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クラスに新人が入ってきた。 日本人のアクターで、ヨウジと名乗った。 東洋人としては珍しく背が高い奴で、やたら愛想がいい。 クラスの女たちが、笑顔がキュートだと騒いでいた。 あいつ結婚指輪、してたけどな。 女泣かせのスタッドを気取るマイクは、面白くなさそうだ。 |
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新人は、日本ではけっこう売れた役者だったらしい。 ま、「本国に帰ればスター」なんて奴は、ハリウッドにはごまんといる。 俺だって、イギリスではテレビドラマに何度か出演してるしな。 でもみんなアメリカで成功したくて、こうやって来るんだ。 ハリウッドでの野心を聞いたら、ヨウジは笑って首を振った。 こっちで仕事をするのは面白いだろうが、ベースは日本だと断言しやがった。 ただ、前進したいのだ、と。 強がりを言っているようには思えなかった。 おかしな奴だ。 |
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ヨウジに頼まれて、レッスンの後に近所のジムを紹介した。 マッチョのスティーヴがついてきたのは、まあ敵情視察というところか。 日本人っていうと、ひょろりと女みたいな体型の男が多いと聞いていたが。 ヨウジはまったく、見事な体格をしていた。 アスリートって感じでもないが、身体を鍛えるのは好きらしい。 ゲイのインストラクターが、奴の下半身を熱い目で見ていた。 ヨウジは気づきもしなかった。 |
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演技力ってのは、言語能力とは関係ない。 ヨウジを見ていると、本当にそう思う。 英語はイマイチだが(本人もそれを自覚してる)、なんと言うのか、奴の演技には説得力がある。 華がある。 人の視線を釘づけにするパワー、というべきか。 コーチが誉めると、奴は嬉しそうに笑う。 屈託ない、子供みたいな顔をして。 演じているときとのギャップが面白い。 |
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ジェニファーが、ヨウジにワイフのことを聞いた。 これみよがしの結婚指輪が、どうしても気になるらしい。 奴は笑って、「Too busy working in Japan」とあっさり言った。 食わせてもらってる、とも。 とびきりの美人らしい。 ・・・ま、アジアの女は、独特の色気があるよな。 長いことほったらかしにしてると浮気されるぞ、と脅かしてやったら、ニンマリ笑いやがった。 「Loves me too much」だと。 イヤミな男だ。 |
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サビーヌが、どうもヨウジを気に入ったらしい。 何かと言うとまとわりついて世話を焼くので、彼女に憧れてる男たちが文句を言い始めた。 ま、フランス女ってだけでちやほやするような奴らだ。 本気でヨウジを憎んでるわけじゃないだろうが、クラスの雰囲気が悪くなるのは困る。 俺たちはみんなライバルだが、一緒に学ぶ仲間でもあるから。 それにしても、ヨウジはまったく鈍感だ。 女優志願の若い女たちに囲まれても、行儀よく笑ってるだけだ。 いかにも女好きに見えるんだが。 |
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ヨウジが30歳だと聞いて、周囲が一様に驚いた。 俺も、せいぜい同世代くらいだろうと思ってた。 若く見えるが、確かにあまりはしゃいだところはないな。 世帯を持ってる落ち着き、ってことか(子供はいないらしい)。 自分が何を目指しているのか、きっちり理解してる感じだ。 |
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スキャットの練習のあと、みんなで飲みに出かけた。 ダウンタウンの安いバーでワイワイやっていたら、日本人の留学生グループが近づいてきた。 幼く見えるのに化粧のきつい女の子ばっかり、10人くらい。 ヨウジを見つけて大騒ぎだ。 奴が日本でスターだったというのは、嘘じゃないらしい。 彼女たちが写真を撮り、サインをねだる間、ヨウジはいやな顔ひとつ見せなかった。 自分のファンに会って嬉しい、って感じはなかったけどな。 ファンサービスにも馴れてる感じだった。 |
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ヨウジは時々、ブレイクの最中に姿を消す。 携帯電話を握りしめて、ビルの外に出てしまう。 ワイフへの電話なのは間違いないが、戻って来ると、何とも言えない寂しい表情をしてる。 疼痛を伴う喜び、という感じだ。 「Misses me a lot」とおどけて言うが、いつも少しだけ辛そうだ。 そんな奴を見るサビーヌも似たような顔をする。 諦めたほうがいいと思うが、外野が口を出すようなことじゃないだろう。 |
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ときどき、ヨウジはすっごい金持ちなんじゃないかと思うときがある。 いや別に、金があるかどうかは、クラスの中では関係ないが。 奴がそれをひけらかしたりするわけでもないが。 それでも、ふだん何気なく着こなしている服やアクセサリーが、ファッション雑誌に載ってる超一流のブランド品だったりする。 先日も、街中を走ってた高級ドイツ車を見て、うちの車と同じだと懐かしそうに呟いた。 いったいどういうバックグラウンドを持った奴なのか、気になるな。 |
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スシ・パーティをやることになって、仲間たち数人でヨウジのアパートに押しかけた。 日本人は家でスシを作らない、と奴は言い張ったが、場所を貸すのは快く承知した。 奴はボロアパートだというが、俺たちのステュディオに比べたら十分贅沢で、けっこう広かった。 俺たちはサシミだのヴィネガーだのサケだのを調達して、賑やかにスシをこしらえた。 見よう見まねなので、いい加減なものだ。 スシ・バーで見かけるのとはほど遠い不細工な代物だったが、味は悪くなかった。 箸の使い方を知らないサビーヌに、ヨウジは丁寧に教えてやっていた。 気を持たせるようなことを・・・してるって自覚は、ないんだろうな。 ああいう優しさは、女には残酷かもしれない。 サケの飲みすぎで、ジェニファーが途中でぶっ倒れた。 俺たちは慌てて、隣の寝室に彼女を運び込んだ。 それで、見たんだ。 ヨウジのベッドルーム。 いたるところに写真が貼ってあった。 まるでティーンエイジャーが、憧れのスターのピンナップを飾るみたいに。 切れ長の瞳の、ひどくハンサムな男の写真だ。 黒髪の日本人(たぶん)。 どの写真も、まっすぐにこちらを見据えていた。 俺と、マイクと、サビーヌは、思わず顔を見合わせた。 一足遅れて、水のグラスを持って部屋に入ってきたヨウジは、俺たちの気まずい沈黙に眉をひそめた。 それから、ああ、という感じで壁の写真にそっと触れた。 まるでその黒髪を撫でるように。 「My honey」と、ヨウジは低い声でさらりと言ってのけた。 文句があるか、と微笑したその顔は、今まで見たことがないくらい自信・・・いや、誇りに満ちていた。 ああいう顔をされると、何も言えない。 サビーヌは、シーツみたいに真っ白な顔をしていた。 |
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昨日の件はちょっと驚いたが、考えてみれば、ハリウッドの役者でゲイなんてあたりまえの話だ。 日本人のゲイというのは初めて見た、それだけのことだ。 マイクは昨夜以来、ヨウジに話しかけなくなった。 ジェニファーは、ヨウジはゲイじゃないはずだ、と首を傾げていた。 俺や他の連中はいつも通りだ。 サビーヌは、今日のレッスンには来なかった。 |
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仲間たちとつるんで、×××ビーチに行った。 ヨウジがサーフィンの腕前を見せるというので、女たちはえらく興奮していた。 奴がウェットスーツに着替えただけで、黄色い声を張り上げる。 まあ、いつものことだ。 最近は、ヨウジに張り合うのはやめた。 所詮ああいう華のある奴には敵わない。 波乗りは気持ちよさそうで、俺も試してみたくなった。 |
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ヨウジが、俺たちにチケットをくれた。 主演映画のプレミア上映があるから、見に来いという。 いきなり何を言い出すのかと思ったが、とりあえず受け取った。 |
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チャイニーズ・シアター前のレッド・カーペット。 俺たちは正直言って、度肝を抜かれた。 ハリウッドのAリストが勢ぞろいのプレミアの中心に―――ヨウジと、それから、あの男がいた。 ヨウジが「ハニー」と呼んだ、あの黒髪。 ヨウジとほとんど変わらない背格好の、端正な美貌の男だ。 年齢はもしかしたら、ヨウジより少し上かもしれない。 華やかなスポットライトを浴びた二人を、俺たちは呆然と眺めていた。 同じ演劇学校でちまちまレッスンを受けていた奴が、こんな晴れ舞台に立つなんて、そうそう信じられるものじゃない。 映画『冬の蝉』はサムライの悲恋もので、不覚にも、俺は最後の場面で目頭が熱くなった。 ヨウジは本当に才能のある役者なんだと、少々の嫉妬と共に認識した。 ヨウジの恋人もそうだ。 ただ、二人の立ち姿を見ていて、とてもそういう関係には思えなかった。 一応紹介はされたが、やはり、恋人同士の甘さは感じられなかった。 いや、ヨウジの視線は、十分愛情に満ちていたが。 それを受け止めるほう(キョウスケという名前だ)は、取り繕った感じだった。 ハニーというのは、映画の中でのことかもしれない、と思った。 (ベッドルームの写真は???) |
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プレミアの翌日、俺たちは行きつけのダイナーに集まった。 パーティではまともに話もできなかったので、あらためてヨウジを呼び出したのた。 予定の時間をとっくにオーバーして、ジェニファーが電話を入れようとしたとき。 ヨウジが、キョウスケを連れて現れた。 奴はいつもと同じ、太陽みたいな笑顔だったが。 俺たちは、カジュアルな服装(どう見てもヨウジの服だ)で登場したキョウスケを見て、絶句した。 こんなに驚いたのは、何年ぶりだろう。 確かに、前夜はフォーマルな場だったせいもあるだろう。 だが、遅れてすまない、と照れくさそうに謝るキョウスケは、昨日とは別人だった。 (彼は日本語で話し、ヨウジが通訳した。) 頬を染めたその表情からして違った。 昨日の彼がポーセリンの人形だとすれば、今日の彼は血の通った人間。 そのくらいの落差があった。 ヨウジに腰を抱かれて席に着いたキョウスケは、なんと言うのか、気だるげな色気を発散していた。 服装も態度も、どこにも女っぽいところなんてまったくないのに、その場にいた女たちを凌駕する、危うい雰囲気を撒き散らしていた。 ほとんど正視できないくらいのヤバさだった。 こんな色っぽい男がL.A.みたいな場所を歩いていたら、あっという間にさらわれてレイプされるのは間違いないだろう。 キョウスケの指にも結婚指輪があった(昨夜はしてなかったと思う)。 その左手で、ときどき無造作に髪をかきあげる。 そうすると、首筋のラヴバイトに、どうしても視線が行ってしまう。 毒々しい赤い痕―――ヨウジの愛した証、というわけか。 とにかく、辟易するほどのなまめかしさだった。 俺と同じ男だとは、とうてい思えない。 ・・・なるほど、ヨウジがハニーと呼ぶわけだ。 と思ったところで、ふいと奴のほうを見て、俺はもう一度衝撃を受けた。 ヨウジの目つきも、俺たちがそれまで見たことのないものだった。 獣のような獰猛さで、辺りに目を光らせている。 キョウスケの隣で鷹揚に笑いながらも、一向にガードを緩めてはいなかった。 奴の「ハニー」を守っている、というわけか。 呆れた夫婦だ、と思った。 まあ、久しぶりに会ったのだから、しょうがないのかもしれない。 ふと視線を交わし、小さく笑ってみたり。 ヨウジの手が、かすめるようにキョウスケの手に重なったり。 ヨウジの腕が、キョウスケの細い腰を抱き寄せてみたり。 その度に、キョウスケは苦笑して身体をひねるのだが、その仕草がまた妙に性的なものを連想させて、どうしようもなかった。 取材があるという二人が去ったあと、俺たちはどっと疲労感を感じた。 ジェニファーが、ヨウジはゲイじゃないと思う、と持論を繰り返した。 そうかもしれないが、ヘテロすら骨抜きにするキョウスケの前では不毛な議論だろう。 スティーヴが、性別なんてどうでもいいから、あれくらい惚れられる相手が欲しい、と呟いた。 俺たちは全員、黙って頷いた。 |
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キョウスケが日本に帰り、俺たちは内心ほっとした。 熱愛中のご夫婦には気の毒だが、二人のことが公になって以来、俺たちは連日ヨウジの惚気に悩まされていたからだ。 自分にベタ惚れの女房を自慢したいのは、わかる。 妖艶な東洋美人に、確かに俺たちも参った。 でも、あそこまで赤裸々である必要はないと思う。 |
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ヨウジが、日本に帰ることを決めた。 世話になった、とマジメに頭を下げられて。 俺たちはみんな、寂しくなるな、と本気で言った。 キョウスケの件以来遠ざかっていたマイクやサビーヌも、同じ気持ちだったようだ。 ヨウジの飾らない気性と、芝居への真摯な姿勢。 俺たちにとって、ずいぶん学ぶところが大きかったと思う。 ハリウッドに腰を据えないなんてもったいない、とコーチが言った。 ヨウジは笑って、日本に恋人がいるから、と返した。 「He's where my heart belongs」と。 こんな愛の台詞をあたりまえのように言える奴なんて、めったにいない。 本当に、呆れた二人だ。 俺はヨウジの新しい出発を祝して、ハイファイヴを交わした。 |