第四章 (2)




☆ ☆ ☆



「クラウディオ・・・」
ゆれる燭台の灯り。
俺はベッドの上から、ほの暗い部屋の片隅に声をかけた。
「・・・ん?」
闇に溶けて、はっきりとは見えなかったが。
優美なシェーズ・ロング(長椅子)に寝そべっているはずのクラウディオが、緩慢に返事をした。
俺がこの部屋で、寝たきりになって以来。
いつの間にか運び込まれたクラシックなシェーズ・ロングが、彼の寝台替わりだった。
「どうした」
やさしい、低い声。
「水がほしいなら・・・」
「いや」
むくりと起き上がる気配に、俺は即座に首を振った。
「・・・眠れないのか」
彼のかすれた声が官能的に聞こえて、俺は肌を粟立たせた。
眠れる、わけがない。
―――俺たちが森から戻ってから10日。
その間、治療と着替えのときを除けば、クラウディオは俺に触れてこようとしなかった。
大切にされているのは、わかっていた。
実際、身体を求められても、満足に応えてやれる状況ではなかったが。
それでも。
―――クラウディオがうやうやしく腰をかがめ、俺の手の甲にキスをするたびに。
俺は、得体の知れない不安に苛まれた。
・・・常に求め合い、触れ合い、四肢を絡めあって眠る。
そんな香藤の愛し方しか、俺は知らないから。
クラウディオの心遣いゆえの距離感が切なく、もどかしかった。



「なぜ・・・」
俺の側に来ない。
そうなじりそうになって、俺は慌てて言葉を呑み込んだ。
これは、女々しい愚痴だ。
香藤の記憶を持たない、この男にとって。
たった一度抱いただけのゆきずりの相手―――それも女性ですらない―――に、何をしてやる義理もない。
これほど大事にされて、文句を言うほうがどうかしているのだ。
・・・でも。
「少し、話さないか?」
ためらいがちに、俺はそう言った。
薄闇の向こうにいるはずのクラウディオに向かって、俺は腕を伸ばした。
ふう、という大きな吐息。
彼の逡巡が、目に見えるようだった。
ギシリと床が鳴り、静かな足音が響く。
淡い月光と蝋燭のゆらめきに照らされて―――。
「クラウディオ・・・」
美しい若い男の貌が、俺の視界に現れた。
困ったような、小さな微笑みを浮かべながら。
彼に差し出した俺の手を掴んで、クラウディオはゆっくりとベッドに腰かけた。
「本当に、困った奴だな」
慈しむような声だった。
「誘うなと、あれほど言っただろう」
「・・・」
「あんまり俺を、試すんじゃない」
彼の大きな手が、俺の指を包んで握りしめた。
伝わるぬくもり。
力強い存在感。
俺のかけがえのないもの。
それに勇気を与えられて―――。
俺は目の前の男の瞳をまっすぐに見据えた。
「俺を抱きたいなら、抱けばいい」



こぼれ落ちるように、さらりと出てきた言葉だった。
「・・・何を躊躇う、ことがある」
声はみっともなく、かすれていたけれど。
「キョウスケ」
クラウディオが、目を瞠った。
俺はもう一方の腕を伸ばして、彼の頬に触れた。
「おまえの好きなように、していいんだ・・・」
「・・・!」
クラウディオの両腕が、ベッドに横になったままの俺をひしと抱きしめた。
「キョウスケ!」
俺の肩に顔をうずめて、彼は小さく呻いた。
「頼むから、俺を煽るな」
荒い息。
クラウディオの身体は、押さえつけた激情に震えていた。
「傷ついたおまえを無理やり抱いたら、俺はおまえを壊してしまう。・・・大切にして、やりたいのに・・・」
怯えと、俺を求める熱い心―――。
それだけで、もう充分だった。



「クラウディオ」
大きな男の身体を、俺はしっかりと抱き返した。
俺たちの鼓動が、ぴったりと重なる。
彼のなめらかな首筋に、俺はそっとくちづけた。
「・・・本当に、いいのか?」
ためらいがちの囁き。
俺を寝台に縫いとめながら、彼はまだ迷っているらしかった。
「ああ」
「まだ・・・完治してないだろう。無理は、させたくない」
俺はクラウディオを見上げて、微笑した。
「バカ。本当に嫌なら、そう言うさ」
―――少し、息を呑んでから。
ゆっくり俺の髪を撫でて、クラウディオが苦笑した。
「俺にそんなことを言ったのは、おまえが初めてだ」
両手で俺の顔を捉え、そっとキスを落とす。
「ん・・・」
触れるだけの、やさしいくちづけ。
俺は陶然と、その甘さに酔った。
「・・・教えて、くれ・・・」
くぐもった声が、耳元で聞こえた。
「クラウディオ・・・」
「やさしくしてやりたいんだ。傷つけたくない。どうすればいいのか、俺に教えてくれ」
その言葉に、俺の心がどうしようもなく震えた。
―――このプライドの高い、若きアポロンのような男が。
矜持をかなぐり捨てて、真っ直ぐな思いを俺にぶつけてきていた。
かつて香藤が、俺のためにすべてを賭けたように。
・・・ああ、これはやはり、俺の香藤だ。
幸せな連想に目眩がした。
俺は目を閉じて、クラウディオの熱い身体を抱きしめた。



「あふ・・・んんっ・・・んはぁっ」
濡れたあえぎ声を、どうしても抑えられなかった。
「キョウスケ・・・」
じれったいほどの時間をかけて。
クラウディオは、俺の全身にくまなく愛撫を施した。
指で、手のひらで、唇で。
まだ本調子ではない俺の身体を気遣って。
それこそ壊れものを扱うかのように、丁寧に愛されて―――。
俺は熱く火照った身体を、すでに持て余していた。
身体のあちこちに残る柘榴色の痣、ひとつひとつに。
「すまなかった」
クラウディオはそう呟きながら、くちづけを落とした。
「はん・・・っ」
そうやって柔らかなキスが、肌に触れるたびに。
濡れた舌が、傷跡をなぞるたびに。
俺は髪を振り乱し、背中を仰け反らせて身悶えた。
―――気が狂うほどに感じて。
クラウディオが身体をずらし、俺の両腿をゆっくり押し拡げた。
「・・・ここも」
濡れたささやきが、俺のペニスにかかる。
「愛してやりたい・・・」
俺はゾクリと全身を震わせた。



とっくに勃っている俺のペニスをやわやわと扱きながら。
躊躇いがちに、クラウディオの指がその下へと滑っていた。
「んああっ・・・ふっ・・・」
熱をはらんで疼く肛門に、彼の指がそっと触れた。
つるりと、戸惑うようなわずかな刺激。
「ん・・・っ」
そこの傷は、まだ癒えていない。
俺は息をつめて、次の瞬間に襲いかかるはずの痛みを待った。
かなり辛いセックスになるだろう。
本能的にわかってはいたが、俺は不安をねじ伏せた。
―――どれほど、辛くても。
クラウディオが望むなら、そこを許すつもりだった。
彼が俺の中に入って悦ぶ貌が、見たかった。
今の俺がこの男にしてやれることは、他に何もないから。
「・・・キョウスケ・・・?」
低い声が、俺を呼んだ。
俺は返事をする代わりに、片腕を伸ばして彼の頭髪をくしゃりと掴んだ。
柔らかい、薄茶色の長髪。
俺の手を取って、指先にクラウディオがキスをする。
―――まるで愛おしくてたまらない、と言われているようで。
沁みわたるような情愛の表現に、胸がつまった。
「おまえは、ここを」
香藤―――クラウディオの指が、再び俺の入口をなぞった。
「舐められるのは、いやか・・・?」
「・・・!」
思いもかけない問いに絶句して、俺は彼の顔を見た。
「そんな・・・」
俺の視線を受け止めたクラウディオの瞳は、真剣そのものだったが。
・・・香藤なら、ともかく。
この男にそんなことができるとは、思えない。
そう思った途端。
香藤の舌にそこを愛される快楽を思い出して、赤面した。
それを知っている自分が、なぜか恥ずかしくて。
「クラウディオ・・・」
答えに窮して、俺は眉を寄せた。
「・・・おまえが嫌がることは、したくない」
俺の手をぎゅっと握ったまま、彼が続けた。
「女はそれで悦ぶが・・・おまえが、そうじゃないなら・・・」
あからさまな言葉に、いたたまれなくて。
「・・・おまえの、好きなように・・・」
顔を背けてそう言うのが、精一杯だった。
「キョウスケ」
焦れたように、クラウディオが首を振った。
「それでは、ダメだ。言ってくれ。俺はおまえの本心が知りたい」
―――この男は、どこまで俺を暴こうとするのだろう?
俺は熱い息を吐いた。
どうしようもない羞恥に、気が遠くなりそうだった。
月の光に、興奮した全裸を晒し。
クラウディオの前に両脚を開き。
隠しようもない俺の欲望を、弄ばれて感じて。
あられもない声をあげながら、彼の指にすべてを許している。
―――これ以上、俺に何をさせる気だ?
俺は目を閉じて、首を振った。



「・・・嫌じゃない。いやな、わけがない・・・っ」
俺はしっかりとクラウディオの手を握り返しながら、答えた。
「これ以上言わせるな、バカ・・・!」
羞恥に頬が火照った。
「キョウスケ」
とろけるような甘い響き。
クラウディオの両手が再び、俺の内腿にかけられた。
荒い吐息が、股間にかかる。
ぬめった柔らかいものが、ピチャリ、と肛門に触れた。
「はぁん・・・っ!」
俺はシーツを握りしめて、思わず腰を揺らめかせた。
濡れた熱い感触が、そろりと俺の中に入ってくる。
―――香藤!
どうしようもなく、全身が総毛立った。
たどたどしい、けれど未知の感覚を楽しんでいるような舌の動き。
「くうっ・・・んんっ」
強張る俺をなだめるように、クラウディオの手のひらが肌をまさぐる。
俺はその手を追いかけて、胸に抱き寄せた。
クラウディオの舌が生き物のように蠢いて、俺の柔襞をくすぐった。
慎重に、やさしく。
奥へ、それからまた戻って、入口の辺りをチロチロと。
ゆっくりと道筋をつけるように、唾液を塗り込める。
「あ、あ、あ、ああぁ・・・ふんっ・・・はあぁっ」
俺はもう、嬌声を抑えることができなかった。
貪欲な内襞が、うねるように収縮して侵入者を捕えようとする。
―――その恥ずかしい器官をクラウディオに愛されている、と思うだけで目眩がしそうだった。
生ぬるい唾液が傷口に沁みるその刺激さえ、俺に快感をもたらした。
・・・愛情がなければこんなことはできないと、知っているから。
全身から汗が吹き出て、腰の奥がじんじんと疼く。
「ふぁっ・・・かと・・・ク、クラウディオ・・・も、もうっ」
―――欲しい。
おまえをそこに、受け入れたい。
・・・想いは、言葉にならなかったけれど。
「キョウスケ・・・」
くぐもった声。
クラウディオが、空いている手で俺のペニスを扱いていた。
そのリズムがだんだんと早まり、俺を容赦なく追い立てる。
熱い舌がねろり、とろり、とせわしなく肛内を行き来した。
たまらなかった。
―――前と後ろを同時にやさしく、限りなくやさしく愛されて。
「はあぁっ・・・んんっ!」
俺は感極まって、全身を震わせて果てた。



「キョウスケ・・・」
胸をあえがせて息を整えている俺を、クラウディオが呼んだ。
「・・・手を、離せ」
苦笑交じりの、かすれ声。
俺は渾身の力で、彼の腕にしがみついていたらしい。
「あ・・・」
すまん、と言いかけた俺を遮って。
クラウディオは首を振ると、ゆったりと全身を俺に重ねてきた。
そのときになって初めて。
俺は、彼が着衣のままだったことに気がついた。
―――俺だけ一方的に愛されて、追い上げられたのか。
頬を染めて見上げた俺に、微笑を返して。
クラウディオは、その太い腕で俺の身体をくるみ込んだ。
月光に晒されて冷えた身体を、暖めるかのように。
「クラウディオ・・・」
俺はそろりと腕を伸ばして、彼のズボンに手を這わせた。
布地越しに感じる、熱を持ったペニス。
それを愛してやりたくて―――。
クラウディオは、そんな俺の手を掴んで押しとどめた。
「・・・どうして?」
小さく尋ねると、彼は笑って首を振った。
「俺は、いい。おまえが感じたなら、それでいいんだ」
「でも・・・」
それでは、おまえが辛いだろう。
「・・・おまえに触られたら、歯止めが利かなくなる。無理をさせてしまうかもしれない」
「俺は、それでも・・・」
言い募った俺の口を、クラウディオはふいのキスで塞いだ。
「ん・・・っ」
「おまえはよくても、俺が嫌なんだ。言っただろう? やさしくしてやりたい。・・・おまえに、無理を強いたくはない」
そう言ったクラウディオの瞳は、穏やかな確信に満ちていた。
―――迷いのない、眩しいまなざし。
俺は黙って、彼の胸に顔を埋めた。





7 May 2006
藤乃めい(ましゅまろんどん)




2013年1月9日、サイト引越により再掲載。当時の原稿を若干加筆・修正しています。