第二話

Tu me manques 2 あなたがいないと淋しくて 《2》




『・・・おはよう、岩城さん』
香藤の眠そうな声が聞こえた。
日本を離れて3週間。
香藤はほとんど毎晩、電話をかけてくる。
日本時間では朝の7時ごろ。
不規則なスケジュールの上、深夜まで仕事が押すことの多い業界だ。
いつもこんな朝早い時間に起きるのは、そうとう辛いだろうと思う。
『・・・今日の撮影は、どうだった?』
「うん。バトー・ムーシュっていう平べったい船に乗って、セーヌ川をクルーズした。俺がふと見上げると、橋の上から、イレーヌが見てるっていうシーンなんだけど」
『いいね。観光してるみたいじゃない?』
「ああ、そうだな。でも寒いぞ。指がかじかんで、大変だった」
『あはは・・・雪国育ちの岩城さんが言うんだから、相当だね。なんて橋?』
「サン・ミシェル橋」
『うんと・・・どこかな』
カサカサと、紙の音。
香藤が地図を広げているのがわかった。
『ああ、見つけた。ポン・ヌフの隣りだね』
「そうなのか」
他愛ない会話。
一日のうちに起こったことを、お互い報告し合うだけだ。
それでも心が満たされる。
『・・・俺さあ。こないだDVD借りてきて見たんだ、《ポン・ヌフの恋人》』
「・・・おもしろくなかったんだろ」
香藤が照れたように笑った。
『うん。岩城さんがフランス映画に出るなら、ちょっと勉強しようと思ったんだよ。でもなんか、途中で眠たくなっちゃって』
「ああいう映画は、好き嫌いがあるから仕方ないだろうな。俺の映画を見るときは寝るなよ?」
『心配しなくても、眠れないよ。岩城さん見てたら』
岩城さんの出てる作品、ひとつだって見逃したことないよ。
香藤の声は、誇らしげだった。



『ねえ・・・岩城さん』
俺を呼ぶ声が、ふっと低くなった。
艶めいた予感に、俺の鼓動が早くなる。
「おまえ、まだ・・・朝なのに・・・」
くすりと、小さい笑い。
『朝だから、じゃない?』
セクシャルな、ひどくそそる大人の男の声で、ゆっくりと香藤は言った。
いつの間に、こんな挑発をするようになったんだろう。
『・・・もう勃ってるよ。岩城さんの声、聞いてるだけで』
情欲を煽るそのささやきに、俺は絡めとられる。
『岩城さんだって、俺がほしいでしょ・・・?』
「香藤・・・」
『もう身体、熱くなってるよね』
「・・・」
『嫌なら、言って・・・?』
どんなかたちであれ、香藤に求められるのだ。
遠く離れた恋人と愛し合えるのだ。
嫌なわけがない。
それをきちんと、伝えたかった。
「おまえ・・・が、望むなら、何でも―――」
『・・・岩城さん! もう、なんでそういうこと、いきなり言うかなあ』
香藤が、うれしそうに笑った。
『・・・何、着てるの?』
「シルクの・・・」
とろりと肌触りのいい、黒いシルクのパジャマ。
俺の肌色に似合うと、香藤が去年買ってきたものだ。
『ボタン、はずして・・・?』
吐息で頷いて、俺はゆっくりとパジャマの胸をはだけた。
「・・・全部・・・か?」
『うん。胸、触って。俺がするみたいに』
俺はそろりと自分の胸を撫でた。
硬くしこった乳首が、指にひっかかる。
目を閉じて、その感じてどうしようもない突起を自らもて遊んだ。
「ん・・・っ」
香藤がするように、やさしく、強く。
緩急をつけて揉みしだいた。
『声、聞かせて・・・岩城さん?』
香藤の声が、わずかにかすれた。
それを聞くだけで、身体の奥がずくんと疼く。
香藤の歯の感触を求めて、俺は尖った乳首に爪をたてた。
「・・・んっ・・・あぁ」
気がつくと、俺はせわしなく全身を愛撫していた。
香藤の手のひらの熱さを思い描きながら、体中に指をすべらせる。
どこを触っても肌が熱かった。
『ズボン脱いで。がまんできなかったら、触っていいよ』
その言葉を待っていたように。
俺はパジャマのボトムを、下着と一緒に太腿まで引きずり下ろした。
先端の濡れそぼった熱いペニスを掴み、香藤のリズムで愛撫する。
「ああ・・・ぁっ・・・ん」
もう何日、香藤に触れていないのだろう。
あとどれだけ、香藤と抱き合わない日々が続くのだろう。
―――気が遠くなりそうだった。
声はこんなにそばに、聞こえるのに。
『岩城さん・・・指、濡らして・・・?』
香藤の吐息が、興奮を伝えていた。
俺は、自分の指にそろりと舌を這わせた。
「んん・・・っ」
ぴちゃぴちゃと、猫が水を舐めるような音。
卑猥な音がしんと静まった部屋に響き、俺の羞恥をあおった。
『ちゃんと、たっぷり濡らしてね?』
「ばか・・・」
―――自分で、自分を犯す準備をする。
思わず、喉が鳴った。
破廉恥なその行為に、目眩がしそうだった。
『その手を、下に・・・』
どこへ、と香藤は言わなかった。
俺の手が宙をさまよう。
「か、とう・・・?」
『そんな声、出さないでよ』
そう言いながら、どこか香藤は楽しそうだ。
『岩城さんのいちばん感じるところに、触って・・・?』
意味深な言い方に、顔が火照った。



かなり、逡巡したのだが。
俺は結局くるりと身体を反転させ、枕に顔を押しつけた。
携帯電話を口元に置いて、うつ伏せのまま、そろりと腰をあげる。
素肌が、部屋のひんやりとした空気に晒された。
―――ばかやろう。
俺にこんなあさましい格好をさせるなんて。
内心で悪態をついた。
それでも。
香藤には見えないが、それでも。
香藤のいちばん喜ぶ姿勢を、とってやりたかった。
俺は唾液で濡れそぼった指を、ゆっくり後孔に這わせた。
「ん・・・あっ」
自分の指だというのにおそろしく感じて、吐息が震えた。
―――俺の、いちばん感じるところ。
そんなの、香藤と繋がるところに決まっている。
あふれるほどの愛を注がれ、時間をかけて作り変えられた、香藤だけを欲しがる身体。
今では、そこに香藤の熱い塊を迎え入れなければ、セックスだと思えないほど。
あいつに慣らされた身体は、あいつを受け入れる場所への刺激を、痛いほどに待ちわびていた。
俺はそこに指を二本、突き入れた。
「はう・・・っ」
『岩城さん、だめだよ、そんないきなり!』
俺が何をしたか、わかったのだろう。
香藤はなだめるような声を出した。
「くう・・・ん、ん、んっ」
ぎゅっと目をつぶり、俺をいつも翻弄する香藤の指を想像した。
『力を抜いて。もっとやさしく、内側、撫でてあげて?』
俺はそんなに乱暴じゃないよ、岩城さん。
そう苦笑されて、俺はふっと弛緩した。
『気持ち、いいでしょ? 熱くて、とろとろで―――』
俺の後孔を執拗にまさぐる、香藤の長い指。
それがゆっくりと奥に達し、俺のいちばん弱いところを愛撫する。
―――思い描くだけで、喉がカラカラに渇いた。
『そこだよ、岩城さん。やわらかい襞の、もっと奥・・・』
「あうん・・・ああっあっ・・・ふう・・・んっ」
衝撃に、腰が思わず跳ねた。
あえぎ声を抑えることができない。
『届いた? そこを強く、擦ってあげて』
何度も、何度もね。
したたる毒のように甘い囁き。
煽られるまま、俺は指を増やして、自分の最奥を抉った。
「んあぅ・・・ひぃ・・・!」
きつく、酷いくらいにきつく、やわらかい粘膜を擦り上げた。
熱い内壁がきゅんと収縮して、俺の指に絡みつく。
もっともっと欲しいと、肛内がはしたなく訴えていた。
気が遠くなりそうだ。
「ああぁ、ん、かとう、か・・・とぉ・・・!」
高みに駆けのぼる寸前の、恍惚の中で。
ふと、いきり立った香藤のペニスが、俺の脳裏に浮かんだ。
あの熱い、逞しいものは、ここにはない。
見ることも、触れることも出来ない。
俺を愛し、悦ばせ、極限まで蹂躙するそれの不在を、痛切に感じた。
『いい・・・よ、岩城さん・・・っ』
それでもたしかに、香藤の荒い息は耳元にあったから。
「かと、う―――」
『いわ・・・きさん!』
切羽詰まって俺を呼ぶ、香藤の掠れた声。
どんな顔をしているのか、身体がどんな状態なのか、俺には手に取るようにわかる。
俺が何よりも、香藤を愛しいと思う瞬間だった。
できるものなら、俺の中でいかせてやりたいのに。
「んん・・・ああぁっ!」
携帯電話に熱い吐息をそそぎこむようにして、俺は達した。
『い・・・わきさん・・・っ』
好きだよ。
そう言いながら、ほぼ同時に香藤が果てたのがわかった。



香藤も、俺も、相変わらず余裕がなかった。
そのことが、なぜか嬉しい。
一緒になって、もう長い。
セックスのときのお互いの反応など、とうに知り尽くしているのに。
それでもどうしようもなく、相手の媚態に興奮する。
出来るものなら、いつでも抱き合いたいと思う。
たとえ、恋人の姿が見えないときでも。
たとえ、恋人に触れられないときでさえも。



『い、わきさん―――』
「・・・ん?」
情事の余韻で熱っぽい香藤の声に、俺はやっと息を整えて答えた。
『・・・会いたいよ』
「ばか・・・」
それは禁句だ。
口にしたら、押さえ込んでいたものが溢れてしまうから。
すれ違いは、これまでも何度も体験した。
今回の別離も、それの延長だと思っていた。
―――だけど。
手を伸ばせば届く距離にいて、一緒にいる時間が思うように取れないのと。
はるか海の向こうに身を置いてしまうのとは、まったくちがう。
香藤がそばにいない。
それがこれほど苦しいなんて、知らなかった。
「香藤・・・」
『・・・岩城さん』
やるせなくて、俺は携帯電話に何度目かのキスをした。



fin




le 5 novembre 2005
藤乃めい



サイト引越に伴い2012年11月8日に再掲載。
当初のテキストに若干ながら加筆・修正をしています。