君がもとにぞ

君がもとにぞ ― post Violence Lyric 02





「・・・ダメだ・・・!」
「ん?」
急に、岩城さんは諦めたように呟いた。
首を振って、いかにも後ろめたそうな顔をする。
「・・・悪い。もういい」
「へ?」
「ちょっと、風呂に行って来ていいか」
「ええ?」
「・・・頼む。すぐ戻るから」
「でも・・・」
意外な言葉だった。
「さっき岩城さん、お風呂に入ったって言ってなかった?」
「・・・」
入院中は、なかなか自由に風呂に入れない。
シャワーだって毎日浴びられるとは限らない。
それは俺も知ってた。
きれい好きな岩城さんにとって、それが辛かっただろうってのも。
―――でも、今朝は。
退院に先立って、優先的に風呂を使わせてもらったと聞いていた。
芸能人として、普通以上に身だしなみを整える必要があるだろうと、病院側が配慮してくれたんだろう。
それなのに、なぜ・・・?



「・・・いいから、待っててくれ」
岩城さんは俯いて、ぽつりと言った。
「すぐに済むから」
「岩城さん」
「じゃ・・・」
そのまま、俺の視線を避けるように立ち上がろうとする。
「岩城さんってば!」
俺は腕を引いて、岩城さんを抱き寄せた。
「香藤・・・」
困りきった表情。
―――本当に変だよ、岩城さん。
「・・・なにか、俺に言えないこと?」
ぎゅっと胸に岩城さんを抱え込んで、俺は囁いた。
さりげなく、でも真面目な口調で。
「そんなこと・・・」
ふるふると、岩城さんが首を振る。
「じゃあ言って」
俺は顎を、岩城さんの肩口に埋めた。
どうも俺の顔、まともに見られないみたいだから。
「言ってよ、岩城さん」
「―――」
ぴったりと胸を合わせた。
俺たちの呼吸が重なり、鼓動が共鳴する。
岩城さんは、観念したように嘆息した。
「あの・・・な」
「うん」
「・・・下の、その、し・・・」
「し?」
「しょ、処理を、な・・・」
「しょり?」
すねた仕草で、岩城さんが俺の耳を引っ張った。
「たたっ」
「そのくらい、わかれ・・・っ」
「そんなこと言われても・・・」
俺は思わず岩城さんを見た。
真っ赤な顔で、まるで怒ってるみたいだ。
いや、泣き笑いか。
心なしか、唇まで震えてる。
「もう、そんな顔しないでよ」
俺は苦笑いで、岩城さんの頬をそっと撫でた。
つるつるの肌が火照って熱い。
「・・・で?」
「だから!」
ぷい、と横を向いて。
岩城さんはか細い声で一気に言った。
「してないんだ。ずっと、できなかった」
「しょりを?」
「か、剃刀がなかったし」
「は?」
「第一、手術でそれどころじゃ・・・」
「・・・ああ!」
―――そういうことか!
「ごめん、岩城さん!」
理解した途端に、俺は笑いの発作に襲われた。
「あはは!」
「おい、香藤」
ものすごい強烈な衝動だった。
もう、たまらなかった。
「もう駄目。岩城さん、可愛すぎるよ!!」
「笑うなって」
「ご、ごめん・・・!」
可愛い。
あまりにも可愛すぎる。
「も・・・萌え死ぬ・・・っ!」
「おい!」
肩を揺らして、涙をこぼしそうな勢いで俺は笑った。
止めなくちゃと思うけど止まらない。
「そっか、下の毛ね!」
「・・・バカッ」
俺の抱擁から逃れようと、岩城さんがもがく。
ジタバタ暴れる手足を封じ込めて、俺は岩城さんにキスをした。
子供みたいに真っ赤な頬に、鼻先に。
涙の粒が引っかかった睫毛にも。
「やめ・・・っ」
「岩城さん、サイコー!」
この人は本当にもう、どんだけ可愛いんだろう。
いったい何度、俺のハートを撃ち抜いてくれるんだろう。
―――たまらない。
本当に愛おしくて、たまらない。
「んん・・・」
何度目かのキスで、岩城さんはやっと大人しくなった。
諦めた、というべきかな。
軽いキスを唇に。
あえかな吐息を盗むように、もう一度。
「・・・バカ」
岩城さんがそっと吐息を漏らした。
「うん」
「香藤のバカ」
「うん。ホントに俺はバカだ」
至近距離で、岩城さんの恨みがましい眼差しを受け止めた。
「鈍すぎだ」
「うん」
「笑わないって言ったのに」
「うん」
ごめんね、と耳元にキス。
俺の腕の中で、岩城さんがかすかに震えた。
「いつも・・・」
「うん?」
「俺よりも俺のことわかってるって、言うくせに」
どうしてこういう時だけ鈍感なんだ、って。
小さな声で、岩城さんはそう囁いた。
拗ねてるわりに、その声は甘く掠れてる。
「ごめん」
―――本当にもう、たまんない。



俺たちはひとしきり、濃密なキスを交わした。
落ち着いた夫婦の時間。
もの凄く久しぶりで、かけがえのない時間だった。
「―――で?」
「でって、何だ」
「岩城さんは、どうしたいの?」
とびっきりの低い声で、俺は囁いた。
「どうって・・・」
「ここ」
ちょんちょんと指先で、岩城さんの下着をつついた。
「だから」
「俺をほっぽり出して、ひとりでお風呂はナシ」
「なしって・・・」
困惑に眉を寄せて、岩城さんは俺を見上げた。
「どうしてもって言うなら、俺も一緒に入るよ」
「そんな」
「じゃあ、さ?」
にんまりと笑って、俺は岩城さんの股間を撫でた。
「・・・いっそ剃ってあげようか?」
「ばっ」
「一度やってみたかったんだよね、剃毛プレイ―――」
「じ、冗談じゃない!」
ぱちん、と。
岩城さんが俺の頭をはたいた。
「痛いよー」
「おまえがふざけるからだろ」
岩城さんは憤然と俺を睨みつける。
―――顔が真っ赤で、あんまり迫力ないけどね。
「ふざけてないよー」
「よけい悪い!」
「だって岩城さん、前に言ったじゃん」
「何を」
「俺のためなら、陰毛でもパンツでも全部くれてやるって」
「・・・おまえなあ・・・」
岩城さんは呆れた声を出した。
「それとこれとじゃ、意味が全然ちがうだろう?」
「えー、そうかなあ」
「だいたいおまえは・・・」
「だって、ずるいよ」
「何がずるい」
「俺のボーボーは、岩城さん見てるのに」
「・・・ぼっ・・・」
思わず、岩城さんがむせそうになる。
ものすごく恥ずかしそうな、だけどかすかに心配げな顔。
「な、なにをいきなり・・・」
「ホントのことでしょ?」
岩城さんの瞳がまたたく。
俺が言ってるのはもちろん、あの経験のことだ。
大怪我して入院して、車椅子で生活してたあの頃。
あれほどの非日常に直面して、身だしなみを気遣う余裕なんかしばらくなかった。
「・・・香藤、おまえ」
「ん?」
岩城さんが目を見開いて、そっと俺を呼んだ。
俺の額に、岩城さんのあたたかな手のひら。
気遣う眼差し。
髪の毛をかきあげて、じっと覗き込む。
「・・・大丈夫なんだな」
「へ?」
「いや」
ひっそりと岩城さんが微笑する。
「もう、いいのか」
「うん」
俺は力強く頷いた。
「岩城さんのお陰だよ」
柔らかな手を取って、俺はそこにキスを落とした。
「それどころじゃないって、気づいたんだ」
―――ありがとうね、岩城さん。
岩城さんが驚いたのも無理はない。
例の後遺症を、俺が他愛ない冗談のネタにしたから。
ちょっと前までの俺なら、とてもできない芸当だ。



「なんか、さ」
「うん?」
「俺ってまだまだだな、って思った」
「なにを言ってる」
「岩城さんが倒れて、こうやって俺たちの立場が入れ替わっちゃって―――」
岩城さんが感じていただろう恐怖と焦燥。
後悔と、夜も眠れないほどの不安。
「それでやっと、わかるなんて」
―――それが、こんなに辛いものだなんて。
「それは俺も同じだ」
岩城さんはひっそりと笑った。
「長年、おまえに頼り切っていたからな。ちゃんとおまえの支えになれているのか、不安でしょうがなかった」
「岩城さんは完璧だよ」
これは正真正銘、俺の本音だった。
「岩城さんがいてくれたから、俺は帰って来れたんだ」
「香藤・・・」
「ありがとうね、岩城さん」
俺は岩城さんの手をぎゅっと握った。
「愛してるよ」
これは誓いだ。
何もかも都合よく解決したとは、さすがの俺も思ってない。
迷うことも失敗することもあるだろう。
でも、もう怖がらない。
そう決めた。
岩城さんのために、俺のために。
前だけを真っ直ぐに見つめて生きようと思う。
ふたたび全力で、走り出そう。
「全部、岩城さんのお陰だと思ってる」
―――岩城さんと、時間ぐすり。
凄いな、と思う。
俺すら気づかないうちに俺を癒してくれていた。
「そうかな」
ゆっくりと岩城さんが、俺に身を預ける。
しなやかな、あたたかい身体。
いとおしい命。
俺は岩城さんの肩を抱きしめる。
―――いつもの俺たち。
大事なものは、ここにある。
ゆるぎない幸せが、ここにいる。
「大好きだよ」
「香藤・・・」
岩城さんが微笑する。
ああ、本当にきれいだ。
俺はゆっくりと、最愛の恋人に口づけた。






藤乃めい
27 January 2014


(しつこく再び)
岩城さん、お誕生日おめでとう。
いつまでも元気に美しく、幸せでいてね。
しかし、44歳なんですね・・・(汗)。
今まで感じたことのない動揺を、この数字に感じるのはナゼ?
で、香藤くんは今年39歳になるのか。
うひゃあ。
二人が初めて出会ってからおよそ20年。
人生を一緒に歩むって、こういうことなんだなあ。


このお話は、昨年10月31日/11月5日にブログに掲載したタイトル未定の隙間小説を大幅に加筆し、発展させたものです。
言わずと知れた、GOLD(2013年12月号)掲載の『バイオレンス・リリック』に描かれなかった、退院・帰宅後の岩城さんと香藤くんの空白の?数時間を妄想したもの。
めろめろ甘〜いメロドラマを書くはずが、蓋を開けてみたら、なぜこんなお笑い?路線に・・・(汗)。