ゆらめく情動

ゆらめく情動 1


思ったより早く仕事が終わり、マンションに帰ってきたのは午後五時すぎだった。
風呂あがり、ビールの缶を持ってどさりとソファに沈み込む。
肩にかけたタオルで髪をふきながら、夕日の差す窓をぼんやり眺めた。
そろそろ帰宅ラッシュの時間だろうが、外の喧騒はここまでは届かない。
静かだな、と思った。
雑然としたリビングが、心なしか広く感じる。
―――あいつがいないというだけで。


ハワイから帰ってきてから一月ばかり。
なぜ香藤の妹の結婚式に出席したのか、俺はいまだに答えが出せずにいた。


香藤に望まれるままに休暇を取って同行し、同じホテルの部屋で過ごした。
あまつさえ、のこのこと香藤の両親に挨拶までしに行った。
どの面さげて、となじられても当然の状況だったと思う。
あいつと肩を並べて、教会の席に着きさえした。
参列者の痛いほどの好奇の目にさらされながら。
同棲中だの、熱愛中だの、ただでさえ世間に騒がれている俺たちだ。
そんなことをすれば、恋人同士だというマスコミの報道を肯定するだけだとわかっていたのに。
そういうふうに注目を浴びるのが、何よりきらいだったはずなのに。
―――強引にねだられ、押し切られたから、というのは簡単だ。
実際、そのとおりだと思う。
でも。
本気でいやだと言えばあいつが無理強いしないことを、俺は知っている。
あいつが勝手に決めたことだと言い訳しながら、俺にはわかっていた。
―――すべて、結局は、俺の意志でしたことだ。


ハワイでの数日間。
はしゃぐ香藤に辟易しつつも、毎晩拒むこともなく抱き合い、あいつの腕の中で眠った。
雰囲気に流され、真昼間のビーチで、思い出すだけで顔から火が出るほど恥ずかしい行為に及んだことは・・・できるものなら忘れたいが。


香藤との関係を、俺は持て余していた。
まっすぐに俺を見つめる香藤を、俺は受けとめることも、拒否することもできない。
はた迷惑なパッションに溺れそうになる。
実際、あいつとセックスすることに、とうに抵抗など感じなくなっている。
悔しいが―――俺は、香藤の熱に逆らえない。
俺の人生を引っかき回し、俺を好きだと宣言してはばからない男。
あいつに甘すぎる自分。
あいつをかわいいと思ってしまう自分。
愛していると、セックスの最中に甘くささやかれることにさえ、いつの間にか慣れてしまった。
なぜ、許してしまうのか。
なぜ、感じてしまうのか。
俺は答えを出すことを怖れていた。



*-*-*-*-*-*-*-*



「なんだって?」
その晩、香藤はしごく上機嫌だった。


「だからね。洋子が明日、久しぶりに東京に出るから、そのついでに、俺たちに結婚式の写真を見せに来たいって。ちょうど午後から、オフ重なってるでしょう」
きっと岩城さんに会いたいんですよ、と香藤は笑った。
俺は眉をしかめた。
「・・・都合悪いですか?」
このところ、俺がオフの予定をひとりで勝手に決めないことを。
別に香藤に合わせるつもりはないが、それでも香藤が何か計画しているかどうか、さりげなく確かめておくようになった俺を、知ってるくせに。
「そうじゃないが」
そっと視線をめぐらせた。
―――この男にはわからないだろう。
リビングの一角を占拠する香藤のダブルベッド。
ふだん来客があるような家ではないからいいが、誰が訪ねて来ても、隠せるようなしろものではない。
俺たちが抱き合う場所。
俺が、香藤に抱かれる場所。
それを、香藤の妹に見せるというのか。


「洋子に会うの、いや?」
「そういうわけじゃない」
「じゃあ、どうしてそんな困った顔するの?」
「困ってなんか・・・」
香藤がくすりと笑って、子供にするように俺の頬を指でつんとつついた。
「気が乗らないって、顔に書いてありますよ、岩城さん」
俺は、ため息をついた。
香藤と俺が生活している場所に、香藤の家族が訪ねてくる。
それを、俺たちが揃って出迎える。
―――まるで、ごくふつうの、あたりまえの恋人同士のように。
軽蔑され、否定されるよりむしろ、そうやって受け入れられてしまうほうが居心地が悪い。
彼らにとって俺は、どういう存在なのだろう。
どうしても、考えてしまうから。
香藤の家の人間が、俺たちの関係をことさら強調するようなダブルベッドを目にする。
それが、いたたまれない。


香藤は、ねえいいでしょ、とは言わなかった。
珍しく低姿勢で俺の意向を聞くのは、ここがそもそも俺のマンションだからだろう。
香藤なりに、突然転がり込んできて強引に同居を始めたことを気にしてるのか。
俺がうんと言わなければ、さりげなく妹に断りを入れるだろう。
仕事の都合とか何とか、言い訳はどうとでもつく。
だが。
「・・・掃除は、おまえがしろよ」
結局、俺はそう言った。
仲のいい兄妹が久しぶりに会うのを、邪魔したくはない。
「うん」
香藤の腕が、ソファの後ろから俺を抱きしめた。
俺は黙って目を閉じた。
「岩城さん・・・」
香藤の熱い吐息が近づく気配。
ありがと、という言葉がかすかに聞こえた。




ましゅまろんどん
22 October 2005


2012年10月11日、サイト引越にともない再掲載。文章に最低限の改訂を施しています。