春隣 Spring steps

春隣(はるどなり)――― Spring steps ――― 3





『冬の蝉』の有楽町プレミア。
何しろヴェネツィア映画祭で派手に話題をさらい、ハリウッドでも大好評の映画だ。
久々に世界が注目する邦画ってことで、配給側も制作会社も、かなり気合が入ってるらしい。
「岩城さん!」
「香藤くーん!」
「サインお願いしまーす」
「こっち向いて!」
映画館ビル前に車でつけると、待ち構えていたファンの大歓声が上がった。
報道カメラマンの焚くストロボライト。
携帯電話のカメラのフラッシュ。
差し出される花束やカード。
ロープを張ったその向こうの、何重もの人だかり。
差し出される、手、手、手。
―――びっくりするほどの喧騒だった。
「大丈夫か?」
ぶつけられた花束を無造作につかんだ岩城さんが、俺を振り返って苦笑した。
その笑顔を狙って、一斉にシャッター音が響く。
「ほんとに久しぶりだよ、こういうの!」
大声を出さないと、聞こえないくらいの騒ぎ。
「お兄ちゃーん・・・!」
その中で、か細い声が聞こえたのは、本当に偶然だ。
黄色い声を張り上げる女の子たちの波に揉みくちゃにされ、飲み込まれそうな俺の妹の姿。
「洋子!?」
俺は呆れて、大股で近づいた。
本来なら招待客は、とっくに館内に案内されてるはずだ。
「何してるんだ、おまえ!?」
「だって・・・遅刻しちゃって。どこから入っていいのか、わからないんだもん」
俺に向かって悲鳴を上げるファンたちに囲まれて、洋子は途方に暮れた顔をした。
「バッカ・・・トロすぎだろ、おまえ。親父たちは?」
「もう、中だと思う」
離れた場所にいた岩城さんが、こちらを向く。
俺たちのいる一角に、大勢の女の子たちがざざっと押し寄せた。
「洋子さん?」
妹の姿を見とめて、岩城さんが周囲に視線を走らせた。
「香藤、このままじゃ洋子さん、押しつぶされるぞ」
「うん」
俺は警備の職員に事情を説明して、洋子をロープの向こうから救出した。
女の子たちの嬌声が、ヒステリックなものに変わる。
洋子が首をすくめた。
「ごめんね! 家族なんだ!」
俺は苦笑して、気色ばんだ彼女たちに肩をすくめてみせた。
「俺たちはもうしばらくここにいるから、早く、清水さんと―――」
洋子にそれだけ言って、岩城さんはさっさと別の方向に歩いていった。
カメラに向かって笑顔を見せ、何枚かの色紙にペンを走らせる。
俺もそれにならって、ファンサービスに徹した。
目の端に、清水さんが洋子をかばうように会場に入って行くのが見えた。



プレミアっていうのは、俺たちにとっては仕事の場だ。
スポンサーや配給会社のお偉いさん。
DVDやサントラの制作会社の人たち。
海外マーケティング担当のエージェントさんたち。
マスコミや映画評論家。
滝沢監督やスタッフの面々。
原作の伊坂先生。
もちろん、共演者たち。
全員にきちんと挨拶し、お礼を言うのは、単なるマナーってだけじゃない。
今後の仕事につながる、大切なネットワーキングの機会でもある。
「ふえー・・・」
一応ひととおり義務を果たした頃には、もうくたくただった。
プレミア独特の熱気に、あてられた気分。
どさりとパイプ椅子に倒れこんだ俺を、岩城さんが立ったまま笑って見下ろした。
岩城さんの控え室。
「フルで芸能界復帰したら、こんなものじゃないぞ」
俺の髪を撫でながら、静かに言う。
「わかってるよー」
目の前の細い腰を抱きしめて、俺はグレイのスーツに額を擦りつけた。
「こら」
そろりと腰から下へ這いだした俺の右手を、岩城さんが捕まえた。
「この辺、辛そうだから」
頭の上で、苦笑混じりのため息。
「・・・そういうのは、気づかないでいいんだ」
それから、もう一度ため息。
今度は、俺が理由じゃないね?
「・・・どしたの?」
「すっかり忘れてたんだが―――」
岩城さんが、困ったみたいに笑った。
「何を?」
「あるだろ・・・ラブシーン」
あは、顔が赤い。
「あれを家族に見られると、思うとな」
そうか。
―――確かに俺、映画の中で、岩城さんを抱いてるよね。
『冬の蝉』は文学作品だから、そんなにあからさまな性表現があるわけじゃないけど。
それでも岩城さんは二度ほど、全裸で俺に組み敷かれてる。
いやもちろん、本当に全裸だったわけじゃないけど。
俺は、川原で裸に剥いた岩城さんの身体を思い出した。
輝くような白い肌。
あれ、日本中の人が、見るんだ・・・?
「うわ・・・やば」
「は?」
「あんなシーン、撮らせるんじゃなかったぁ」
頭を抱えた俺が何を考えてるか、岩城さんにはわかったらしい。
「また、そんなこと」
苦笑して、俺の髪をくしゃくしゃかき回した。
「話をそらすな」
「・・・そらしてなんか、ないけどさ」
ふと、記憶がよみがえった。
『身体の奥に、火をつけてくれ―――』
岩城さんの、熱いささやき。
草加とのただ一度かもしれない逢瀬にすべてを捧げる秋月の、痛々しいほどせつない心情。
―――もちろん俺だって、わかってる。
あれは裸だ、エッチだって、茶化せるようなシーンじゃない。
逃げ場のない、息が苦しくなるほどの想い。
ハッピーエンドなんてあり得なかった時代の、あだ花みたいな悲恋。
あまりにも純粋で、それゆえに哀しくて。
―――俺も、岩城さんも、それを演じるのに夢中だった。
「大丈夫だよ、岩城さん」
「・・・香藤」
「そりゃあ岩城さんは、恥ずかしいだろうけど。俺だって、きっと映画見るたびに、なんで岩城さんの肌見せちゃったんだろうって、後悔すると思うけど。・・・でも大丈夫。絶対大丈夫だよ」
岩城さんがひっそり笑った。
「おまえの大丈夫には、何の根拠もないんだがな・・・」
だけど、安心するんだよ、って言うみたいに。
岩城さんは、俺の肩にしっかりと手を回した。
「岩城さんのお父さんも、うちの家族も、あの映画を見たらわかるよ。あそこにいるのは、秋月と草加だって。それを役者の俺たちが演じてるんだって、わかってくれるよ」
「・・・ああ」
岩城さんが、ゆっくり腰をかがめた。
降りてくるキスを、俺は首を伸ばして受け止めた。
「ん・・・」
確かめるような、穏やかなキス。
岩城さんの片手が、やさしく頬を撫でる。
―――俺さ、岩城さんの手、すごい好きなんだ。
いつだってすごく雄弁に、岩城さんの思いを伝えてくれるから。



『冬の蝉』の封切上映は、大成功だった。
結局、俺たちはずっと、岩城さんの控え室にいたんだけど。
スタッフたちはモニター室から客席のようすを覗いていて、かなりの手応えを感じたって興奮してた。
最初の回は、抽選で選ばれた一般招待客200人を除けば、みんな業界関係者やマスコミばっかり。
それでもあふれる熱気で、拍手が止まらなかったらしい。
そんな話を内線電話で聞いて、舞台挨拶にそろそろ出ようかってとき。
ノックの音がした。
「失礼します。岩城さん・・・と、ああ、香藤さんもご一緒ですか」
映画館のスタッフが、顔を覗かせた。
「ご家族の方、お通ししてもよろしいですか」
「俺の・・・ですか?」
「そうです。お忙しければ、お断りしますが?」
ちらりと俺に視線を走らせてから、岩城さんが頷いた。
「いえ、構いません。お願いします」
入れ替わりに、岩城さんのお父さんとお兄さんが入ってきた。
俺は思わず、姿勢を正した。
「親父・・・兄さん。遠いところを来てくれて、ありがとう」
そう言ったきり、岩城さんはどう続けていいのか、わからないみたいだった。
「どうぞ」
俺は立ち上がって、お義父さんに席を勧めた。
俺に軽く会釈しながら椅子に座り、お義父さんが口を開いた。
「元気でやってるようだな」
今まで聞いたことがないくらい、柔らかな口調。
それだけで、岩城さんの緊張が解けるのがわかった。
「いい映画だった」
渋い低音で、一言。
その後ろでお義兄さんが、同意して頷く。
岩城さんが、小さな笑顔を見せた。
「・・・ありがとう」
顎をしゃくって、お義父さんが俺に視線を向けた。
「香藤さん」
「はいっ」
実を言うと、俺は未だにこの人が苦手で。
まともに視線を合わせると、情けないことに少々ビビッてしまう。
「ああいうことなのかと、思いましたよ」
「・・・え?」
虚をつかれて、俺はお義父さんをマジマジと見つめた。
「君と京介も、あの主人公の二人のようなものなのかもしれない」
淡々とした口調だった。
「・・・そう考えれば、京介のことはあきらめがつく。そう思うことに、しました」
お義父さんなりに、俺たちを理解しようとしてくれてるって、ことか。
ありがたくて―――俺は黙ったまま、頭を下げた。
「・・・あきらめって、親父」
岩城さんが苦笑した。
「俺たちは・・・『冬の蝉』のふたりとは、ちがうよ」
ちょっと首をかしげて考えてから。
岩城さんはすっと左手を差し出して、指輪をかざして見せた。
「・・・これを、香藤がくれたときは」
お義兄さんが、眉をひそめた。
「俺自身、香藤がいつまで俺と一緒にいてくれるのかって、思ってた」
「岩城さん!」
俺は抗議の声をあげた。
「ちょっと待って。それは聞き捨てできないよ!」
「いいから、香藤」
黙って最後まで、聞いていてくれ。
そう訴える視線に、俺はしぶしぶ口をつぐんだ。
「・・・でも、親父。今は言えるよ。香藤は俺を捨てない。一生、捨てない。俺は、こいつがいなければ生きていけないけど、香藤も・・・俺がいなくちゃ生きていけないんだ」
ちょっと言葉を切って、岩城さんは照れたように笑った。
迷いのない、きれいな笑顔。
「確かに、秋月と草加に似てるかもしれないけど。でも、違うんだ。・・・俺は、香藤のために死なない。命を投げ出してもいいなんて、絶対に思わない。死ぬのは簡単だけど、そんなことをしたら」
岩城さんが、ちらりと俺を振り向いて微笑した。
「こいつも、生きてはいないから。俺は、何があっても、香藤と一緒に生きていたいんだ」
澄んだ黒い瞳がきらめいた。
「親父、兄さん・・・俺たちの関係を受け入れてくれとは、言わない。こうやって許してもらえて、それだけで十分、感謝してる。・・・だから、見ていてほしい。わかってもらえるように努力するから。お互いを伴侶に選んだのは間違ってなかったって、一生かけて、証明するから。最期まで添い遂げる覚悟だから。そのときに、俺たちを認めてくれれば―――」
そう言って岩城さんは、お義父さんとお義兄さんに深々と頭を下げた。
俺も一緒に、頭を下げた。
しばしの沈黙。
ゴホンと、お義兄さんが咳払いをした。
「京介、いい加減にしろ」
「え・・・」
「そういうのは、のろけって言うんだ。親父の前で、恥ずかしげもなく・・・」
顔を真っ赤にして、あさっての方角を見ながら、早口に言う。
つられて岩城さんも、ぽっと頬を染めた。
―――ほんと、兄弟だよねえ。
お義父さんが、くすりと笑った。
「雅彦。京介から、まさか夫婦の心構えの説教を聞かされるとは、思わなかったな」
心外な顔をするお義兄さんを無視して、お義父さんが続けた。
「京介。おまえの言いたいことはわかった。だが、ひとつだけ間違っておる」
岩城さんが、目をみはる。
―――こういう仕草、ほんと意外と幼くて、かわいいよね。
「儂を、幾つだと思っている。おまえたちの一生なんぞ、見届けられるわけがない。どうしても証明したいなら、儂の生きてるうちに済ませなさい」
お義父さんは、ゆらりと立ち上がった。
「そろそろ、舞台挨拶の時間だろう」
もう一度俺に会釈して、お義父さんはドアを開けた。




ましゅまろんどん
11 December 2005


2012年10月30日、サイト引越にともない再掲載。若干ですがテキストを修正しました。