All in a day's work

All in a day's work 小さなお話 2




虚を突かれて、俺は絶句した。
「あれえ? ねえ、もしもぉし!?」
脳天にキンキン響く、若い女性の甲高い声。
陽気というより、かなりハイになっている感じだった。
騒々しい音楽。
ざわついた、大勢の人のいる気配。
「セリナって・・・」
俺は深く息を吸って、一瞬の狼狽を意識の片隅に追いやった。
「あ・・・ああ、そうか」
―――どうやら、これは。
それからやっと、まともに声を出した。
「山崎セリナちゃん、か」
正直、助かった。
ホッと胸をなで下ろした、というのが本音だ。
「誰だか咄嗟にわからなくて、ちょっとびっくりした―――あの、岩城です」
「やん、岩城シャチョーだ!」
舌っ足らずの甘い声。
「おはようございまぁす」
午前三時半に『おはよう』もないものだが、この業界では珍しくない。
「あたしのこと、覚えてましたー?」
かなり酔っているのだろう、幾らか呂律があやしい。
「ああ、もちろん」
俺はなるべく、穏やかな声を出した。
「山崎さん、今どこにいるの」
「・・・んっとね、よくわかんなーい。たぶん、赤坂のどっか?」
彼女が背後の誰かと言葉を交わすのが察せられた。
「ひとり・・・じゃ、ないよね?」
「うん! みんなといっしょだよぉ」
山崎セリナ。
香藤が所属するサンライズ・プロダクションが春から売り出している新人タレントだ。
たしか年齢は20歳、21歳くらいだったか。
スタジオで何度か、すれ違ったことがある。
その程度のつき合いだが、物怖じしない明るい子だ。
いま、香藤と同じドラマに出演していることもあって、金子さんが面倒を見ていると聞いている。
俺はちらりと、すぐ脇で寝くたれている大男を見下ろした。
―――まったく、のん気なもんだな。
すうすうと寝息をたてて、幸せそうな顔で眠っている香藤。
「・・・バカ」
俺はその額をそっと、指先で弾いた。
落ち着きを取り戻すと、俺はゆっくりと問いかけた。
「山崎さん、金子さんは一緒?」
「ううん、いないよー」
えへへ、と笑うその声は嬉しそうだ。
小うるさいお目付役がいないので、羽目をはずしているのか。
「誰か、うちに連れて帰ってくれる人はいるのかな」
俺はさりげなく聞いた。
「ずいぶん飲んでるみたいだけど、その―――」
「へーきへーき!」
あはは、と明るい笑い声が続いた。
うら若い彼女が心配なのは、本当だが。
同時に、彼女の言葉づかいが気になった。
―――もしも、うちの新人が。
よその芸能プロの代表者に、こんな馴れ馴れしい口をきいたら・・・?
考えるだけで、ため息が出た。
そんなふうに考える自分に気づいて苦笑する。
―――職業病、かな。
いや、それとも歳のせいか。
どうも最近、余所のタレントを見る目が厳しくなったような気がする。
「山崎さん、そのケータイだけど」
「はぁい?」
「香藤の携帯電話。拾ってくれたんだろう」
「拾ったっていうかー、カラオケに落ちてたの。セリナがいちばんに見つけたんだよー」
「そうか、ありがとう」
俺は思わず、電話越しに頭を下げた。
ひとまずはこれで、大事にならずに済む。
「誰のかなーって思って開けてみたら、んふふ、すぐわかっちゃったあ」
電話口で声をひそめるように、彼女は意味ありげに笑った。
「ああ、待受か・・・」
つまり待受画像が俺だった、ということだろう。
―――いったい、どんな「俺」だったのか。
頬にかすかに血が上るのを感じた。
ちらりと、香藤を横目で見る。
相変わらず、子供のように眠っている。
「馬鹿野郎」
俺はひっそりと悪態をついた。
あまり恥ずかしい写真でなかったことを、切に祈るしかない。
ともあれ、彼女が拾ってくれたのは本当に幸いだった。
こればかりは、感謝するしかない。
「山崎さん、明日の仕事は?」
夜遊びを咎めているように聞こえはしなかったか、言ってから少し気になった。
「えっとね―――うんと・・・」
しばらく、声が途絶えた。
必死でスケジュールを思い出そうとしているらしい。
「そうだ! 午後から青山のスタジオ・・・だったと思う」
「地方に行く予定はあるの?」
「ないなーい。ずっとトーキョー」
彼女は今ひとつ自信なさげだったが、都内にいることがわかればそれで十分だった。
「そうか、わかった」
俺は素早く、段取りを考えた。
「じゃあ悪いけど、そのケータイは持っててくれるかな。明日には必ず、引き取るようにするから」
香藤は明日オフだから、仕事場で彼女に会うことはない。
ふつうに考えれば、彼女の家まで、香藤が自分で取りに行くべきだろう。
が、万が一。
そんなところをカメラマンに盗撮でもされたら、やっかいな騒ぎになる。
―――となると、やはり。
ここは頭を下げて、金子さんに頼もう。
朝になったら金子さんか、もし駄目なら清水さんあたりに、お願いするしかないだろう。
「すまないね、預かってもらっていい?」
「うん。はあい」
眠そうな彼女の声に、また心配が募る。
―――無事に、香藤の携帯電話をどこかに落とさずに。
頼むから、早めに帰宅してくれ。
そう思わずにはいられなかった。
「山崎さん、こんな時間だ。気をつけて帰って―――」
つい口うるさく言いそうになったが、俺は途中で言葉を呑み込んだ。
いくら若いといっても、彼女だって大人だ。
まして、ほかの事務所の人間だ。
あまりくどくど説教するのも、余計なお世話というものだろう。
―――21歳、か。
俺の歳の半分なんだよな。
幼くて、危なっかしく感じられるのも道理だ。
少なくともその年頃の俺は、年長者のアドバイスを素直に聞けるほど大人ではなかった。
自分ではとっくに、十分すぎるほどに大人のつもりでいたが。
ふとそう思って、俺は苦笑した。
「ねえ、岩城シャチョー?」
酔った彼女の声は、甘くかすれていた。
「なに?」
「・・・電話くれるの、香藤さんだと思ってたんだー、あたし」
それから小さな笑い声。
「うまくいかないなあ」
―――え・・・?
そこに照れと、わずかな失望が混ざっていたように聞こえたのは、俺の思いすごしだろうか。
―――ここにまた、ひとり。
香藤は、とにかくもてる。
老若男女を問わず、ひとを惹きつける天性の華がある。
ファンやスタッフに絶大な人気があるだけじゃない。
サンライズ・プロの若い子たちに圧倒的に慕われているのも、知っている。
驕ったところがなく面倒見がいいので、兄貴分として、何かと頼りにされているらしい。
山崎セリナも、だから。
香藤に憧憬を抱いていても、不思議はないのだが・・・しかし。
―――もしかして・・・?
女性なら、単に憧れでは済まないことも多い。
香藤に恋する女の子たちを、今までどれだけ見てきただろう。
―――いや、やめよう。
考えすぎるのは俺の悪い癖だ。
「そうだね」
俺はつとめてさりげなく返した。
「ここにいるこの酔っぱらいが起きててくれたら、俺もこいつに架けさせたと思うよ」
「・・・そっかぁ」
「俺なんかが代わりで悪いけど、でも、本当にありがとう。感謝してる」
それ以上は話すことがなく、俺は会話を切り上げた。
「じゃあ、おやすみ。気をつけて帰ってね」
「はぁーい」
―――くれぐれも、香藤の携帯電話をなくさないでくれ。
それを何より心配する自分に、俺は苦笑した。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



翌朝。
俺は香藤のベッドで、ぼんやりと覚醒した。
「・・・ん」
寝不足の気だるさ。
カーテンの隙間から、淡い冬の光が差し込んでいた。
「あれ・・・?」
何時だろう、と思いつつ傍らを片手で探って、俺は香藤がいないことに気づいた。
―――そういえば。
寝室はすでにほのかに暖かかった。
先に起きた香藤が、エアコンをつけておいたのだろう。
―――あんなに酔っていたのに、タフなもんだな。
俺は深く息を吐いてから、のろのろと上半身を起こした。
寒いな、と漠然と思う。
室温とは関係なく、寝起きに香藤の顔を見ないときは、いつもそうだ。
「・・・起きるか」
自分で自分に、そう声をかけたとき。
「あ、起きてたんだー」
静かにドアが開いて、半裸の香藤が入って来た。
「おはよ、岩城さん」
やさしい声。
いつもの眩しい笑顔が、俺を見下ろしていた。
「・・・風邪をひくぞ」
シャワーを浴びてきたのだろう、下半身をくるりとタオルで巻いただけのしどけない姿。
真冬だというのに裸足で、見ているこっちが冷えそうだ。
「服を着てから出て来いって、言ってるだろう」
「てへへー」
小言を軽くいなして、香藤はベッドのふちに腰をかけた。
「ただいま、岩城さん」
じゃれつく犬のように、頭を俺の肩先にこすりつける。
ぽたり、と髪からしずくが落ちた。
「・・・おかえり」
俺は笑って、その濡れた髪をかきあげる。
途端に伸びて来た逞しい腕に抱き寄せられるまま、俺はキスを受けた。
香藤の抱擁。
香藤の腕の中。
じんわりした暖かさの中で、俺はやっと安心する。
「・・・んん」
確かめるような甘いくちづけが、ゆっくりと深くなっていく。
香藤の匂い、香藤の味。
咥内をくすぐる舌を追いかけ、追い求め、俺は陶然と舌を絡ませた。
「・・・ひさしぶり。おいしすぎ」
するりと唇を離して、香藤がそうつぶやく。
「まだ・・・」
足りない。
全然、足りない。
俺は無言で首を振り、香藤の首に両腕を廻した。
「岩城さん、あの―――」
「うん?」
長いキスを中断して、香藤が上目遣いに俺を見る。
「なんだ?」
「俺って、ゆうべ・・・」
ためらいがちの問いかけ。
照れと困惑の垣間見える顔つきだった。
そのくせ香藤の手は迷いなく、器用に俺のパジャマを脱がせにかかっている。
俺はくすくす笑って、香藤の耳をかじった。
「ああ。ずいぶん、酔ってたな」
そっと、耳元に息を吹きかけた。
「珍しく正体をなくしてた」
香藤の肌が、いつもの敏感さでぞわりとそそけ立った。
どくん、と鼓動が跳ね上がるのがわかる。
「岩城さんのいじわる・・・」
「どこがだ」
腰を覆うタオルの中に手を忍ばせると、そこは案の定、すでにふっくらと勃起していた。
「あんっ・・・」
ちょっと待って、と香藤が息を切らす。
俺は含み笑いをこぼして、次の言葉を待った。
「酔っぱらって、それで俺―――」
「ああ」
ふと、稚気に駆られて。
俺はわざと素っ気なく言った。
「どこかでケータイを落としてきたらしいな」
「・・・やっぱり!?」
ガバリと起きあがって、香藤は頭を抱えた。
「うっわー、やばいっしょ。枕元になくて、おかしいと思ったんだ・・・!」
覚えてないよ、と情けない声を出す。
「マジかよ、どうしよう!!」
―――ああ、駄目だ。
その姿を見て、俺はため息をついた。
降参だ。
我ながら呆れた。
呆れるしかなかった。
自分のどうしようもない甘さに。
「・・・大丈夫だ、心配するな」
真夜中に俺を慌てさせたバツに、携帯電話のことは少しの間、黙っておこうと思ったのに。
―――俺にはできない。
香藤のつらそうな顔は見たくない。
たとえ、こんな些細なことが原因でも。
「え?」
「山崎さんと、話がついてる。昨夜カラオケで拾ってくれたそうだ」
「ええっ!?」
きょとんとしていた香藤の表情が、みるみる安堵で緩んだ。
「山崎って、あの、セリナちゃん!?」
「ああ。感謝するんだな」
「なんであの子が・・・って、あれ?」
「うん?」
「じゃあセリナちゃん、うちに電話して来たわけ!?」
―――セリナちゃん、ね。
ベッドで二度も女の名前を呼んだ唇を、俺は強引に塞いだ。
「・・・んぐ・・・っ」
「いいから」
「いいから・・・って」
顔をちょっと離して、香藤が驚いた目で見つめる。
湯上がりの紅潮した頬。
俺はそのきれいな肌を撫でて、ゆっくり頷いた。
―――俺のものだ。俺だけの。
誰にも渡さない。
決して口には出さない想いが胸をよぎる。
「おまえのケータイは、彼女がうちに持って帰ったはずだ。あとで金子さんを拝み倒して、取りに行ってもらうんだな」
「・・・そっか」
うなだれて、香藤は頭をかいた。
「ごめん、岩城さん。ごめんなさい」
「いや」
「俺、思いっきり迷惑かけちゃったね」
「気にするな。電話を一本かけただけだ」
するりと離れかけた大きな手を、俺は捉えた。
「ありがとう、岩城さん」
「いいから、もう」
首を振って微笑し、俺は香藤の胸に身体を預けた。
やさしいぬくもりが伝わってくる。
「たいしたことじゃない」
「でも」
「立場が逆なら、おまえも同じことをしただろう?」
「・・・うん、うん」
俺を暖めるようにぎゅっと抱き寄せながら、香藤が苦笑する。
「髪・・・」
「え?」
「乾いてないけど、いいのか」
つやつや輝く茶色の髪。
それごと香藤を抱きしめて、俺はぐっと体重を乗せた。
「わ・・・っ」
仰け反ってベッドに倒れ込んだ香藤をねめつけ、馬乗りになる。
視線はずっと、絡ませながら。
「・・・いきなり?」
邪魔なタオルを剥いだ俺を見上げて、香藤が噴き出した。
「いけないのか」
「ううん。全然いいよ」
香藤の笑みが、ふっと情事の気配を強める。
逞しい腰に跨ったまま、俺は脱げかけたパジャマを自ら払い落とした。
「・・・勃ってるね、もう」
香藤のしなやかな指が、ぴんと尖った俺の乳首を摘んだ。
「あ・・・っ」
「俺に苛めてもらうの、待ってた?」
じんとしびれる刺激が、寝起きの身体を駆け巡る。
「ん・・・っ」
俺は仰け反って、わずかに腰を揺らした。
なんとか両手を伸ばし、ゆらりと自己主張する香藤の性器をくるみ込むように愛撫してやる。
「いいよ、岩城さん」
少しかすれた声が、あまりにも悩ましい。
セックスのスイッチが入ったときの香藤のトーンに、俺はいつもやられてしまう。
普段の香藤の声とはまったく違う、低くざらついた声。
麻薬のように俺の肌を、脳を侵す。
「かと・・・」
香藤の手は俺の腰を擦り、そこを通りすぎて、尻をがっしりと掴まえた。
「―――んっ」
くすぐるような、焦らすような愛撫。
あやすように軽く、やわやわとそこを揉みしだかれ、小刻みに震えるのを止められなくなる。
カーテン越しの淡い光の下。
鋼のような筋肉に覆われた俺の男を、俺はうっとりと見下ろした。
「電話・・・」
「え?」
「―――か、金子さんに・・・」
つい、そんな言葉が口をついて出た。
セックスのとば口で、わずかに水を差すようなことを言ってしまうのは、俺の昔からの癖だ。
熱情に絡めとられる寸前の、無駄なあがき。
くすりと、香藤が笑った気配がした。
「七時前だよ、まだ早いでしょ」
腰をゆすって、性器をじわりと俺に押しつけながら。
―――ああ、もういつもの香藤だ。
こいつのペースに乗せられて、俺はあっさりと平衡感覚を失ってしまう。
「香藤・・・」
我慢できずにキスをねだると、香藤がぐっと半身を起こした。
粟立つ肌が触れ合い、熱い息が重なる。
「岩城さん・・・」
濃厚な口づけを受けとめながら、俺は目を閉じた。
理性を放り出し、俺のすべてを香藤に委ねて―――。






藤乃めい
12 January 2012



2014年2月22日(にゃんにゃんにゃんの日、笑)、サイト引越により再掲載。初稿(もともとはブログで発表、のちにサイトに転載)を今回かなり加筆・修正しました。なお、初稿時のタイトル「 One of those days 」を改題。