第四章 (4)




それからは、蜜月だった。
初めての恋愛にのぼせるティーンエイジャーのように。
俺たちは飢えたように求め合い、愛し合った。
若い恋人の情熱に、俺は翻弄された。
つきあい始めた頃の香藤と、もう一度恋をし直している気分だった。
クラウディオが城にいる限り、俺たちは常に、二人きりになれる場所を探した。
セックスするためだけではなく―――。
ただ、お互いだけを感じていたかったから。
一触即発の危険をはらんだクラウディオの激高しやすい性格が、少しずつ変わっていった。
穏やかになった、とまでは言わないが。
―――辛抱することを、覚えたような。
与えることの楽しさを知ったような、そんな感じだった。



☆ ☆ ☆



「キョウスケ、ちょっと来い」
いきなり強引に手首を掴まれて、俺は眉をしかめた。
静かな雨のそぼ降る、冷え込んだ朝。
手持ち無沙汰だった俺は、城主の居間で読書をしていた。
アドリアーナは、部屋の片隅で縫い物に専念している。



「・・・どうした」
俺はじっと、唐突に部屋に飛び込んで来た男を見上げた。
一週間ぶりに城に戻ってきた、クラウディオ。
いつものことだが、旅から戻った彼は、潮騒と汗の匂いがした。
それだけで、俺の後ろがドクンと疼く。
無精髭のせいかもしれないが、そうやっていっそう野性味の増したクラウディオは、凄いほどの色気があった。
見慣れないくすんだ赤い宝石が、耳からぶら下がっていた。
―――相変わらず、派手な趣味だな。
思わず微笑すると、クラウディオが両腕を差し伸ばした。
俺はそれに掴まって、ゆらりと立ち上がった。
「帰ったのなら、挨拶くらい・・・」
ため息をつきかけた俺を、クラウディオのキスが遮った。
「・・・んっ」
飢えた男が、俺を抱き寄せて容赦なく口腔をねぶった。
大きな手が、せわしなく俺の身体を這い回る。
滾る欲望を訴えて、彼は股間を俺の下半身にぐいぐいと押しつけた。
「おい、ちょっと・・・」
ここは、二人きりじゃないのに―――。
あまりにもエロティックな抱擁。
慌てて彼の身体を引き剥がし、俺はちらりとアドリアーナのほうを見た。
肩をすくめた彼女が、ふいっと背を向けた。
彼女は最初からクラウディオを良く思っていないので、まあ当然の反応かもしれない。
俺はそっと、嘆息した。



「剣(つるぎ)の間に、皆を集めた。おまえを紹介する」
濡れた声で俺の耳朶をなぶりながら、クラウディオはそう言った。
「・・・え?」
執拗な愛撫に意識がかすみそうになるのを堪えて、俺は恋人を見返した。
剣の間―――というのは、この城の一階にある大広間だ。
その昔、戦の前に騎士を集めて、領主が気勢を上げるための場所だったのだろう。
三階まで吹き抜けの高い天井のある、だだっ広い空間だった。
「仕事から戻った今なら、全員揃っているからな」
さらりと言ってのけるクラウディオを、俺はまじまじと見つめた。
「紹介?」
「そうだ」
クラウディオは俺にコツンと額をつけると、至近距離で微笑した。
彼が最近見せるようになった、包み込むような柔らかい笑顔。
「日陰者にはしないと、言ったはずだ。これをおまえにやったことを、言っておかなくてはならないだろう?」
俺の左手を取って、重たいエメラルドの指輪を撫でる。
「え・・・」
意味のわからない俺の鼻先に、クラウディオはちょんとキスをした。
「いいから、来い」
それ以上説明する気は、ないらしい。
俺は、クラウディオに手を引かれるままに部屋を出た。



☆ ☆ ☆



「うわ・・・」
木造のアーチの美しい剣の間に、一歩足を踏み入れた途端。
俺は、クラウディオの言う『皆の者』が、本当にそれなりの人数を指していることを悟った。
職業柄―――役者をやっていた頃の話だが―――群がるファンをざっと見れば、だいたい人数の見当がつくのだが。
100・・・いや、200人・・・?
いったいこの城に何人が住み働いているのか、想像したこともなかったが。
ざわめく大広間の熱気に、俺はため息をついた。
・・・さらし者だな、これじゃ。
ドレープのかかった黒檀のテーブルの前に立ったクラウディオの姿を認めて、群衆が静まり返った。
好奇の視線が、いやでも俺に突き刺さる。
俺の手を握ったまま、クラウディオが鷹揚に頷いた。
「この度の仕事も、皆の尽力で成功した。礼を言う」
ざわざわと、彼の家臣たちが反応する。
賞賛の声、のようだった。
「解散の前に、言っておきたいことがある」
クラウディオは、俺の腰をついと引き寄せた。
「おい・・・っ」
「いいから」
射るような真剣な瞳で、俺の抵抗を封じて。
クラウディオは家臣たちに向き直って、微笑した。
「先日から、俺の居室に住まわせているので、見知っている者も多いだろうが―――これはエレナ姫だ」
剣の間が、どよりと揺れる。
「何しろ、『フェラーラの薔薇』だそうだ。・・・美しいだろう?」
捉えた腰から下へそろりと手を這わせながら、しらっとそんなことを言う。
俺はあっけにとられて、恋人の横顔を眺めた。



・・・ドレスを着せられていた頃なら、ともかく。
今着ているのは、クラウディオにあてがわれた仕立てのいい黒シルクのシャツと、同じく黒の細身のズボン。
優美なシャツには金糸、銀糸の刺繍が施されているが、もちろん男物だ。
おまけに胸が大きく開いていて―――俺が女性でないことは、どう見ても明らかだ。
そもそも、この世界に迷い込んでからこっち、俺がなぜ女に見えるのか、さっぱり理解できずにいるが―――。
それにしても。
さすがにこの格好で、『エレナ姫』はないだろう。
同じことを、皆も考えたのだろう。
正面に立っている中年の男が数人、口をあんぐりと開けて俺を凝視していた。
その目に当惑と混乱が見える。
「おい、クラウディオ・・・」
「過日、姫に『ケレスの泪』を渡した」
朗々とした声でそう言うと、クラウディオは俺の左手を取って高く掲げた。
大粒のエメラルドが、自然光を乱反射して鮮やかにきらめく。
大広間が、いっそう大きくどよめいた。
―――ケレス?
確か、ギリシャ神話に出てくる豊穣の女神だったような・・・?
俺はしげしげと、その指輪を眺めた。
何も聞かされていないが、よっぽど曰くつきのものらしい。
クラウディオが、ゆったりと周囲を睥睨した。
「今後、姫の言葉は俺の言葉だ。俺のものはすべて、姫のものだ。俺の妻として、最大限の礼節を尽くすように」
その言葉に、剣の間は水を打ったようにしんと静まり返った。
それから徐々に、驚愕のどよめき。
ざわざわと風が渡るように、戸惑いの波紋が広がっていく。
「奥方様・・・?」
「でも、その方は・・・」
クラウディオにしっかりと抱き込まれたまま、俺は呆然としていた。
彼の家臣たちが、値踏みするように俺の全身を眺め回す。
敵意ではないにせよ―――好奇心むき出しの、遠慮のない視線。
男じゃないか。
男同士で抱き合うのか、と蔑まれている気がした。
「何も、こんなこと・・・」
いたたまれない思いで、彼の耳にそう囁きかけたとき。
・・・パン、パン。
家臣のひとりが、拍手を始めた。
「おめでとうございます」
その声に、すぐに周囲の者も加わった。
「おめでたいことでございます、首領」
「ご主人さまが、お選びになった方ならば・・・!」
バラバラとあちこちで拍手が湧きあがる。
あっという間に、喝采はうねりのように大広間を席巻した。
俺たちはその祝福の言葉を、信じられない気持ちで聞いた。
・・・いや、信じられないと思っていたのは、俺だけかもしれない。
クラウディオは涼しい顔をして、祝賀に応えていた。
その太い腕に力がこもり、いっそう俺を抱き寄せる。
「おまえは、バカだな・・・」
俺は苦笑して、クラウディオを見つめた。
「家臣たちに嫌われたら、どうするつもりだったんだ?」
「嫌われないさ」
自信に満ちた笑顔が、返ってきた。
「俺の手下だ。信頼できる者しか、ここにはいない」
若きリーダーの風格を漂わせて、クラウディオが断言した。
鳴り止まない拍手を、聞きながら。
彼は俺の顎に、そっと指を添えた。
「・・・おい?」
「キョウスケ」
とろけるような、甘い声。
誘うような響きに、俺の下半身がズキンと反応した。
「これでもう、逃げられないぞ・・・?」
飢えているのは、この年若い恋人だけじゃない。
・・・もう、どうにでもしてくれ、という気分で。
俺は目を閉じて、クラウディオのキスを受け止めた。



☆ ☆ ☆



「キョ・・・スケ・・・んっ・・・ここか? ここが、いいのか・・・?」
「・・・んぁっ、はっ・・・ふぁ・・・はぁん・・・っ」
項を執拗に舐めあげる、熱い舌。
俺の中で縦横無尽に暴れ回る、灼熱のペニス。
固くしこった乳首を、器用な長い指が弾く。
「はんっ・・・ク、ラウディ・・・も、もぉ・・・っ」
がっちりと腰を後ろ抱きにされ、全身を痙攣させながら。
俺は嬌声をあげて、干し草の束にしがみついた。



久しぶりにクラウディオと遠乗りに出かけた、その帰り。
厩舎脇の干し草小屋でいきなり求められ、俺たちは干し草の絨毯にもつれ転がった。
太陽の匂いのするまぐさが、ガサガサと乾いた音を立てた。
性急なくちづけ、せわしない愛撫。
乱暴に下半身だけを剥かれた、破廉恥な姿で。
晴天の昼下がり、誰に見られるかもわからないというのに。
「欲しい」
火を噴くようにそう囁かれただけで、俺は抵抗を諦めた。
若い恋人に貫かれ、息もつけないほどに感じて。
どれほど堪えようとしても、喘ぎをかみ殺すことさえできない。
「んふっ・・・クラ・・・ディオ、んああっ・・・そ、そこ・・・っ」
惑乱、というのはこういうことかもしれない。
クラウディオが、俺の柔襞を酷いほどに擦り上げる。
淫らに腰を振りながら、俺はもう理性を失いつつあった。
もっと、もっと。
もっと深く、突き上げて欲しい。
「くっ・・・はあっ・・・あん・・・んんっ!」
肛門を蹂躙する怒張に狂わされ、俺は涙をこぼして身悶えた。
「・・・キョウスケ・・・ッ!」
ひときわ深く、きつく、最奥の敏感なところを抉られて。
俺は背を仰け反らせ、干し草に突っ伏して絶頂を迎えた。
「あああぁ・・・!」
閃光が目の前をよぎった。
香藤―――クラウディオだけが俺にもたらすことのできる、官能の高み。
断末魔のように暴れながら弾けたペニスの熱さに、気が狂いそうになりながら。
「んっ・・・か、かとぉ・・・ひああぁぁっ・・・っ」
俺は背中から廻った太い腕にすがって、強すぎる快感をやり過ごした。
クラウディオの腕が伸びてきて、俺の口に強引に指が突っ込まれた。
「ぅぐ・・・っ」
咥内の粘膜をこねくり回される、苦しさに喘ぎながら。
俺は気が遠くなるのを感じた―――。



荒い吐息。
背筋に押しつけられる、クラウディオの早い鼓動。
後ろから抱きしめている恋人が、手慰みのようにシャツ越しに俺の乳首を愛撫する。
「クラウディオ・・・」
かすれた声の淫猥さに、我ながら目眩がしそうだった。
俺は痺れた身体を、のろのろと動かした―――肛内に深々と、クラウディオが突き刺さったまま。
「・・・ん?」
気だるげに、彼が俺の髪を撫でた。
「抜こうか?」
「いや・・・そのまま・・・」
クスリと笑って、クラウディオが俺たちの繋がっている場所を指で辿った。
「あっ・・・バカ・・・」
今はおとなしいペニスを銜え込んだ柔襞が、ゆるゆるとした刺激に疼いた。
更なる快楽を期待して、肌が粟立つ。
俺は慌てて、いたずらな彼の指を捉まえた。
「まだ、足りないんだろう?」
官能を刺激する、低いセクシーな声。
俺は首をひねって、意地悪な恋人を睨みつけた。
「・・・こんなところで」
言いたいのは、そんなことじゃないのに。



憎らしい笑顔を向けるクラウディオに、俺は吐息をついた。
「どうした?」
すぐに、暖かい腕が俺を抱き寄せる。
やさしい―――やさしすぎる恋人。
俺は顔を逸らせて、呟いた。
「・・・おまえは、なぜ、責めない」
「何のことだ?」
不思議そうな顔。
真っ直ぐな強い視線が、俺の表情を読み取ろうとする。
「ああ」
ようやく、それに気づいたように。
クラウディオは、小さく苦笑した。
「おまえが、例の男の名前を呼んだことか」
さらりと、まるで、瑣末なことであるかのように。
「・・・それはもう、しょうがないな」
甘い声でそう囁いて、彼は俺を後ろから抱きしめた。
「あの名前はおまえにとって、愛の言葉と同じなんだろう・・・」
項にくちづけながら、クラウディオが言った。
俺の心臓が、ドクンと震えた。
「クラウディオ・・・」
「俺に抱かれるおまえが、他の男のことを考えていないことくらい、わかるさ」
濡れた愛撫に、身体を震わせながら。
俺はそっと、吐息をはいた。
「あの名前を呼ぶおまえは、本当に幸せそうだ。最高に感じて、幸せそうに俺にすがりつくおまえが、可愛くてしかたない」
気障な台詞をさらりと言われて、俺は赤面した。
大きな手のひらが、俺の肩を、腰を、下肢を、確かめるようになぞる。
「この身体に、愛される悦びを教えたのが俺ではないのは、悔しいが。でも・・・その男との恋愛も、今のおまえの一部だろう?」
穏やかな、自信に満ちた声だった。
俺は干し草のベッドに顔を半分うずめたまま、その福音をじっと聞いた。
―――この男は、いつの間にこんなに、大人になったのだろう。
ついこの間まで、嫉妬と焦燥を、容赦なく俺にぶつけていたのに。
愛おしさに、胸がつまった。
「その男との過去があって、今ここに、おまえがいる。・・・違うか?」
クラウディオの手を握りながら、俺は首を振った。
―――香藤。
本当に、おまえの言う通りだ。
「どれほど嫉妬しても。・・・おまえの人生を否定したくはない。おまえは今、俺の腕の中にいる。―――それだけで、いいさ」
その言葉に、迷いはなかった。



話はもうおしまいだ、というように。
クラウディオは微笑して、俺からそっと身体を離した。
腰を上げると、手早く身じまいをする。
「ほら、起きろ。そろそろルジェーロが心配して、探しに来るぞ」
差し出された腕。
俺はそれに手を絡めて、ふらりと立ち上がった。
クラウディオが俺をふわりと抱きこみ、左手を取る。
エメラルドの指輪に、楽しそうにキスを落としながら。
「寛大な夫に、惚れ直しただろう?」
「・・・バカ」
頬を染めて、そう言うのが精一杯だった。
クラウディオが、俺の全身にまとわりつく干し草を払い落とす。
「これでは、どこで何をしていたか、一目瞭然だな」
顔をしかめる恋人に、俺は思わず噴き出した。
「・・・ぁ・・・」
その途端。
クラウディオの精液が、つうっと俺の内腿を伝ってこぼれた。
「どうした?」
身体を震わせた俺に、彼が怪訝な顔をする。
俯いた俺の視線をたどって、それに気づくと。
クラウディオはにやりと笑い、片膝をついて腰を下ろした。
「後で風呂に入れてやる。今はこれで、我慢してくれ・・・」
無造作に俺の腿を開かせて、流れ落ちたものを舌ですくい取る。
「あ・・・っ」
濡れた、生暖かい感触。
いたずらな指が、ついでのように火照った柔肌をまさぐる。
「はう・・・んんっ」
敏感な内腿を愛撫されて、俺は思わず甘ったるい声を上げた。
膝が、震える。
―――ガタリ。
その瞬間、大きな音が聞こえて、俺たちはぎょっとして扉を振り返った。
「・・・!!」
俺は息を呑んだ。
顔なじみのクラウディオの従者が二人、呆然と立ち尽くしていた。
耳まで真っ赤にして、硬直している。
・・・しばしの沈黙、そして。
「―――お、奥方様・・・!」
年長のほうが、はっと我に返って頭を下げた。
「も、申し訳ありません・・・!!」
驚愕の表情のまま、彼らは一目散に逃げ出した。
小屋の扉が、ガタガタと閉じられた。
一瞬の出来事。
俺は―――そこから動けなかった。
「・・・っ」
下半身だけを晒して、干し草の束に背を預けて立ったまま。
腰をかがめ、股間に顔を埋めるクラウディオの愛撫を、陶然と受けていたのだ。
真昼間に、こんなところで。
「冗談だろ・・・」
見られてしまった、こんなところを。
羞恥で、神経が焼き切れそうだった。
「どうした、キョウスケ?」
平然と、クラウディオが顔を上げた。
・・・この男にとっては、なんでもないことなのか。
俺は、嘆息して天を仰いだ。





19 May 2006
藤乃めい(ましゅまろんどん)




2013年1月12日、サイト引越により再掲載。当時の原稿を若干加筆・修正しています。