All in a day's work

All in a day's work 小さなお話 1




昨夜の香藤は、珍しく酔っていた。
連ドラ収録の後、そのままスタッフと忘年会だと聞いていたから、飲んでくるのは知っていた。
この時期、よくあることだ。
俺にいちいち言い置かずに遅くなることも少なくない。
年末はどうしても、こうやってすれ違いが増える。
まったく寂しくないと言えば嘘になるが、それはお互い様だろう。
俺だって年末年始は、家を空けることが増えるのだ。
この業界にいる以上、そういうものだ―――と思っている。
だから特に何とも思わず、俺はさっさと寝室に引き上げた。
静かな冬の夜。
ベッドで読書にふけり、そのまま寝てしまったのだと思う。
―――香藤の気配に起こされるまでは。





それにしても香藤は、かなり酔っていたと思う。
泥酔と呼んでもいいほどの、めったいない深酒。
気のせい・・・ではないと思う。
正直、意外だった。
もともと香藤の酒は、完全なコミュニケーション・ツールだ。
仲間たちとわいわい、賑やかに騒ぐための酒。
周囲も自分も、あくまで『楽しくなければ意味がない』というのが持論で、あまり無茶な飲み方はしない。
決して弱くはないが、酔って我を忘れることを嫌う。
相手がいてこその酒。
独りで飲むことが殆どないのも、そのせいだろう。
おそらく本質的に、アルコールが好きなタイプではないのだろう―――と思う。
酒にはめっぽう強いが、どちらかといえば日本酒を独りでやるほうが好きな俺とは、正反対だ。
そういう香藤だから、仕事仲間との飲み会で酒を過ごすというのは、ちょっと考えにくい。
共演者やスタッフに迷惑をかけたり、羽目を外して呆れられたりするのを、あいつはとても嫌がるからだ。
そんな香藤が、どうして・・・?





バタン、と無造作に寝室のドアが開いた。
「・・・香藤?」
浅い眠りから覚めて、俺は薄暗がりで目をこらした。
「おかえり―――今、何時だ」
「ふう・・・」
開いたままのドアから、廊下の灯りが差し込んでいた。
壁にもたれかかったまま、香藤が大きく息を吐いた。
俺の問いに答えず、そのままじっと動かない。
「かと・・・?」
様子がおかしい。
むくりと上半身を起こして、俺は小さな違和感に気づいた。
ただいま、の言葉がない。
心なしか、しんどそうに肩で息をしているように見える。
―――だいいち、いつもの香藤なら。
深夜に大きな物音を立てて、寝ている俺を起こすような真似はしない。
絶対にしない。
そういう配慮が自然にできる人間なのだ。
「どうした、香藤?」
「んー」
俺は首を傾げながら、掛布団から抜け出した。
パジャマに裸足のまま、ドアから動かない香藤に近づく。
「おい・・・」
『ダメだよ岩城さん、風邪ひいちゃうじゃない!』
―――いつもの香藤なら、そんなリアクションが返ってくるはずなのだが。
この夜の香藤は、ぼんやりとしていた。
「大丈夫か、おまえ」
手探りで部屋の灯りをつけて、俺は香藤の顔をまじまじと見た。
「あー・・・いわきしゃんだー・・・」
かすれた、甘えるような呟き。
はっきりとした酒のにおい。
むせ返るような―――酒場の、人いきれと煙草の臭い。
「どうしたんだ、おまえ?」
「たらいまー」
きれいな茶色の瞳がうるんでいた。
眦(まなじり)も頬も、子供みたいにぽおっと赤い。
「香藤、おい」
「うにゃー」
本当におかしい。
俺はそっと、香藤の額に手のひらを当てた。
「熱・・・があるのか?」
「ないもん。ないよー」
ふにゃりと笑って、香藤がぶんぶんと左右に首を振った。
まるで小学生の子供みたいな、幼い仕草だ。
様子が変だが、具合が悪いようには見えない。
「いわ・・・きしゃん・・・」
だいすき、とうわごとのように呟きながら。
香藤は緩慢な仕草で腕を差し伸ばし、ぐっと俺を抱き寄せた。
吐息が近い。
そして、熱い。
「こら、おまえ・・・」
―――酔ってるのか、珍しいな。
俺は苦笑して、迫ってきたキスを避けた。
「あー、ひろい・・・」
「どんだけ酔ってるんだ、おまえ」
「うー・・・酔ってないもーん」
いい歳をした男が、イヤイヤと首を振る。
ぱらぱらと茶色の髪が踊った。
「わかった。いいから、そのダウンを脱げ」
噛んで含めるように、ゆっくりそう指示する。
香藤は上目づかいで唇を尖らせた。
「それから、手洗いとうがいだ」
「うう・・・」
ぽおっと赤い顔に、焦点の定まらない視線。
―――本当に、珍しいこともあるもんだ。
俺はなだめるように、香藤の二の腕をポンポンと叩いた。
「とにかく、洗面所に行って来い。な?」
「ぶー」
―――幼児か、まったく。
俺は苦笑した。
香藤の腕からダウンジャケットの袖を抜き取り、その背中を廊下に押しやる。
夜気が冷たい。
ふと時計を見ると、午前三時半。
「なにやってんだ・・・」
ため息をつく反面、おかしかった。
正体をなくした香藤。
こんな姿を見るのは何年ぶりだろう。
母親のように世話を焼くのが楽しくもあって、俺はひそかに微笑した。
部屋着のガウンを羽織り、エアコンのスイッチを入れる。
そのタイミングで、ようやく香藤が戻って来た。
「ちべた・・・」
酔いざましに顔を洗ったのだろう。
長い前髪が濡れている。
「香藤、歯は―――」
俺にそれ以上は言わせず、香藤のキスが降って来た。
「んん・・・」
やっとこれが、ただいまのキス。
酔ってるくせに強引なやつだ。
満足そうに顔をあげると、香藤がほわりと笑った。
「もっとー」
「だめだ」
「えー」
俺は酔っぱらいを引き剥がそうとした。
だが、香藤の両腕が俺の上半身に、意外なほどの力で絡みついている。
「こら、重たいぞ」
香藤が耳元であくびをした。
みっしり筋肉のついた重たい身体が、俺にのしかかる。
「ふにゃあ・・・」
「・・・ったく」
俺は介抱するように香藤を抱きかかえ、なんとかベッドまで辿り着いた。
ほんの数歩のことだが、この男は本当に重い。
足がもつれて、ベッドカバーの上にふたりで倒れ込んだ。
香藤がくすくすと笑いだした。
その笑顔も、まるで子供だ。
―――この、酔っぱらい。
「なにが、おかしいんだ?」
この泥酔状態で、俺の言葉がどれだけ伝わるものなのか。
訝しみつつ、先端の濡れた香藤の髪をかきあげて聞くと、おもむろに真剣なまなざしが返って来た。
「おれ、ね―――」
「うん?」
「いわきしゃん、すきー」
「・・・そうか」
なんだか脱力した。
まともに相手をするほうが馬鹿を見る。
俺は半ば香藤の下敷きになったまま、酔っ払った男の頭を撫でた。
―――仕事で嫌なことでもあったのか?
誰かに何か、俺のことで言われたのか。
あるいは、断りにくい相手に誘われて気まずい思いをしたのかもしれない。
香藤がこういうふうに無性に甘えてくるときは、たいていそんな理由だ。
大事なことなら俺に言うだろう。
言わないつもりなら、無理には訊かない。
「いわきしゃん・・・」
「もういい」
「えー?」
「いいから寝よう、香藤」
「うんと、ねー」
「なんだ?」
「ケータイ、ないー」
「・・・え?」
俺はさすがに、眉をひそめた。
「本当なのか」
「んー」
「どこかに置いてきたのか? それとも―――」
「ないのー」
「・・・ないのって・・・」
「なくしちゃったー」
頬を染めて、香藤が爆弾発言。
どういうわけか、嬉しそうに笑っている。
のんびり口調で言うことじゃないだろう。
「おい香藤、それは本当なのか」
一気に眼が冴える。
というより、背筋に寒気が走った。
「なくしたって・・・」
香藤をなんとか押しのけ、俺は起きあがった。
―――芸能人が、携帯電話を紛失したらどうなるか。
脳裏に、嫌なシナリオがいくつもよぎった。
自分と他人の個人情報が漏れて、大騒ぎになる。
仕事に穴が開きかねない。
信用の失墜。
悪用される惧れもある。
「冗談じゃない・・・!」
ことによったら、警察沙汰だ。
最悪の事態を想定しなくてはいけないかもしれない。
・・・さすがに目眩がした。
「香藤・・・」
俺は青ざめて、まず香藤の着ていたジャケットを探った。
それからベッドに戻り、香藤のジーンズの尻ポケットをまさぐる。
「えっちー」
「・・・ばか」
香藤はぐったり動かない。
寝室を見渡し、廊下に出た。
下階への階段をそっと降りる。
足元から、ひんやりとした空気がまとわりついた。
「どこかに・・・」
落ちていないだろうか。
玄関に立ち、そろそろとドアを開けた。
常夜灯の灯りを頼りに、門扉までの道筋をたどる。
―――ない、か。
もっときちんと探したい衝動に駆られるが、時間が時間だ。
香藤がどこで落としたのかもわからない。
むやみに騒ぎ立てるわけにもいかない。
「・・・まずいな」
夜風に身を震わせて、俺は仕方なく家に戻った。
暖房がきいた二階の寝室に戻る。
香藤が着衣のまま、ベッドにとろりと斜めに横たわっていた。
やけに幸せそうな寝顔に、俺はため息をつく。
「おい、香藤」
「んふ・・・」
「起きろ、おい」
「・・・んー?」
「タクシーだったんだよな?」
「たく・・・?」
「タクシーで帰って来たんだろう?」
「あん・・・」
「会社名は覚えているか? レシートは?」
矢継ぎ早に聞くが、捗々しい答えは返って来ない。
「今日の飲み会はどこだった?」
「ん―――」
「最後にケータイを使ったのは、いつ・・・」
「んん・・・」
―――駄目だ。
俺は嘆息して、尋問をあきらめた。
普段ならまったくあり得ないことだが、今晩の香藤はほとんど正体を失っている。
ただ寝ているだけなら、叩き起こせばいい。
だが今はどう見ても、泥酔に近い状態だ。
たとえ覚醒したところで、どれほど覚えているものか。
「馬鹿」
あどけない寝顔。
憎たらしいほど幸せそうな顔をしている。
香藤の隣りに腰をおろし、俺はその寝顔に悪態をついた。
「さて・・・」
金子さんに電話しようか。
幾らなんでも、この時間はまずいだろうか。
思案に暮れながら、香藤のふんわりとした髪に指を絡ませる。
「おまえらしくないぞ、香藤」
ついつい愚痴がこぼれた。
頭を抱えた、その途端。
「あ・・・そうか」
唐突に、俺は思い立って自分の携帯電話を取り出した。





―――これを忘れているなんて、俺もバカだな。
すっかり忘れていた。
ワンプッシュで、香藤の携帯電話に繋がるのに。
拾った相手が犯罪者だったような場合、俺がかけるのは得策ではないとも思ったが、俺は首を振った。
リスクはあるが、試してみる価値はあるはずだ。
何より今、これしか出来ることがない。
俺は短縮キーを叩き、固唾を呑んだ。
―――呼び出し音が二度、三度、四度。
カチャリ。
確かに誰かが、電話に出る気配があった。
「もしもし―――」
俺は慎重に言葉を発した。
派手な音楽とざわめきが、まず耳に飛び込んでくる。
居酒屋・・・?
いや、むしろクラブのような雰囲気か?
「あの・・・」
キャハハハ、とけたたましい嬌声が聞こえた。
「はーい、セリナでーす!」
「・・・!?」
「いやーん! やっぱり、架かってきちゃったぁ!」





藤乃めい
12 January 2012



2014年2月14日、サイト引越により再掲載。初稿(もともとはブログで発表、のちにサイトに転載)を若干修正・加筆しました。なお、初稿時のタイトル「 One of those days 」を改題。