December Love 06




早鐘のように響く鼓動を聞きながら。
「條一郎・・・」
黒川はそっと、全身の重みを預けてのしかかる保坂の背中を撫でた。
「・・・ん?」
まだ荒い息づかい。
ようやく聞き取れるほどの掠れ声だった。
「弓ちゃん・・・」
保坂はむくりと顔を上げ、目の前の恋人にくちづけた。
「・・・んんっ・・・」
鼻から抜けた息の甘い余韻に、保坂は身震いした。
執拗に舌を絡ませ、唾液を吸い上げる。
苦しげに、黒川が首を振った。
保坂の頬をペチペチと叩いて、深いキスから逃れようとする。
「あふ・・・っ」
「・・・弓ちゃん・・・もっと・・・」
甘えた声を出す男に、黒川は苦笑を返した。
「バカ條一郎、待てってば・・・」
―――もう一度ゆっくりと、両腕を保坂の背中に廻して。
黒川は抱きしめた熱い身体に、ぎゅっと全身を押しつけた。
重なる心音を確かめるような、しばしの沈黙。
「・・・條一郎」
それからくすりと笑って、黒川は顔を上げた。
「気持ちよかったか?」
汗にまみれた、上気した頬。
胸を喘がせながら、まるで口説くように低く囁かれて。
保坂は目を丸くして、黒川の瞳を見返した。
「弓ちゃん、それ」
「ん?」
「・・・俺の台詞だと思うけど・・・」
―――まったくもう、と続けようとして。
保坂はふと、やわらかく微笑した。



照れ隠し・・・いや。
黒川なりの気遣いなのだろう。
セックスの感想を聞かれたら返事に困るから、先手を打ったのかもしれない。
「弓ちゃん・・・」
手で追い立てられて、とりあえず射精まで持っていかれはしたものの。
黒川が最後まで痛みを堪え、身体を押し開かれる圧迫感に耐えていたことは、分かっていた。
保坂のために我慢するばかりで、ひとかけらの快感もなかったとは思わないが。
やめるな、と全身で訴えていたのも知っているが。
―――つらい初体験だったのは、間違いない。
それでも黒川は、保坂を抱きしめて優しく笑っていた。
・・・ほとんど赦しに近い、あふれるほどの想い。
黒川の抱擁にそれを感じて、保坂は黙って抱き返した。



「・・・好きだよ、弓ちゃん」
保坂はそっと、黒川の茶色の髪をかきあげた。
「うん、知ってるよ」
至近距離で、視線が絡み合う。
「すごく、よかった。ありがとう」
「礼なんか、言うなって」
「うん。泣かせちゃって・・・無理させて、ごめん」
「・・・謝られてもなあ」
黒川が、恥ずかしそうにくしゃりと笑った。
その眉間に、頬に、保坂が小さなキスを落とす。
「くすぐったいよ」
わずかに身をよじる黒川を、保坂は目を細めて見つめた。
「・・・さて、と」
思い出したように、黒川はつとめて明るい口調で続けた。
「そこ、どいて? 重くて、身体が痺れてきた」
そういって保坂の背中を、ポンポンと叩く。
「おまえ、でかいんだから・・・俺が女だったら、つぶれるよ」
「・・・つれないなあ」
保坂は苦笑しながら、のそりと身体を起こした。
「ふふ・・・」
ベッドに胡坐をかいて見下ろした保坂の頬が緩むのに、黒川は眉をひそめた。
「どうした・・・って・・・うわっ!」
保坂の視線を追った黒川は、仰天して飛び上がった。
裸の上半身に散った、真新しいキスマーク。
ぷっくり勃ち上がったままの乳首も、さんざん擦られたせいか、生々しい朱色をしていた。
「おまえ、なあ・・・」
自分の身体を見下ろして、黒川は呆れた声を出した。
ぐったりとベッドに沈み込んだその胸に、保坂は指を這わせた。
からかうように、乳首を弾く。
「はん・・・っ」
甘いかすれ声が漏れた。
自分でそれに驚いて、黒川は呆然と保坂を見上げた。
「ちゃんとここで、感じるようになったんだね」
嬉しそうに、保坂が笑った。
「・・・冗談ダロ?・・・」
黒川は首を振って、大きく嘆息した。



☆ ☆ ☆



「そんなに無理、しなくても・・・」
「うるさい」
「だって脚、ふらついてるよ?」
「・・・うるさいよ」
「せめてもう少し、休んでからにすれば・・・」
「・・・」



黒川は脱衣所の壁にもたれかかって、苦しげに吐息をついた。
ベッドルームから風呂場まで、ほんの10数メートル。
リビングを横切るだけの距離だが、黒川の息は荒かった。
「弓ちゃん、大丈夫?」
「・・・ああ」
保坂の肩を借りて、ようやくたどり着いたという感じだった。
「あのさ」
ニタリと、保坂が口角を上げた。
「俺も一緒に、入ってあげるよ?」
「ばっ・・・」
黒川の顔が真っ赤に染まった。
「だって弓ちゃん、ひとりで後始末―――」
「わーわー、それ以上言うな!」
かすれたバリトンでそう喚いて、黒川はぶんぶんと腕を振り回した。
「あ、痛・・・」
―――はずみでどこか、捻じったのか。
黒川はピクリと身体を硬直させて、眉をしかめた。
「弓ちゃん、辛そうだよ。マジ、俺が・・・」
「いいの!」
保坂が差し伸ばした手を、黒川は睨みつけた。
その目が、わずかに潤んでいる。
痛みをこらえた表情の思いがけない艶に、保坂は苦笑した。
「はいはい、わかりました」
ため息をついて、降参の印に両手を挙げた。
「俺はベッドルームに戻るから。お風呂上り、歩くの大変だったら呼んでよ?」
それだけ言うと、保坂はくるりと背を向けた。
ほっと、息をついて。
「・・・どえっ!?」
ドアを閉めようとした黒川は、立ち去る保坂の背中に気づいて青ざめた。
「どうしたの?」
声に気づいて、保坂がリビングの中ほどで振り返る。
「な、なんでもないよ」
慌ててドアをピシャリと閉じ、黒川はその場にへたり込みそうになった。
「あれ・・・俺か? 俺なんだよな・・・?」
きれいな筋肉の乗った保坂の背中に幾筋も走る、引っ掻き傷。
血が滲んでいるとしか思えない、派手な爪あと―――。
おそるおそる、黒川は自分の手を見下ろした。
爪の先にこびりつく、うっすらと赤いもの。
「ひょえー・・・」
目眩を感じて、黒川は絶句した。



「いたた・・・」
筋肉痛なのか、それ以外の痛みなのか、わからないが。
全身が、倦怠感に軋むようだった。
重たい身体を持て余しながら、黒川はそろそろと風呂場に立った。
浴槽にぬるめの湯を張りなおしながら、ほうっと息をつく。
だるい腰を騙し騙し、ざっと身体を洗おうとして。
黒川はふと、もうもうとした湯煙にくもり始めた鏡に気づいた。
「あ・・・」
保坂のつけた所有の証が、全身を覆っていた。
胸にも、腕の付け根にも。
下腹部にも、腿の内側にも。
「うわあ・・・」
―――丁寧に全身を愛撫されたことを物語る、紅い痕。
羞恥に火照りながら、それでも見ずにはいられなくて。
「・・・なんか、悪い病気みたいだな」
黒川はまじまじと、変わり果てた自分の裸体を見つめた。
「あっ・・・え・・・?」
そのとき、つるり、と。
後孔から零れだした白いものが、ゆっくりと内腿を伝って流れ落ちた。
いまだにじんじんと痛む後ろ。
そこが、恥らうようにきゅっと収縮するのがわかる。
「ありえねえ・・・」
零れ落ちた保坂の精液を目で追いながら、黒川は肌を粟立たせた。
そろそろと手を伸ばし、それに触れてみる。
とろり、と、生ぬるい半濁の液体が指に絡まった。
「・・・これ、掻き出せってか・・・?」
いたたまれなさに、耐えられなくて。
「あーあ・・・」
鏡を覗きながら、黒川は深く嘆息した。
「やっちゃったんだなあ・・・」
がっくりとうな垂れて、その場にしゃがみこんだ。



☆ ☆ ☆



「あのバカ野郎・・・ほんとにもう・・・」
ブツブツ言いながら、黒川はキッチンの隅にいた。
「あんな恥ずかしいこと・・・誰が二度と・・・」
下着にTシャツを着ただけの格好で、ゴソゴソと戸棚を物色する。
「・・・あ、こっちか」
ようやく目当ての小箱を見つけて、黒川はのそりと立ち上がった。
「あた・・・」
それだけの動作で、腰に疼痛が走る。
「・・・明日の仕事、大丈夫なんだろうな」
不自由な身体を庇いながら、ちらりと壁時計に目をやった。
午前三時すぎ。
「そろそろ寝ないと、やばいか」
黒川はそう呟いて、腰をトントンと叩いた。



「あ、弓ちゃんおかえり。大丈夫だった?」
ほの暗い寝室では、保坂がベッドに寝そべって音楽を聴いていた。
悠々と横たわるその姿は、さきほどと同じ。
裸の上半身に、洗いざらしのスポーツウェアのボトムを穿いただけ。
いかにもくつろいだ格好だった。
「ほら、起きろよ」
黒川はベッドに腰かけると、救急箱を脇に置いて保坂の腕を引いた。
「なに・・・?」
黒川が持ってきたものに気づいて、保坂が眉をひそめた。
「どっか、痛いの?」
「いいから、あっちを向く」
のそのそと起き上がった男の腕を取って、黒川は抵抗しない身体を反転させた。
「何を・・・」
保坂が不審げな声をあげる。
―――それをあっさりと、黙殺して。
黒川は目の前に現れた大きな背中に、ゆっくり手を這わせた。
「こんなに・・・」
間近で見る自分の爪あと。
その生々しさに、黒川は頬を染めた。
黒川が何をしようとしているか、ようやく気づいて。
「気にしないで、いいよ」
保坂が手を廻らせて、黒川の膝のあたりを撫でた。
「でも・・・これ、痛そうだし」
躊躇いがちに、黒川はその傷を指先でなぞった。
「・・・弓ちゃんが、俺のために我慢してくれた辛さに比べたら、さ」
首をひねって、保坂が笑いかけた。
「こんなの、何でもないでしょ」
したたるような甘い囁き。
誘惑のサインに気づいて、いっそう顔を赤くしながら。
黒川は素直に顔を近づけて、目を閉じた。
がっしりした肩を掴む手が、わずかに震えている。
「弓ちゃん、可愛すぎ・・・」
満足そうに囁いて、保坂はついと黒川の細い顎を捉えた。
そのまま、肩越しにくちづける。
「ん・・・」
ひそやかな吐息が、黒川の鼻から抜けた。
おずおずと舌を絡めて応える恋人に、保坂が深いキスを仕掛けた。
歯列をなぞり、口腔をかき回し、柔らかい粘膜を擦って―――。
「ふあっ・・・」
思いがけず長くなったキスから逃れて、黒川は喘いだ。
「キスが上手だね、弓ちゃん」
からかうような囁き。
「この・・・たらしっ・・・」
濡れた唇を手の甲で拭きながら、黒川が憮然とした声を出した。
「あはは」
保坂は肩をゆすって笑った。
「傷の手当、してくれるんでしょ?」
片手で救急箱の中を探ると、小さなスプレーを取り出した。
「・・・はい、これ。優しくしてね」
くつくつ笑う保坂を、黒川は睨みつけた。
「沁みても、泣くなよ」
悔しまぎれにそう言うと、黒川は傷だらけの背中をポンと叩いた。



☆ ☆ ☆



「おやすみ」
寝室の照明がふっと消えた。
どこまでも保坂の匂いのするベッドで、保坂に抱き寄せられて。
腕の中に、大切そうにくるまれて―――。
黒川はもぞもぞと、身体を捩らせた。
「・・・どうしたの」
眠りに誘(いざな)う、やさしい低い声。
「・・・保坂くんは、いいよなあ・・・」
「はん?」
居心地の悪そうな黒川に、保坂が目を細めた。
「文句が、ありそうだね」
なだめるように、保坂が黒川の生乾きの髪をすく。
「文句じゃ、ないんだけどさ」
黒川は吐息をついて、自分をすっぽり包み込む大きな男を見つめた。
「・・・おまえはいいよな。相手が男でも女でも、やること変わんないから」
「弓ちゃあん」
楽しそうな声を出して、保坂が黒川を抱きしめた。
「・・・笑いごとじゃ、ないんだけど」
「笑ってないけどさ」
さもおかしそうに、保坂が応じた。
「この場合は、しょうがないと思うけど?」
「・・・そうかな」
「そうだよ。それとも弓ちゃん、待ってたらいつか、俺を抱く気になった?」
「ばっ・・・」
言葉に詰まった黒川の頭を、保坂は裸の胸に抱き寄せた。
「わかってるよ。弓ちゃんにとっては、慣れないことばっかりだからね。戸惑ってあたりまえだと思う。・・・何もかもリードされてるみたいで、嫌なんでしょう」
「保坂くん・・・」
「あれ」
保坂は暗闇の中、探るように黒川の顔を覗き込んだ。
「もう條一郎って、呼んでくれないの?」
挑むように囁かれて、黒川は嘆息した。



「ちがうよ・・・」
「うん?」
「嫌じゃ、ないんだけど」
黒川は言葉を切って、保坂の手を捜した。
指を絡めて、ほっと息をつく。
「・・・こうやって抱かれてるとさ・・・なんか・・・」
「・・・対等じゃなくなったみたい?」
核心を突いた保坂の言葉に、黒川は目を丸くした。
「條一郎・・・」
保坂はそっと、握りしめた黒川の指先にくちづけた。
「ねえ弓ちゃん、気持ちいい?」
「へ?」
「こうやってさ、俺と一緒に寝るの。・・・気持ちいい?」
「・・・何言って・・・」
ふと、黒川は口を噤んだ。
―――暖かい腕と、確かな鼓動。
のぼせそうなスパイシーな香りと、痺れるほどの甘いささやき。
かつてはすべて、危険をはらんだシグナルだった。
この男の側にいることを、何よりも望んでいたくせに。
一触即発のスリルを味わっていたのかもしれない。
―――でも、今は・・・。
保坂のぬくもりに安心を感じる自分に気づいて、黒川は苦笑した。
「なるほどね・・・」
身体を繋げて、保坂を受け入れて、赦して。
保坂の激情も、思いがけないほどの優しさも、身を持って知った今。
たしかに、保坂の腕の中は心地よかった。
そのまま、まろどみに引き込まれそうなほど―――。
「気持ち、いいよ」
そっと言葉にして、黒川は頷いた。
「おまえとこうしてるのは、気持ちいい・・・」
それを待っていたかのように、保坂のキスが降ってきた。
「んん・・・」
唇を合わせるだけの、穏やかなくちづけ。
甘やかなキスの雨に、黒川は陶然と酔った。
―――男だろうと、女だろうと。
どっちがどっちを抱こうと。
肌を合わせて、これだけ満ち足りた気持ちになれるのだから。
「ま、いいか・・・」
うっとりと睡魔に誘われながら、黒川はひとりごちた。
「・・・弓ちゃん」
保坂の声の聞こえる方向に、わずかに身体を捻りながら。
「うん・・・眠い・・・」
好きだよ、というささやきを子守唄のように聞きながら。
黒川は保坂の手を握ったまま、すうっと眠りに落ちていった。




ましゅまろんどん
5 June 2006



ここまで延々と引っ張る必要性があったのか? ・・・というのは聞かないでください(苦笑)。なんとも痛そう&ちょっとコミカル?な初夜ですが、彼らの関係には相応しいと思って書きました。楽しんでいただければ幸いです。
2012年12月01日、サイト引越につき再掲載。