Fly me to the moon 01: Morning after the night before
まったりした、心地よいまどろみ。
泥酔してるのか、俺―――。
そのわりには、鈍器で頭を殴られるような疼痛はないけど。
「・・・うん・・・」
なんて言うんだろう。
深い海の底から、ぐうぅーー・・・っと、急浮上してくる感じ。
「・・・みちゃ・・・」
―――あれれ?
身体が、ひしゃげそうに重たかった。
手足がぐったりと萎えて、力が入らない。
やっぱり、かなり酔ってるのかもしれない・・・。
「・・・弓ちゃん・・・」
聞き慣れた声が、すぐ側で俺を呼ぶ。
それだけでどうしてだか、俺は安心する。
―――誰だろう。
とてもよく知ってる声。
すごく身近な、大切な誰か。
「ほら、起きて・・・」
暖かい手が、俺の肩を掴んでゆすった。
俺の肌に触れる、乾いた大きな手の感触。
―――え?
肌に触れる・・・ってことは、俺、裸なのか。
なんで・・・?
俺、なんか忘れてる・・・?
+++
「・・・仕事だぞ、起きろ黒川英弓!!」
「うわああぁ―――!!」
突然降ってきた怒号に、俺は飛び上がった。
そりゃもう、電気ショックでも受けたみたいに。
もんどり打ってシーツの上を転がり、その勢いでベッドの端へ。
「げ・・・っ!?」
もののはずみ、って恐ろしい。
バランスを失ってグラリ、ときた時にはもう遅かった。
「おおっと・・・っ!?」
「弓ちゃん!?」
差し出された腕を掴もうとしたが、間に合うわけがない。
「うぎゃあ・・・っ!」
俺はベッドから転落して、尾てい骨をしたたか打った。
「いっ・・・てぇー!!」
腰にシーツを巻きつけた、なんとも情けない格好で。
俺は床に、ペッタリ座り込んだ。
「ぃたたた・・・っ」
いや―――痛いなんて、もんじゃない。
俺がもうちょっとやわに出来てたら、失神するところだ。
ジンジン痺れる腰をさすりながら、俺はふと、眉をしかめた。
「・・・あれ?」
冷たいフローリングの床。
これは、俺の家じゃない。
しゃれたローライズのでかいベッドも、俺のじゃない。
そう、ここは、どう見ても保坂くんの部屋だ。
「大丈夫?」
実際ベッドの上には、苦笑した保坂くんがいた。
馴染みの情景・・・のはず、なんだが。
何かがちょっと、違う気がする。
俺は首をかしげた。
保坂くんは、裸の上半身を起こして、ちょっと呆れたような表情で俺を見下ろしてる。
―――はだか?
「え・・・?」
なぜだか、冷や汗がこめかみを伝った。
俺はおそるおそる、自分の格好を確認した。
生まれたまんまのすっぽんぽんに、くるりとシーツを巻いただけ。
「・・・えっと・・・」
なぜ。
と、朝の反応のとろい脳みそで考えて。
考えて、考えて。
はたと、俺は思い出した。
「弓ちゃん?」
「・・・どわ―――!!」
―――俺、この男と、やったんだ。
大きく、深呼吸して。
信じられない気持ちで、俺は保坂くんを見上げた。
・・・セックス、した。
夢じゃない。
告白して、覚悟を決めて、この部屋について来て。
さんざん恥ずかしい思いをさせられて、喘いで、わめいて、ジタバタして。
初めての痛みに、不覚にもボロボロ涙を流しながら。
俺は女みたいに脚を開いて、抱かれたんだ。
この男、保坂條一郎に。
「ひょえー・・・」
俺はガシガシと頭をかいた。
―――もちろん、無理やりなんかじゃなくって。
すべて、合意の上だ。
俺が望んだから、こいつとそういう関係になった。
わかってるさ。
・・・そう思った途端。
猛烈な羞恥心がこみ上げてきて、俺は赤面した。
「弓ちゃん・・・」
恥ずかしいなんて、もんじゃない。
いたたまれずに、俺は下を向いた。
俯いた拍子に、裸の胸が、視界に飛び込んで来た。
点々と散った花びらみたいな、真っ赤なキスマーク。
「うわぁ・・・」
なんだか禍々しい色に染まってる、勃ち上がったままの乳首。
「・・・マジ?」
動かしようのない、セックスの証拠。
女みたいに愛された身体。
俺は本気で、途方に暮れた。
「弓ちゃんてば―――!」
保坂くんが笑って、俺にもう一度、手を差し伸べた。
「ほら、おいでよ」
「・・・うー」
意味不明の奇声は、照れ隠し。
俺はのろのろと立ち上がり、ふらつきながらベッドによじ登った。
何しろ、腰が痛くてかなわない。
「弓ちゃん・・・」
保坂くんは当然のように、俺の腰を抱き寄せた。
当然・・・なの?
「ほっ・・・さかくん・・・」
くるり、と身を入れ替えて。
保坂くんは至近距離から、とろけそうな甘いまなざしで俺を見下ろした。
大きな身体が、俺をすっぽり覆う感じ。
「おはよう、英弓」
とびっきりの、セクシーヴォイス。
この男のキメ声ってやつだ。
胸のどこかが、ずきんと痛んだ。
―――ずいぶん、幸せそうな顔じゃないか。
「あ、うん・・・」
どうしようもなく恥ずかしくて、俺は目を逸らせた。
くすり、と保坂くんが笑った。
「つれないね」
「・・・んあ?」
俺は憮然として、振り返った。
「初めての朝なんだから、さ。おはようのキスくらい、サービスしてくれてもよさそうなもんだけど」
からかうような、ニンマリ笑い。
やけに嬉しそうじゃないか、こいつ。
「・・・ばか?」
ふてくされるふりをして、俺は彼に背中を向けた。
腕を振りほどいたわけじゃないから、まあ、密着度はあまり変わらないが。
―――ふと、俺はイヤな予感に襲われた。
まさかとは、思うが。
何しろ、抜け抜けとおはようのキスをねだるようなやつだ。
俺みたいなバツイチおやじに、何年もずっとしつこく、蛇のように執念深く恋してた、この男。
『おはよう、英弓』
『おはよう、條一郎』
いちゃいちゃしながら、そんな甘ったるい会話をベッドで交わす日が来ることを、ずっと長いこと、夢見ていたのかもしれない。
「・・・冗談・・・」
「弓ちゃん?」
―――いやいや、幾らなんでもそれは、少女趣味にすぎるだろう。
でも、もしかして、まさか・・・?
「何ひとりで、ブツブツ・・・」
保坂くんは、眉をひそめて俺を覗き込んだ。
「・・・ほえ?」
目の前に、精悍な男の顔。
半眼気味のシャープな視線と、セクシーな唇。
ほつれて絡まった髪の毛すら、妙に決まって見えるから不思議だ。
なぜか無性に腹が立った。
・・・いつもいつも、嫌味に感じるほどのいい男。
俺の仕事仲間で、ライバルで、友人で。
それで、今日からは―――。
「どうしたの?」
「いや」
俺はまるで、初めて見るみたいな気分で、保坂くんをまじまじと見返した。
くすり、と身体をゆすって彼が笑う。
「・・・なんだよ?」
「いや」
保坂くんは、可笑しくてしょうがないというように肩をすくめた。
・・・そんな気障な仕草が、似合うんだよな。
まったく、もう。
「弓ちゃん、自分の男に見とれてない?」
耳元で囁くように、とんでもないことをほざく。
憎ったらしいしたり顔に、俺は眉をしかめてみせた。
「・・・言ってろ」
「弓ちゃん・・・」
低いかすれ声―――キスの予感。
この男ほどじゃないけど、俺だって場数は踏んでるつもりだから、そのくらいはわかる。
ここで、無粋な態度をとるべきじゃないってことも。
俺は頬に血が上るのを感じながら、それでも黙って目を閉じた。
「ん・・・」
確かめるような甘いキスは、すぐに深くなった。
ふるえる吐息。
熱い、濡れた感触。
保坂くんの舌が俺の唇をこじ開け、咥内を探る。
「・・・んふっ・・・」
息苦しいくらいのディープキス。
―――貪られる感じの受身のキスには、まだ慣れない。
俺の腕が、どうしていいかわからなくて宙を泳いだ。
・・・それでも。
ゾクリと、背筋を何かが走る。
押しつけられた下半身に、ふっと不穏な熱い塊を感じて。
「・・・ぷはっ」
俺は身体を捩って、キスから逃れた。
「弓ちゃん―――」
「仕事、なんだろ?」
未練がましい甘え声を、振り切って。
俺はぴしゃりと、言ってやった。
・・・息が切れてて、ちょっと迫力に欠けるけど。
「そんな、うるうるの目で睨まれてもねえ・・・」
存外しあわせそうに、保坂くんが笑った。
なんて言うんだろう。
昨夜までの、イラついた野獣みたいな険しさはなくて。
もっとずっと、ほっこりと落ち着いた感じの笑顔だ。
大きな手が、ゆっくり俺の髪をすく。
何だか、愛しい、愛しいって言われてるようで。
「・・・バカ條一郎・・・」
俺は内心必死で、気恥ずかしさと戦った。
―――いつまで続くのか、知らないが。
この男と、こういう関係になった。
なってしまったものはしょうがない。
どんなに恥ずかしくても、この状況に慣れるしかないじゃないか。
キスも、セックスも、抱擁も。
こいつと過ごす、こんな甘ったるい時間も。
いつか、日常―――になって、いくんだろう。
本当に・・・?
「弓ちゃん・・・」
俺の恋人が、うっそりと笑った。
そのうち慣れて、自然に受け止められるだろうか。
こうやって、まるでオンナみたいに扱われることも。
保坂くんの腕の中で、大事に大事にされちゃうことも。
「いやなわけじゃ、ないんだ・・・」
俺は赤面したまま、嘆息した。
+++
「弓ちゃん、大丈夫?」
もう、何度目だろう。
俺の顔を覗き込んで、心配そうに保坂くんが尋ねる。
スタジオに向かうタクシーの中。
「・・・だから」
俺は大げさにため息をついて、ちろり、とやつを睨んだ。
「・・・つぅ・・・」
気を遣ってくれてるのは、わかるけど。
頼むから、そういうことは聞かないでくれ。
正直なところ。
俺は、舗装の悪い道を走る車の振動に辟易してた。
さすがに、保坂くんには言えないが。
―――痛いんだよ。
言葉にできない痛みだった。
昨夜、彼を・・・受け入れた後ろが、ジンジン痛む。
腫れたまま、熱を持って疼いている感じ。
脂汗が滲んできそうな、経験のない・・・目もくらむほど恥ずかしい痛さだ。
初めてだったんだから、それも当然だが。
―――初体験、なんだよなあ・・・。
その言葉自体、相当に恥ずかしい。
・・・この歳になって、処女を失う女性の苦痛を知るなんて。
まあ・・・仕事で、そういうのを演じたことはあるんだけど。
ふつうの男なら、一生知らなくてすむ感覚だろう。
―――って、ちょっと待て。
俺はもう、ふつうじゃないってことか・・・?
「ううー・・・」
自分に実際起きたことじゃなければ、笑い飛ばしてやれるんだけど。
後悔は、してない。
するわけがない。
俺が自分で決めたことだ。
俺と保坂くんがお互いを欲したから、そうなった。
戸惑いも躊躇いも、なかったとは言わないけど。
でも思ってたよりも、自然に思えた。
條一郎に惚れた。
そういうこと、なんだろう。
知らないうちに、こんなにも好きになっていた―――。
それだけのことだ。
・・・それでもやっぱり、痛いもんは痛い。
心が彼を受け入れても、身体はびっくりして、衝撃の初体験に悲鳴をあげてる。
そんな感じだ。
「條一郎・・・」
俺は思わず、呼んでいた。
保坂くんが、じわっと滲むような笑顔を向ける。
―――ああ、そっか。
名前で呼ばれたのが、嬉しいんだ。
こういうとき、この憎ったらしい男が、とてつもなく可愛く見えるから不思議だ。
「なに?」
「・・・言っとくけど」
「ん?」
「これからは、休みの前日だけにしような?」
「はあ?」
保坂くんはきょとんとした顔で、俺を見返した。
むくれた顔のまま、俺は続けた。
話の内容が内容なので、どうしてもひそひそ声になる。
「・・・こんな状態で仕事するのは、ヤダ。しんどい」
「こんな状態って、弓ちゃん」
保坂くんが、顔をくしゃりと歪めた。
苦笑い・・・なのか。
むき出しの太い腕が、そろりと俺の腰に廻された。
「ちょっと・・・」
俺はその腕に手をかけてのけようとしたが、びくともしない。
・・・ちょっと、悔しい。
ちらり、とタクシーの運転手をチェックしてから。
「ごめん。腰、辛いんだね」
保坂くんは顔をすり寄せて、俺の耳元で囁いた。
「でもきっと、慣れれば、大丈夫だからさ・・・」
したたるような、甘い声でそう続ける。
くすり、と笑う。
とにかく嬉しそうで、嬉しそうで。
こういうの、やっぱり、いちゃいちゃしてるって言うんだろうか・・・?
「・・・保坂くん、ちっとも反省してないね?」
俺は大げさに、ため息をついた。
至近距離のまなざし。
そこには、俺しか映ってなくて。
唇が、近づく。
「好きだよ、弓ちゃん」
ほとんど吐息だけで、保坂くんはそう言った。
エンジン音にかき消されそうなほどの、囁きだったけど。
射抜くような瞳に囚われて、俺は身動きができなくなる―――。
それから、キス。
掠めるような、一瞬だけのキス。
・・・いかにも手馴れた風の、鮮やかな早業なのがむかつく。
「ちょっ・・・」
俺は呆然と、保坂くんを見つめた。
余裕の微笑。
なんてイヤミな男なんだろう。
「こんな、恥ずかしいこと、よく・・・」
・・・こんなつきあいに、慣れろと?
できるのか?
慣れていいのか、俺・・・?
保坂くんの腕に、ぎゅっと力がこもる。
「ほらもう、着くよ」
―――頬に血が上るのを、感じながら。
俺はいたたまれなくて、唇を噛んでうつむいた。
・・・わかってるさ。
こういう男に惚れた俺が、バカなんだよなあ。
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ましゅまろんどん
24 August 2006
あは、は・・・言わずと知れた、『December Love』の翌朝です。
・・・続いちゃいます。
2013年2月4日、サイト引越につき再掲載。