春隣 Spring steps

春隣(はるどなり)――― Spring steps ――― 4





舞台挨拶と、記者会見。
ファンとの交流イベントと称した、30分ほどの記念撮影。
その後開かれた関係者のパーティで、俺はようやく、うちの家族を見つけた。
「まあ洋二。あなた本当に、俳優さんだったのねえ」
ほうっとため息をついて、お袋が俺を見上げた。
「何だよ、それ?」
「いい映画だったってことよ。あんな難しい台詞をちゃんと覚えられるなんて、感心だわ」
―――もしかして俺、生みの親に本物のバカだと思われてたんだろうか。
親父はちょっとまぶしそうに、俺を見た。
「・・・いいスーツ、着てるじゃないか」
映画の話はスルーして、いきなりそんなことを言う。
「ああ、これ。岩城さんの見立てだから」
にっこり笑うと、洋子が脇から口を挟んだ。
「お兄ちゃん、お父さんはねえ・・・」
チキンウィングを頬ばりながら、無邪気に笑う。
さっきはファンの嫉妬の視線を浴びて、びびって泣きべそかいてたくせに。
「お兄ちゃんと岩城さんのラブシーン、恥ずかしくってまともに見れなかったんだよ。手で目を覆って、でも気になって、指の間から覗いてたんだから」
親父が憮然と、ワインをあおった。
「実生活とダブっちゃったんだよね、お父さん?」
「よしなさい、もう」
お袋が顔をしかめて、洋子をたしなめた。
「お兄ちゃん、岩城さんは?」
「今、監督と話してるよ。後でこっちに挨拶に来るって」
俺はパーティー会場の向こうのほうに、岩城さんを見つけた。
お父さんとお兄さんと一緒に、こっちに向かって来てる。
「岩城さん」
俺と視線が合って、岩城さんはちょっと照れたように笑った。
いよいよ両家のご対面タイム、みたいだ。



「お義父さん、お義母さん、洋子ちゃん。ご無沙汰してます」
足を止めるなり、岩城さんは丁寧に頭を下げた。
「こんばんは、岩城さん」
お袋がにこやかに答える。
「とってもいい映画で、感動しましたよ。ご苦労さまでしたね」
「すっごい良かった! 泣いちゃったよ、私」
岩城さんと俺の家族の打ち解けたようすに、岩城さんのお兄さんが目を丸くした。
「岩城さん、こちらは・・・?」
親父が、さりげなく紹介を促す。
「ああ、すいません。俺の親父と兄貴です。今朝、新潟から着いたところです」
「それはそれは―――」
お義父さんが何か言うより早く、うちの親父がさっと姿勢を正した。
こういうの、息子としてはありがたいよね。
「洋二の父です。ご挨拶が遅れまして、失礼しました。これは家内と、嫁に出した娘です」
岩城さんのお父さんも、襟を正した。
「どうぞ顔をお上げください。こちらこそ、ご無礼をいたしました。京介の父でございます。これは長男の雅彦でございます」
バカ丁寧な挨拶をする二人に、岩城さんがひそかに苦笑して俺を見る。
まあ、堅苦しいのはしょうがないよ、この場合。
「見てのとおり、京介は・・・まともな躾もしないうちに世間に飛び出た、不肖の息子でございます。ご迷惑をおかけしていないと、いいのですが」
「とんでもない!」
親父が声を上げて笑った。
「岩城さん・・・いや、京介くんのことですが。謙虚で折り目正しい、実に良くできた息子さんですよ。影響を受けて、うちの洋二がどれだけ人間として成長したか」
「そう、ですか」
「ええ、もう。手前味噌ですが、岩城さんとおつきあいするようになって、息子はどんどん大人になりました。精神的に落ち着いて、何と言うのか、家庭を守る男の自覚みたいなものが備わった。みんな、岩城さんのおかげです。・・・まあこれは、親の欲目かもしれませんが」
岩城さんが、いたたまれないように俯いた。
大まじめに誉められて、俺もちょっと恥ずかしい。
親父って、酒が入るとけっこうしゃべるんだよね。
「・・・今朝も家内と、しみじみ話していたんですよ。一人息子が同性の伴侶を選んだときは、正直この世の終わりみたいにショックだったものです。でも、気づいたらいつの間にか、自然に、岩城さんを家族の一員だと思えるようになった。ふたりの誠意が、私たちの偏見や戸惑いを融かしてしまった、とでも申しましょうか」
親父は満足げに頷いた。
「洋二は幸せ者です。二人いつも仲が良くて、こっちがあてられっぱなしですよ。今では、息子をもうひとり授かったと思っています」
「お義父さん―――」
頬を染めて、岩城さんがうれしそうに親父を見る。
―――いや、我ながら、大バカだと思うけど。
岩城さんのそんな表情にすら、心が騒いだ。
実の父親に嫉妬するなんて、みっともなさすぎ。
「お父さんったら、格好つけちゃって」
洋子がくすくす笑い出した。
「いつもは、出来すぎた嫁だ、洋二は最高の嫁を見つけたって言ってるくせに」
「・・・!!」
俺は天を仰いだ―――そんなこと人前で言うか、普通。
誰に似たんだ、その非常識さは。
お義兄さんの眉間に、さらに深いしわがよる。
岩城さんが、いっそう顔を赤らめた。



「シャンパンをどうぞ」
その緊迫感を、打ち破るように。
フルートグラスをトレイに載せたウェイターが、俺たちに酒をすすめた。
「乾杯しましょう」
岩城さんの深い湖のような瞳。
それだけを見つめて、俺は少しグラスを揚げた。
「みなさまのご健康と、映画の成功を祈って」
柔らかな笑顔を見せる岩城さん。
きれいだな・・・と思った、そのとき。
「あ、すみません!」
パーティー会場を縫うように歩いていたウェイターが、何かのはずみでよろけて、岩城さんの背中にぶつかった。
「え・・・!?」
頭上高く掲げられたトレイが、ぐらりと均衡を失った。
「あぶな・・・!」
一瞬のことだった。
派手な音を立てて、シャンパングラスがなだれ落ちる。
考える間もなく、俺は反射的に飛び出していた。
「岩城さんっ」
とっさに岩城さんの腕をつかんで、強引に引き寄せた。
岩城さんがちょっと顔をしかめる。
身をよじる体勢に、腰が痛んだのかもしれない。
俺が岩城さんを胸に抱えて、その場にしゃがみ込むのと。
無数のシャンパングラスが、俺の背中に雪崩を打って落ちてくるのと。
パチパチはじける発泡酒の匂いが、一気に鼻をつくのと。
洋子が悲鳴を上げるのは、ほとんど同時だった。
「キャー!」
「洋二!?」
俺たちの周りでひとしきり、ガラスが割れる音がした。
それから、静寂。
ワンテンポ遅れて、パーティーの喧騒が耳に戻ってきた。
―――もう大丈夫・・・?
俺は安心して、ほうっと吐息をついた。
ようやく緊張が解けて、一気に弛緩する。
「・・・香藤!?」
「うん、平気だよ。岩城さんは、大丈夫?」
丸まった岩城さんを抱き込んだまま、俺はささやいた。
「ああ・・・すまん」
「うん」
岩城さんが、コツンと額をくっつけてきた。
最近こうやって、甘えてくれるようになった。
「本当に怪我はないのか・・・?」
左手が、おそるおそるって感じで俺の背中をさする。
「びしょ濡れだ。せっかくのスーツが、台無しだな」
「うん」
俺は笑った。
「シャンパンのシミが抜けなかったら、新しいの、また見立ててね」
「ああ・・・」
とろけそうな微笑。
―――誰にも見せたくないよ、こういう顔。
俺は岩城さんの腰を支えながら、のっそり立ち上がった。
「だ、大丈夫ですか!?」
血相を変えて立ち尽くすウェイターに、俺はにっこり笑った。
「岩城さんに怪我はないから、気にしないでいいよ。このガラスの破片は、すぐ掃除してくれると助かるけど」
俺は壊れたシャンパングラスのかけらを、靴の先でつついた。
すっ飛んでいくウェイターを尻目に、俺は家族に向き直った。
気遣わしげな岩城さんの表情には、気づかないふり。
「たまにいいスーツ着ると、これだもんな」
ペロリと舌を出すと、お袋が苦笑した。
「着替えはないの?」
「今日は家からこの格好で来たから」
ハンカチを差し出されて、俺はシャンパンまみれの髪の毛を拭いた。
「・・・京介」
岩城さんのお父さんの低い声。
「儂はそろそろ、失礼する。汽車の時間があるんでな」
「親父―――」
そんなに急いで帰らなくても、うちに泊まっていけばいい。
そう言いかけて、言いあぐねて、岩城さんは思いとどまった感じだった。
―――ほんと、不器用な親子だよね。
「香藤さん」
お義父さんは、俺じゃなくて、俺の親父を呼んだ。
「失礼ですが、先にお暇させていただきます。ふつつかな息子ですが―――」
岩城さんをちらりと見て、言葉を続けた。
「どうぞ幾久しく、ご指導ご鞭撻のほどをお願い申し上げます。甘ったれの次男坊で、行き届かないところも多々ありましょうが。洋二さんがそれでもいいと仰るのでしたら、どうぞもらってやって下さい」
「!!」
岩城さんが、絶句した。
俺は笑った。
会心の笑顔がこぼれた。
―――だって、痛快すぎる。
笑って、岩城さんの腰を抱き寄せた。
「香藤・・・おい」
岩城さんが驚いて身を強張らせるのを封じて、お義父さんとお義兄さんをまっすぐ見据えた。
「ありがとうございます! それでもいいんじゃなくって、俺には、この岩城さんじゃないとダメなんです」
これだけはどうしても、言っておきたかった。
「お許しが出たので、岩城さんは遠慮なく頂きます。一生、幸せにします。―――っていうか、もうとっくに俺のものですけどね・・・あたっ」
岩城さんが、セクシーな細い腰を抱いてる俺の手の甲をつねった。
「痛いよ、岩城さん!」
「なに言ってるんだ、おまえ」
真っ赤になった岩城さんの頬を、俺は空いてる片手で撫でた。
すべすべのきれいな肌。
いつまでも触れていたくなる。
「何って、ホントのこと言ってるだけだよ。もう、照れないの」
恥らう可愛い岩城さんに、ホントは今すごくキスしたいけど。
二人の父親の目の前でそれをしたら、さすがに張り倒される気がして、俺は自重した。
「親父、行きましょう」
苦虫を噛みつぶしたような顔で、お義兄さんが言った。
ちらりと俺を睨んで、すたすた歩き出す。
―――何て言うか、さ。
以前みたいな敵意は感じないんだけど。
やっぱりお義兄さんは、俺のことが気に食わないらしい。
家族を見送りに行く岩城さんの背中を、俺はくすくす笑いながら見守った。




ましゅまろんどん
11 December 2005


2012年11月2日、サイト引越にともない再掲載。若干ですがテキストを修正しました。