・・」
頬を撫でるきれいな指先を、俺はそっと手のひらで捉えた。
「考えるなってほうが、無理みたいだね。・・・でもさすがに、聞けないでしょ。だからこっそり、岩城さんは嫁なのか婿なのか、悩んでるんだよ」
俺が冗談めかして言うと、岩城さんは、赤い顔のまま苦笑した。
「・・・心配、かけてるな」
「心配するのは親の仕事だって、思ってるよ」
「そうだな・・・。だからこそ、うちの親父に、おまえのご両親に礼のひとつでも言ってほしいんだが・・・」
岩城さんは俺の頭を引き寄せて、膝で挟み込んだ。
信じらんないけど―――無自覚でやってるんだよね、こういう仕草。
心臓に悪いよ、ほんと。
「・・・うちの兄貴なんかは、そこまで、割り切れないと思う。お礼どころか、お義父さんたちに失礼なこと、言うかもしれない」
「大丈夫でしょ」
俺は岩城さんの膝に、頬をこすりつけた。
ほんのりした肌の熱が、パジャマ越しに伝わってくる。
「・・・お義兄さん、世間体を気にするタイプだから」
こっそり言ったら、頭を小突かれた。
「痛いよ」
「ばか」
「心配しないで。大丈夫だよ、きっと」
「ああ・・・」
甘いテノールが、ちょっとかすれた。
「ねえ、岩城さん。ホントに夫婦って感じだよね、こういうの。・・・親戚づきあいの気苦労?」
「・・・ばか」
それは恥ずかしいけどうれしい、って意味の「ばか」だね。
俺は岩城さんの内腿に、そろりと指を這わせた。
悩むのはもうおしまい、って合図。
弾力のあるきれいな筋が、きゅっと緊張する。
ゆっくりゆっくり、シルクのパジャマの上から愛撫した。
もどかしいと、思って欲しくて。
「・・・香藤」
俺の髪にからんだ指に、力が入った。
「・・・二階、行こう・・・?」
ささやいたら、ちょっと笑われた。
「わかりやすいな、おまえは」
「だって岩城さん、いい匂いがするから」
俺は立ち上がって、岩城さんの腕を取った。
「・・・加減しろよ。明日は朝から、仕事だぞ」
岩城さんはそう言うと、先に立ってベッドルームに向かった。



「んん・・・」
深いキス。
岩城さんの息が鼻に抜けて、色っぽい。
ほのかなランプの灯火に浮かび上がる、しなやかな全裸。
潤いを帯びた、なめらかな素肌。
―――ほんとにいつも、思うけど。
どこをどう見ても、見事に男性の身体、なんだ。
きれいについた筋肉も、骨格も。
すらりと伸びた硬質の肢体も。
性器だって、立派だよね。
あんまり体毛の濃いほうじゃないけど。
でも。
どうしようもなく、そそられる。
この綺麗な人を、俺だけが自由にできる。
この綺麗な人が、俺だけにすべてを許して脚を開く。
そう考えるだけで、くらくらするんだ。
「あぁ・・・ふっ・・・ん・・・」
あえぎ声に、心臓がバクバクする。
岩城さんの両腕が俺の首にからみついた。
俺はぎゅっと、愛しくてたまらない恋人を抱きしめた。



「はぁ、ん・・・か・・・とぉ・・・」
夢見るようにうっとりと名前を呼ばれて、全身がしびれた。
「・・・い、わき・・・さんっ」
煽られて、俺はいっそう激しく腰をグラインドさせた。
岩城さんの最高にいいところ。
肛穴の奥の奥の、俺しか知らない聖地。
俺を求めてうねる、熱い肉壁。
そこを苛むようにペニスを叩きつけ、刺激を与えた。
何度も、何度も、いたぶるみたいに。
「ああぁ・・・あん・・・はうっ・・・!」
我を忘れたような、嬌声。
涙をこぼしながら、岩城さんが上半身をよじった。
荒い息をつきながら、夢中で、俺に腰を擦りつける。
快感にしびれながら、俺は岩城さんの痴態を見下ろした。
なんて、扇情的な人なんだろう。
岩城さんは俺にとってはもう、麻薬みたいなもので。
全身どこを見ても、触っても、俺は興奮する。
いつもいつも、抱いていたい。
この熱い肌を、キスの痕で埋め尽くしたい。
どれほど貪り尽くしても、まだ足りない。
そんな独占欲丸出しの願望で、頭がおかしくなりそうだった。
「んん・・・ねえ、いい? い・・・岩城さ・・・んっ」
細い腰を抱え直して、俺は聞いた。
岩城さんの身体を二つ折りにするみたいな、無理な姿勢のまま。
それでも岩城さんは、瞳を閉じたまま、頷いた。
眉を寄せて、俺にしがみついて。
俺は首を伸ばして、岩城さんの乳首に噛みついた。
「ああっ・・・!」
途端に、甘い悲鳴が上がった。
感じるんだよね、ここ。
下手すると乳首だけで達けるんじゃないかってくらい、敏感なんだ。
歯形がつくくらい、執拗に、俺はそこを責めた。
こらえきれずに、岩城さんのペニスが弾けた。
俺のペニスをぎゅうぎゅう締めつける内壁が、条件反射のように熱く震えた。
どうしようもない、酩酊感。
俺は仰け反る岩城さんの身体を支えながら、ラストスパートをかけた。
「やっ・・・あぁぁん・・・はぁ・・・んはっ」
半開きの唇からは唾液が伝い落ち、もう、かすれたような吐息まじりのあえぎ声しか、聞こえてこない。
桜色に染まって、痙攣する身体。
両脚が、するりと俺の腰にからみつく。
貪欲に俺を求め、誘い、翻弄する。
「いわ・・・きっ・・・さんっ!」
根こそぎ持っていかれそうな快感に、とうとう降参して。
俺は腰を叩きつけて、岩城さんの最奥で果てた。
「んあ・・・あ、あ、はぅ・・・っ」
中ではじける熱いしぶきに、岩城さんがのたうち回った。
俺はほてった愛しい身体を腕に抱いて、なだめるようにキスをした。
汗のしたたるうなじに。
まだ弛緩できずにいる肩に。
鎖骨の下の、消えかかったキスマークに。
好きだよ。
好きだよ。
好きだよ。
呪文のように、そう繰り返しながら。




ましゅまろんどん
11 December 2005


2012年10月26日、サイト引越にともない再掲載。サブタイトル改題。また、若干ですがテキストを修正しました。