ゆらめく情動

ゆらめく情動 3


マンションに戻ると、香藤が熱心にトイレ掃除をしていた。
ファンには見せたくない姿だが、堂に入ったものだ。


「あ、岩城さん、おかえりなさい」
いつもどおりの屈託のない笑顔。
「リビング、あれで片づけたつもりなのか?」
「うん。まあ、どうせ洋子だからね、そんなに気にすることないかと思って。でもさすがに洗面所はさ、清潔じゃないといやでしょう。女の子は特にそういうの、神経質だから」
男ふたり暮らしだからって、きれいにしてないと思われたらやだからね、と香藤は笑った。
「・・・そうか」
そういう気の回し方は、俺にはできない。
「洋子さん、何時に来るんだ?」
「もうそろそろだと思うよ」
コーヒーでも淹れておくか、と思ったときだった。
玄関のチャイムの音。
「おい、香藤」
「ごめん岩城さん、出てくれる? 俺、今こっち終わらせるから!」


「うわあ、ほんとのほんとに、本物の岩城さんだ―――!」
―――洋子さんが、香藤そっくりの性格をしているということを、俺は忘れていた。
玄関を入ってくるなり、満面の笑みで挨拶したあとの第一声。
俺をまじまじと見つめて、ほうっと吐息をついている。
「こんにちは。香藤は今、ちょっと手が離せないんで・・・」
見上げる瞳は、きれいにメイクが施されていることを除けば、香藤そっくりだ。
かわいい子だな、と思った。
「どうぞ、こっちへ」
「お邪魔します、岩城さん。お忙しいのに、押しかけて来てごめんなさい」
ペコリと頭を下げるそのしぐさは幼い。
とても人妻とは思えなかった。
もっとも、香藤より歳下なのだから、実際20歳をようやく過ぎたところだろう。


洋子さんを連れてリビングに戻ると、ちょうど着替えた香藤が現れた。
「お兄ちゃん!」
「おう、元気か」
ぶっきらぼうな口調だが、目がとてもやさしい。
「お兄ちゃん、ほんとに岩城さんと暮らしてるんだねー」
「なんだ、そりゃ」
「だって、すっごいかっこいいよ、岩城さん! 足ふるえちゃったよ、私。なんであんなかっこいい人が、お兄ちゃん選んだのか、すっごい不思議」
「おまえなあ・・・」
こそこそ兄妹どうしの会話なのだが、もちろん筒抜けだ。
洋子さんは、雑然としたリビングをぐるりと見回した。
「・・・何ここ、お兄ちゃんの部屋なんだ」
「そうだよ」
「なんか―――岩城さんがちょっとかわいそうかも」
「なんでだよ?」
「だってここ、ほんとはリビングでしょ? 居間をお兄ちゃんが占領しちゃってたら、岩城さん、くつろぐところがないじゃない」
「俺がいたら、岩城さんがくつろげないってのか? 失礼なやつだな」
「洋子さん・・・」
ソファに座るように勧めようとしたときだった。
「ちょっと、何これ!」
唐突に声をあげると、彼女は猛然と香藤のベッドに近づいた。
俺の心臓がトクリと跳ねた。
「何って、何だよ?」
「このベッドカバー、あんまりだよー」
洋子さんが、派手なヒョウ柄のカバーをぽんぽんと叩いた。
彼女の意見には同感だったので、俺は少しおかしくなった。
「ブランド物だぞ、それ。いくらしたと思ってるんだ」
香藤の声はいかにも不服そうだ。
「あー、やだやだ。ブランドだからってセンスがいいとは限らないでしょ。お兄ちゃん、趣味悪すぎ。だいたい、この部屋に似合わないじゃない、こんなの!」
「うるさい。人の家に上がったとたんケチつけるな。おまえは小姑かっての」
子供のようにすねた顔で香藤が文句を言った。
「何言ってんのよ、お兄ちゃん」
洋子さんが呆れた声で応酬する。
「ホント、わかってないんだから。こんな悪趣味なベッドに寝かされる岩城さんの身にもなってあげてよ」
さらりとそんなことを言う。
俺の鼓動がもう一回、トクリと跳ね上がった。
―――いやもう、これは、笑うしかないか。
「・・・え、岩城さん?」
くすくす笑いをこらえてる俺を、香藤は不思議そうに見た。
まったく、なんて兄妹だ。
俺が昨日から気に病んでいたことを、彼女はほんの一言で片づけてしまった。
俺たちが、一緒に住んでいる意味を。
俺たちが、香藤のベッドで抱き合うということを。
彼女は当然だと思っているわけか。
香藤と俺の関係を、ふつうの恋人同士だと思えるのか。
―――俺にはとても、そんな考え方はできない。
同性の身体で抱き合うことを、どうしても禁忌だと思ってしまうから。
すごいな、と素直に思えた。


コーヒーを出したところで、洋子さんがアルバムを広げた。
「これ、見てください」
はにかんだように笑う。
分厚いアルバムを受け取って、俺はページをめくった。
「ちょっと待って、ここじゃ見えないから」
香藤が席を立ち、ソファの背に腰を下ろした。
後ろから俺を膝で挟み込むかっこうで、一段高いところから覗き込む。
「おい、香藤・・・」
俺はその膝を叩いた。
妹の前で、じゃれつかなくてもいいだろうに。
「んもう、よしてよ。見せつけてくれなくても、お兄ちゃんたちがラブラブなのはよーくわかってるから」
新婚なのは私よ、と洋子さんは口をとがらせた。


洋子さんの話に頷きながら、ページをめくった。
写真からはちきれそうな、晴れやかな花嫁の笑顔。
まぶしい笑顔が、南国のディープブルーの空に映える。
きれいだと思った。
―――ウェディングドレスを着た美女に向かって失礼だが、やはり、香藤に似ているとも。
「ああ、この写真はいいな・・・」
友人たちとふざけあう、花嫁の幸せそうな表情。
それを指差した途端、後ろから大きな手のひらに目を塞がれた。
「・・・何してるんだ、おまえ」
顔の半分を覆われて、俺は憮然とした声で言った。
「岩城さん」
香藤の困ったような声。
早くこの手をどけろ、と言おうとしたのだが。
「・・・そういう顔、たとえ妹の前でも、しないでください」
「はあ?」
洋子さんが笑い出した。
「お兄ちゃん、嫉妬してるんだ!?」
俺は、香藤の指を無理やり引っ剥がした。
とび色の瞳が、すねたようにあさっての方向を向く。
「悪いか。俺は誰にでも妬くんだよ。・・・岩城さん、すっごいうれしそうに洋子の晴れ姿、見てるんだもん」
「馬鹿か、おまえは・・・」
ため息をついてみせながら。
俺はまた自問した。
―――うれしそう、だったのだろうか。
香藤をほうふつとさせる笑顔を見ながら・・・?


次のページをめくると、俺と香藤のツーショットがあった。
挙式の後の、チャペルの中庭。
新郎新婦が出てくるのを待っている間のスナップショットだろう。
どういうきっかけだったのか、覚えていないが。
香藤が何か話しかけ、それにちょうど俺が振り向いたような感じだった。
俺の身体を引き寄せるように、腕に手をかけている香藤。
耳にキスをするみたいに唇を近づけた、その横顔。
とろけるような優しい目で、俺を見つめていた。
その香藤の瞳を、至近距離でのぞき込む俺の顔は―――。
何と言うのか・・・幸せそう、だった。
甘ったるいと言っていいくらい緩んだ表情。
―――俺はこんな顔で、香藤を見ていたのか。
俺はこんな顔が、できるのか。
頬に朱が上るのが、自分でわかった。
香藤が俺を後ろから抱きしめた。
よせ、と言おうとしたが、いまさら不毛なことに気づいて、俺は抵抗をあきらめた。
「もう、この人たちは・・・やってらんない!」
頬を染めて、彼女は天を仰いだ。
「・・・この写真の岩城さん、すっごいきれいだよ」
きれい。
耳慣れない形容詞。
少なくても、大の男に向かって言うセリフではないだろう。
それも、若い女性の前で。
「おい、香藤・・・」
「それはホントですよー、岩城さん」
洋子さんがにっこり笑う。
「その写真撮ったの、親友なんです。前から岩城さんのファンで、香藤洋二とくっついたの、許せない!ってずっと言ってるんですけど」
おかしそうに笑った。
「でもね、その写真見て、こりゃだめだって思ったって。あの岩城京介がこんな顔するなんて、よっぽどのことだって。岩城さん、ほんときれいですもん」
俺は言葉につまった。
「洋子」
「なに?」
「・・・そのくらいにしとけ」
ぼそりと言って、香藤は立ち上がった。
「お兄ちゃん?」
「・・・便所」
その背中を、俺は黙って見送った。
―――ばか。
俺が困ってるのがわかってるなら、俺をひとりにするな。


「ねえ、岩城さん?」
洋子さんが、俺を見つめた。
「本気、なんですね」
おだやかな、でも真剣な口調だった。
俺はどう答えるべきかわからず、あいまいに頷いた。
「結婚式に来てくださったとき。本当にびっくりしました。うれしかったけど、まさか、って思いもあって」
「洋子さん・・・」
「ずっと心のどこかで、ヤラセみたいなものなんだろうって思ってたんです、お兄ちゃんとのこと。・・・もちろん、お兄ちゃんが岩城さんにのぼせあがっているのは、前から知ってましたけど」
そう言って、彼女はくつくつと笑った。
「岩城さん、たぶん知らないんですよね。お兄ちゃんのカミングアウト」
「・・・カミングアウト?」
「そう。両親の前で、ぬけぬけとねー」
ちょうど戻ってきた香藤が、顔をしかめた。
「おい、洋子。余計なこと言うな」
「いいでしょ、本当のことだもん。・・・岩城さん。お兄ちゃんね。もう半年くらい前だけど、久しぶりに実家に帰ってきたと思ったら、いきなり爆弾宣言したんですよ。俺の子供は一生できないから、孫が見たかったら、さっさと洋子を嫁にやってくれって。両親、さすがにびっくりしちゃって。どうしてだって聞かれて―――」
洋子さんが、思い出し笑いをした。
「・・・だって俺、岩城さんに惚れてるんだって。本人はまだ気づいてないけど、岩城さんは運命の相手で、一生のパートナーだって。まじめな顔して言うんです」
「・・・はあ」
今度は香藤が天を仰ぐ番だった。
「そうしたら父が、おまえをホモに育てた覚えはないって言ったんで、ケンカになっちゃって。大変でしたよー。あんな派手な親子ゲンカ、何年ぶりだろうって感じ。結局、母が何とかなだめたんです。岩城さんの気持ちもわからないうちから、もめることないって。・・・お兄ちゃんの一方的な思い込みだって。一過性の腫れ物みたいなものだって、思ってたから」
「・・・そうですか・・・」
「だから父は、ハワイで岩城さんに会って、逆上しちゃったんだと思います。でも、私はうれしかった。本気じゃなかったら、岩城さんみたいな人がお兄ちゃんと一緒にハワイまで来てくれるはずがないって、わかったから」
強い光を宿す、明るいとび色の瞳。
―――ああ、本当に香藤によく似ている。
「岩城さん。不肖の兄ですけど、あらためてよろしくお願いします。いろいろあったけど、両親も私も、お兄ちゃんに幸せになってほしい。それだけなんです」
ぴょこんと頭を下げられて、俺はあわてた。
「あの、洋子さん」
「おい、洋子・・・」
「岩城さんとおつきあいするようになって、お兄ちゃん、本当に変わりました。相変わらずお調子者だけど、でもすごく大人になったし、とにかく幸せそうです。・・・世間で何を言われても、私はお兄ちゃんと岩城さんを、応援しますから!」
おれはとうとう絶句した。
香藤が苦笑し、ごめんね、と目配せしてきた。
包み込むような、やさしい視線。
それを目ざとくみつけて、洋子さんがまたうれしそうに笑った。
―――まったく、この兄妹は、心臓に悪い。




ましゅまろんどん
22 October 2005


2012年10月11日、サイト引越にともない再掲載。文章に最低限の改訂を施しています。