第四章 (7)
☆ ☆ ☆
はるか彼方に聞こえる、鳥のさえずり。
寝室の窓から、ほの明るい東雲(しののめ)が見え隠れしていた。
うっすらとした朝の光が、寝台を弱々しく照らす。
「ん・・・」
俺はぼんやりと覚醒した。
寝室に立ち込める、ほのかに甘い香料の薫り。
・・・ルジェーロが来たのか。
朦朧とした頭で、そう、考えた―――。
俺はしばらく、まんじりともせずにクラウディオの寝顔を見つめた。
やすらかな、精悍な面差し。
規則正しい寝息。
焼けた肌が、ところどころ小さな斑(むら)になっている。
・・・サーフィンをやっていた頃の香藤も、きっとこんな感じだったのだろう。
そう思って、俺は微笑した。
彼が起きる前に、湯浴みをしておこうか。
俺はそろそろと、シーツの下で身体の向きを変えた。
「ぁつ・・・っ」
その瞬間。
胸を貫くような思いがけない痛みに、俺は驚いて自分の身体を見下ろした。
「・・・あ・・・」
両の乳首が、柘榴色にしこっていた。
明らかな噛み痕と、吸われた痣と、無数の小さな傷―――。
折檻の後、のように見えなくもない。
「バカ・・・」
意識した途端に、そこがじんじんと疼き始めた。
バカなのは俺だ。
自嘲するしか、ないほどに。
そこを弄られて感じるとか、感じないとか、そういうことではなく。
クラウディオにすべてを預けると決めたくせに、心の底で香藤を求めて涙を流す、そんな俺の弱さのせいだ。
本来クラウディオに、嗜虐の趣味はない。
少々粗野ではあるかもしれないが、それだけの話だ。
激情型だが、頭の回転は速い。
むしろひどく優しい、度量の大きな男だと思う。
過去を語らない俺を、黙ってそのまま受け入れてくれた。
それなのに―――。
「俺の、せいか・・・?」
俺はそっと自問した。
俺に対する歯がゆさが、彼を苛立たせているのかもしれない。
俺の心の在り処に確信が持てないから、ああして俺を甚振り(いたぶり)試すのかもしれない。
「業が、深いな・・・」
いつか呟いた言葉を、俺は再び口にしていた。
クラウディオを起こさないように、俺はそうっと寝台を降りた。
・・・いや、降りようとした。
裸のまま、いつも通りに絨毯に降り立った―――つもりだったのだが。
「あ・・・っ!」
ドサリ、と鈍い音を響かせて。
俺はよろめいてバランスを崩し、そのまま床にへたり込んだ。
「え・・・」
ずん、と鉛のように重い腰。
―――下半身に、まるで力が入らない。
心当たりがありすぎて、俺は苦笑した。
昨夜の、気の遠くなるようなセックス。
喉が嗄れて悲鳴すら出なくなるまで、執拗に、狂おしいほどに何度も愛された。
・・・いつ終わったのか、いつ眠ったのか、覚えていないほど。
全身が、今でも軋む気がした。
クラウディオが航海から戻ったときは、いつもそうだが。
昨夜は特に―――いたたまれなくなるほど優しく、きつく、甘い行為だった。
いつまでも絶頂が続き、苦しくて、涙をふり零して身悶えた。
その後はもう、覚えていない・・・。
「・・・キョウスケ?」
俺のたてた音で目覚めたのだろう。
とろんと眠たげな、クラウディオの低い声。
緩慢な仕草で手を動かし、褥の中に俺を探しているらしかった。
「・・・ん・・・?」
それからむくりと顔をあげて、ベッド下に座り込んでいる俺に気づいた。
「・・・何を、しているんだ?」
ペタリと床に座ったままの俺を、まじまじと見下ろす。
「クラ・・・」
答えようとして、俺はふと、声が出ないことに気づいた。
ヒリヒリと痛む喉―――。
「声が、出ないのか」
俺は苦笑して、頷いた。
慎重に体重を両足に乗せながら、俺はふらりと立ち上がった。
ぐらりと、視界が揺れる。
「っおい・・・!」
クラウディオが慌てて、横になった姿勢のまま、俺の腕を引っ張った。
ベッドの端にすがるように、俺は身体を支えた。
「無茶をするな」
黙って頷き、俺はベッドに腰を下ろした。
ほっと息をついた俺を下から覗き込んで、クラウディオが笑顔を見せた。
太陽の光が差すような、邪気のない微笑。
眩しくて、俺は顔を伏せた。
「どうした?」
甘えるように、クラウディオが顔を寄せる。
「ボンジョル・・・」
後の言葉は、キスに飲み込まれた。
当然のようにクラウディオの手が俺の腰を抱き寄せ、裸の胸に指が伸びた。
「・・・っん・・・あぅっ」
疼痛が走って、俺は反射的に身を捩って逃れた。
「え・・・」
驚いたクラウディオが、すぐにはっとした表情になる。
しこったままの、傷ついた突起。
「・・・酷いな」
そう呟いて、くしゃりと微苦笑した。
クラウディオはゆっくりと俺を抱き込み、コツンと額をつけた。
「傷の手当を、しないとな―――」
指先でそっと、柘榴色に変色した乳首に触れる。
まるで初めてそこに触れるような、不器用な慎重さで。
「いやか?」
俺は首を横に振り、息をつめてその刺激に耐えた。
痛みよりも甘美な疼きが勝る。
「・・・どっちにしろ」
いたずらっ子のような顔をして、クラウディオが言った。
「今日は、動けないだろうから」
子供を宥めるような、そんな気安さで。
「あきらめて、ここで寝ていろ」
瞼にキスをしてから、クラウディオはゆっくりと俺を寝台に横たえた。
「誰の、せいだと・・・」
俺の髪を撫でる恋人を見上げて、俺は嘆息した。
―――彼を責めるのは、簡単だが。
それは逃げだ。
これは、クラウディオの問題じゃない。
・・・わかって、いるさ。
☆ ☆ ☆
『おまえは、女を抱いたことがあるか?』
いつだったか、クラウディオが俺に聞いた。
終わらない夜。
ベッドの中で、身体の奥深くにクラウディオを受け入れた状態で。
『え・・・?』
クラウディオの髪から滴る汗を、舌先ですくいあげながら。
荒い息をついて、俺は瞠目した。
―――昔いた業界が、業界だ。
単純に抱いた女の数だけなら、クラウディオよりも多いだろう。
もっともそれを、中世イタリアの住人に説明するのは、とうてい不可能だが。
『・・・なぜ?』
恋人の意図を測りかねて、俺は薄茶色の瞳を見上げた。
『いや』
決まり悪そうに、クラウディオが首を振った。
『嫌なら、言わなくていい』
まるで口にしたことを恥じるような、照れた微苦笑。
・・・嫉妬、なのか。
俺が昔から、こうして男に抱かれて悦ぶ性癖を持っていたのか、どの程度そういう経験があるのか、知りたいということだろうか。
『―――女とつきあったことくらい、あるさ』
俺は、微笑した。
『抱いたことも、何度もある。・・・でも』
『でも?』
俺はじっと、クラウディオを見つめた。
『・・・女に惚れたことは、ないかもしれないな』
『キョウスケ』
『んぁあ・・・っ』
クラウディオが俺を抱き寄せ、腰を深く突き入れた。
彼を包む熱い柔襞が震え、ヌチャリと粘着質の音がした。
『バカ・・・話の、途中だろ・・・』
体内にこもる熱を持て余して、俺はほうっと息をついた。
宥めるように、手のひらでクラウディオの背を撫でる。
『惚れたことは、ないって?』
熱い息を吐きながら、クラウディオが聞いた。
『女には、魅かれないということか』
『・・・そうだな。そうかもしれない。考えたことは、なかったけどな』
俺は淡々と、そう答えた。
目を細めるクラウディオを見上げて、言葉を続けた。
『だが、それなりの関係は、あったんだ。そのことに疑問も、持たなかった・・・』
クラウディオが、俺の瞳を覗き込んだ。
『じゃあ、なぜ・・・?』
『・・・男に抱かれるようになったか、か・・・?』
落ちてきたキスに、俺は舌を差し出して応えた。
『んん・・・っ』
これ以上ないくらい、しっかりと四肢を絡め合う。
甘いキス。
じっとり汗ばんだ肌。
むせ返るような男の匂いに、身体がどうしても反応する―――。
『・・・なぜだろうな・・・』
唇がふっと離れて、俺は呟くように言った。
―――俺、あんたのそういうところ、嫌いじゃないよ。
―――それでも、岩城さんかわいいって思っちゃうんだもん。
若い頃の・・・まだ子供だった頃の香藤の言葉が、ふいに心に甦った。
全身にパッションを漲らせて、俺の懐に飛び込んできた香藤。
まっすぐな想いに翻弄され、押し流されて。
困惑しつつも、嫌にはなれなくて。
気づいたら、俺は香藤に夢中になっていた。
男だとか女だとかを超越したところで、彼を受け入れていた。
抱くか抱かれるかなど、どうでもいいと思えるほど―――。
『―――キョウスケ』
『・・・あ』
目を眇めて俺を見下ろすクラウディオが、俺の肩を揺すった。
『・・・すま・・・』
謝ろうとした俺を、クラウディオが首を振って制した。
深いため息。
『俺はそんなに、その男に似ているのか?』
不意打ちのような問いかけに、俺は身体を震わせた。
『何を言っ・・・』
『ごまかすな』
ほうっと息を吐いて、クラウディオは俺をぐいと抱きしめた。
彼の楔が、いっそう深く俺を穿つ。
その逞しい腕が、俺を拘束する―――。
『クラウディオ・・・俺は・・・』
『気づかないと、思っていたのか?』
困惑した俺の表情を読み取って、彼は少し笑った。
『気にするな。わかっていたことだ。・・・ときどきおまえは俺を見つめながら、そいつの名前を呼ぶからな』
その声は、あくまで穏やかだった。
―――似ているも、なにも。
俺が愛した男は、後にも先にも、おまえひとりだ。
それ以外の誰にも、脚を開いたことなどない。
『クラウディオ・・・』
唇が震えた。
・・・説明できる、ものならば。
言葉につまって、俺は彼の胸に顔を埋めた。
我ながら狡いと思うが、どうしようもない。
『まあ、いい』
クラウディオが、頭の上で苦笑するのがわかった。
その手がするりと、俺の腰を抱え直す。
『ひぅん・・・っ』
熱い脈動を伝えるペニスがズルリと引き抜かれる生々しい感覚に、俺は息を呑んだ。
身体の中に、空虚感が生まれる。
次の瞬間の蹂躙を待ちわびて、内襞が震えた。
『・・・んはあぁっ・・・!』
クラウディオが、一気に俺を貫く。
深く腰を捻じ込むように、苛むように、何度も。
俺の最奥を、怒張したペニスが擦り上げた。
『ああぁ・・・ふあっ・・・っく・・・んんっ!』
俺は全身を仰け反らせて、その律動を受け止めた。
肌が火照り、熱に浮かされたようにクラウディオに縋りつく。
『んあぁあ・・・はう・・・っ』
―――貪るようなキスに、吐息まで奪われ。
俺は苦しさに喘ぎながら、クラウディオの背中に両腕を廻した。
・・・絶頂の予感に、身体が痙攣した。
叩きつけるように、クラウディオが俺の肛門を出入りする。
その灼熱の圧倒的な存在感に、目眩がした。
『・・・クラウ・・・あ、あ・・・っいく・・・んああぁ・・・っ!』
我を失って、俺は思いきり嬌声を上げていた。
ドクン、と。
俺の内壁の奥で、クラウディオが勢いよく弾けた。
じわりと溢れ出す、充足の証。
『キョウスケ・・・!』
クラウディオがどさりと、俺の上に覆いかぶさってきた。
荒い吐息が、耳元に聞こえる。
胸を大きく上下させて、俺は弛緩した身体をシーツに沈めた。
『この・・・綺麗な身体は―――』
気だるい静寂。
情事の後の掠れた声で、クラウディオが呟いた。
しなやかな指が、緩慢に俺の身体を辿る。
耳から肩へ。
腰から大腿部へ。
それが自分のものであることを、確かめるかのように。
『・・・おい・・・』
くすぐったくて、俺は身を捩った。
どこを触られても、ピリリと電流が走るように感じた。
過敏な肌がざわめき、クラウディオに応える―――。
『その男しか、知らなかったのか・・・?』
自問自答のように。
クラウディオはそう言って、ごろりと俺の隣に横臥した。
『俺も、まだ―――』
その後の言葉を飲み込んで、クラウディオは俺を見つめた。
『・・・おまえしか、知らない』
俺はそのまなざしを、至近距離で受け止めた。
『おまえ以外の男なんて、知りたくもない』
そう言い切った俺を、クラウディオは黙って見つめた。
『・・・そうだな』
眉をしかめるように、小さく微笑して。
『おまえが言うなら、そうなんだろう』
クラウディオはそっと、俺を抱き寄せた。
☆ ☆ ☆
翌日、アドリアーナが出奔した。
俺たちがそのことに気づいたのは、今まさに航海に出る、という朝だった。
2 August 2006
藤乃めい(ましゅまろんどん)
2013年1月18日、サイト引越により新サイト(新URL)に再掲載。初掲載時の原稿を若干加筆・修正しています。