希求 ― St Valentine's Day ―

希求 ― St Valentine's Day ― 5




「さて、どうするかなー」
風呂あがり。
上半身にタオルを羽織り、裸足にスラックスを穿いた格好で、香藤は伸びをした。
部屋の真ん中に仁王立ち、佐和の豪奢な天蓋つきベッドを見下ろす。
朝の5時。
まだ窓の外は暗い。
バスルームからは、岩城がシャワーを使う音が響いていた。
「うーん・・・」
濡れた髪をクルクルといじりながら、香藤はうなった。
シーツも布団も枕カバーも、絶望的にくしゃくしゃだった。
とにかく、嵐のようなセックスだったのだ。
事後、岩城も香藤もくたくたで、もつれ合って気を失うように眠りについた。
―――それを如実に物語る、寝乱れたベッド。
このまま放置もできないが。
手でしわを伸ばしたくらいで、ごまかせる状態ではなかった。
「ゴムはしてたけど、汚れなかったわけじゃないしなあ・・・」
ふたり分の汗と涙を吸い込んだリネン。
香藤はため息をついた。
ほんの30分ほど前。
夜明けよりも早く目を覚まし、正気に返って仰天したのは岩城だった。
佐和のパーティで酔っぱらった挙句、私室で介抱された。
それだけでも十分、不本意だったが。
あまつさえ佐和のベッドを占領し、ふたり狂おしく愛し合った。
どれほど激しい夜だったかは、ベッドのありさまを見れば一目瞭然。
そこまで考えた途端に、岩城が真っ青になった。
いや―――真っ赤になったというべきか。
「何とかしろって、言われてもねえ・・・」
香藤は途方に暮れて、頭を掻いた。



カチャリと、バスルームのドアが開いた。
無造作に腰にタオルを巻いた岩城が姿を現した。
まだ雫のしたたる髪をかきあげて、気だるげな深い吐息をつく。
白い裸体のいたるところに、小さな赤い花が舞い散っていた。
扇情的なその柔肌に照れて、香藤が目を逸らそうとしたとき。
岩城の身体が、ぐらりと傾いだ。
「岩城さん!」
香藤はあわてて駆け寄り、その細い腰を支えた。
「・・・大丈夫?」
岩城は苦笑をもらした。
「ああ」
後先を考えず、高ぶる想いにまかせて貪るように抱き合った。
いつ解放されて、いつ眠りについたのか、覚えていないほど。
それはいいのだが。
当然の結果というべきか、岩城は、起きぬけから足元がおぼつかなかった。
香藤の身体に凭れかかって、岩城が照れたように笑った。
「・・・情けないな」
ゆっくりと香藤が岩城の顎をとらえ、唇を落とした。
触れるだけのキス。
「無理させて、ごめん」
「謝るな、ばか」
耳元でささやかれて、岩城が首をすくめた。
「おまえは元気だな・・・」
香藤の腕からするりと逃れて、あらためて恋人を見つめる。
香藤を責めないのは、岩城から求めたという自覚があるからだ。
理性を手放してセックスに溺れるのが悪いと思うほど、初心ではないが。
ことの顛末に、ため息がこぼれた。
「・・・可愛い、岩城さん」
再び落ちてきた甘いささやきに、岩城の身体がゾクリと震えた。
「こら、やめろ」
そろりと腰を這いだした香藤の手を掴んで、岩城は身体をよじった。
香藤の指は、無条件に岩城を翻弄する。
最奥でくすぶる快楽の火種が、再び肌を火照らせそうだった。
「今日は仕事だ。・・・これ以上したら、腰が立たなくなる」
何気なくそう言った岩城に、香藤が目をみはった。
「・・・仕事がなかったら、もっとする気だった?」
ニタリと笑った香藤に、岩城が絶句した。
「ばっ・・・」
真っ赤になって、岩城が顔をそむけた。
「そういう意味じゃない・・・!」
うれしそうな香藤の笑顔が、いたたまれなくて。
岩城はついと香藤の側を離れた。
ベッド下に脱ぎ散らかされた服を、無造作にかき集めた。
「・・・酒くさいな」
眉をしかめながら、気だるそうな仕草で身支度をする。
香藤はそんな岩城を、とろけそうな笑顔で見つめた。



「もういつもの、岩城さんだよね・・・」
香藤のつぶやきは、岩城には聞こえなかった。
「昨夜のあれは・・・酔ったせいか」
他人に心をさらけ出すのが何より苦手な岩城が見せた、深い懊悩。
香藤の心臓を鷲づかみにする、純粋すぎる愛のかたち。
香藤の言葉に泣き崩れた、一途ゆえの脆さ。
そしてその後の、妖艶な媚態。
ベッドでの岩城を知り尽くしているはずの香藤が驚くほどの乱れ方で、香藤を翻弄した。
―――どれもすべて、岩城京介という男の一面なのだけれど。
ひとつひとつが、あまりに鮮烈だった。
「たまんないよなあ・・・」
香藤は苦笑して、そっと天を仰いだ。



「ベッドは、どうするんだ?」
いつの間にか、岩城が香藤のそばに立っていた。
決まり悪そうに、悲惨な状態のベッドに視線を走らせる。
「・・・どうしようもないよ。シルクなんだ、あのシーツ。洗面所でジャブジャブ洗うわけにも、いかないでしょ?」
香藤は、携帯電話を取り出しながら言った。
「どうせ佐和さんは、こんなことくらいで驚かないよ」
「だからって・・・」
岩城が気遣わしげに、眉を寄せた。
安心させるように、香藤が明るい笑顔を見せる。
「雪人くんに頼むよ。レストランに日参してるのは、彼のほうらしいから」
岩城が目を丸くした。
「・・・何て言うつもりだ?」
「正直に言うしか、ないんじゃない? シーツ替えておいてくれって。・・・大丈夫だよ。なんでって聞くほど子供じゃないもん。それに、佐和さんじゃなくて雪人くんなら、シーツ代請求してくれってお願いしやすいし」
飄々とした香藤の言葉に、岩城はため息をついた。
「それはそうだが・・・」
気は進まないが、他に良案があるわけでもない、という感じで。
岩城はしぶしぶ頷いた。



☆ ☆ ☆



朝焼けがうっすらと、東雲を染めていた。
人通りのない住宅街を、岩城と香藤は肩を並べて歩いた。
ほの暗い闇の中に、ゆっくりとした靴音が響く。
ピンと張りつめた冬の朝の空気。
香藤がちらりと、佐和のレストランを振り返った。
「・・・なんだ?」
「いや・・・」
香藤が岩城の目を覗き込んで、くすりと笑った。
「あそこに行くといつも、とんでもないことになるなあ、と思ってさ。・・・エロスイッチの入ったすごい色っぽい岩城さんが見られるから、俺は得した気分なんだけど」
「・・・!」
岩城が、香藤の手の甲をぎゅっとつねった。
「いたた・・・っ」
大げさに痛がる香藤を、岩城が睨みつける。
「本当のこと、言っただけなのに・・・」
うつむいて、香藤がぶつぶつと呟いた。
「・・・ばか」
白い吐く息の向こうの、上気した岩城の頬。
香藤はふっと笑うと、岩城の左手を取り、指をからめた。
「おい・・・」
「大通りに出るまで、ね? ・・・誰もいないもん、大丈夫だよ」
無邪気に笑って、香藤は繋いだ手に力をこめた。
呆れたように、ため息をついてはみせたが。
岩城は手を振りほどこうとはしなかった。



黙ったまま、寄り添ってゆっくりと歩いた。
香藤の温もりが指先から、岩城の全身に染み入ってくる。
岩城はじっと、その暖かさを感じていた。
言いたいことはたくさんあった。
哀しみも、せつなさも、分けあうべき痛みも。
言葉にならない感情もすべて、できるものなら、香藤に伝えたかった。
おそらく一生かかっても拭い去れない、幾ばくかの自責の念も含めて。
―――それでも。
何も解決していないのだけれど。
それでいいのだと、香藤が教えてくれた。
自分たちは、このままでいいのだと。
もういちばん大切なものを持っているのだから、いいのだと。
―――たとえ、希いは尽きなくても。
香藤は岩城を、魂のいちばん奥深いところで理解する。
それはもう、理屈ではなく。
ごくあたりまえのように岩城の葛藤を受けとめて、その暖かい胸で岩城の怯えを癒す。
気負いもてらいもない、そのまっすぐな想いに。
すべてをありのままに赦す、「愛している」という言葉に。
岩城はどれほど救われたことだろう。
これからも―――岩城が迷って、立ち止まるたびに。
香藤はそうやって、岩城を支え、導くのだろう。
岩城はそっと、香藤の横顔を見つめた。
かけがえのない、愛おしいもの。
岩城の幸せのすべてが、そこにあった。
―――そうだな。
もう、何もいらないな。
岩城は黙って、香藤の手を握りしめた。





ましゅまろんどん
18 February 2006



乙女度120%岩城さんのめろめろメロ(えろ)ドラマ・・・楽しんでいただけたでしょうか(汗)。この頃はこんな話ばかり書いてたなあ・・・と、しみじみ。
2012年12月10日、サイト引越にともない再掲載。初稿を若干修正しています。