「ほんとに俺・・・岩城さんのこと、好きなのかなァ・・・。」
「あー?なんか言ったか?」
「なんでもねぇよ。」
休日、悪友二人に呼び出されて、香藤は居酒屋でくだを巻いていた小野塚と宮坂に合流した。
ぐるぐると、頭の中を駆け巡っていた疑問を忘れるには丁度いい、と踏んだわけだが、結局二人をほったらかして堂々巡りは止まらず、香藤はジョッキを片手に嘆息をついた。
「なーに、溜息なんかついちゃって。」
「暗いよー?」
「別にー。」
居酒屋と言う場所ではかなり目立つ三人に、入って来たときから、ちらちらと彼らを窺う数人の女性だけのグループに、宮坂がちらりと視線を向けた。
「よー、小野塚。声かけてみねえ?」
「いいけどー。」
「俺はいい。」
香藤は顔を顰めて首を振ると、ジョッキを空にして立ち上がりかけた。
「ちょっと待てよ。」
その腕を掴んで座らせると、宮坂が香藤の顔を覗き込んだ。
「なに、珍しいじゃん。お前が女いらねーなんていうの。」
「ははーん。」
「なんだよ?」
小野塚のしたり顔に、香藤は盛大に眉を寄せた。
「さっきの溜息って、それ?」
「それってなんだよ?」
「女がらみ。」
「・・・うるせーな。」
「当たりか。」
苦笑する香藤を、小野塚は頬杖をついたまま見上げた。
「もてるからねー、変なのに付き纏われて困ってるとか?」
「違う。」
宮坂の茶々に香藤は首を振った。
「じゃ、なに?」
「言えよ、ほら。」
両側からまじまじと見つめられて、香藤は口篭った。
「まさか、と思うけどな。」
「なんだよ、小野塚?」
「真面目に恋愛してます、とか言うんじゃないよなー?」
「・・・わかんねえ。」
「は?」
「わかんねえんだよ、自分でも!」
ガリガリと頭をかく香藤を、小野塚と宮坂は唖然として見返した。
「すんません、生ビール、中ジョッキ!」
「三つねー!」
店員に叫んだ香藤に便乗して、小野塚がそう続けて、むっつりとする香藤を見つめた。
「なに、自分で好きなのかどうかわかんなくて、悩んでんだ?」
「うるせえな、そうだよ。悪いか?」
「いや、別に悪かねーけどさ。悩むような相手なわけ?」
小野塚が届いたビールに口を付けながら、香藤を横目で見た。
その小野塚をちらりと見て、ジョッキを煽る香藤に、小野塚と宮坂は顔を見合わせた。
「それってさ、すっごいブス、とか?」
「いや・・・すっごい美人。」
香藤の返事に、宮坂が「おー、」と声を上げた。
「そんなの悩むことじゃないじゃん。お前今まで落とせなかった女なんか、いねーんだから。」
「そういう問題じゃねーんだって。」
「ほんじゃ、不倫、とか?」
「ちげーよ!独身。」
宮坂に、香藤は首を振って答えた。
「おまけに真面目で素直。すっごい純。」
「それで、なにが問題なわけ?」
「・・・なに、って・・・。」
答えられるわけがない、と香藤は苦笑を浮かべてビールを一口飲んだ。
「しょーがねー奴。そういうことなら尚更じゃん。パーっと遊んで憂さ晴らしでもすれば?」
「あ、だからいらねえって!」
止めようと腕を伸ばした香藤を無視して、宮坂は女たちの席に向った。





つまんねぇ・・・。
内心でそう呟いて、香藤は前を行く小野塚と宮坂のあとを、だらだらと歩いていた。
居酒屋を女連れで出て、これから別の店に移動する途中だった。
女たちが、香藤を気にして振り返る。
それに曖昧な笑顔を向け、香藤は密かに溜息をついた。
その時。
「いえ、もうここで結構ですから。」
駅前に差し掛かり、タクシーの脇を通り過ぎようとした香藤の耳に、飛び込んできた声。
考える間もなく、香藤はその方へ顔を向けた。
「いえ、本当にここでいいです。今日はありがとうございました。」
「そう仰らずに、なら、ご自宅までお送りしますよ。」
グレーのスーツを着た男に腕を掴まれ、困惑した表情を浮かべるその顔に、香藤の足が無意識に動いた。
「あ、香藤!」
「どこ行くんだよ?!」
呼び止める小野塚と宮坂の声は、足早に行く香藤の耳を素通りした。
二人は、呆然としてその香藤の背を見つめていた。
「あの、ほんとにここで・・・。」
「遠慮なさらないで下さい、岩城主任。こんなの経費で落ちますから。」
「いえ・・・あの・・・。」
岩城は、困り果てて苦笑を浮かべた。
「岩城さん!」
振り返った岩城は、そこに、派手なシャツと花柄の刺繍が施されたジーンズをはいた香藤が、にっこりと笑顔を浮かべて立っているのを見つけた。
「香藤・・・。」
一瞬、呆然と見返して、誰だかわかったのだろう、明かにほっとした色を浮かべる岩城に、香藤はゆっくりと近付いて、その腕を掴んだ。
「ごめん、待たせちゃった?」
「え・・・あ、いや・・・。」
二人の会話と、岩城の笑顔に、男は一瞬黙り込んだ。
「あ、すみません。じゃ、私はこれで。」
岩城が振り返り、男に掴まれた腕を引いた。
男は鼻白んで、慌てて頭を下げた。
「あ、いえ。お約束でしたか。それじゃ、僕はここで。」
上の空でそそくさと挨拶をして、男は駅の改札へ消えた。
それを見送って、岩城は香藤へ向き直った。
「すまん、香藤。助かったよ。」
「なんかね、岩城さんの顔がすごい困ってたからさ。」
「わかるのか?」
「うん。あいつ、それくらい気付かないとだめだよね。誰、あれ?」
「うちの仕入先の営業マンだよ。悪い人じゃないんだが・・・。」
岩城の物言いに、香藤は「ん?」と首をかしげた。
「前から、何度も誘われてたんだけどね。一回くらいは付き合わないとだめかな、と思って・・・。」
「で、今日食事したんだ?」
「うん。そしたら、これから飲みに行こうって言われて、しつこくて・・・。」
「・・・そりゃあ、まぁ、そうだろうね。」
香藤の頭の中に、先輩の言葉がふわりと浮かんだ。
「ほんとにもてるんだ、岩城さん・・・。」
「え?なに?」
「あー、うん。こっちのこと。」
香藤は、ゆっくりと岩城の背に手を触れた。
「送ってくよ。帰ろ、岩城さん。」
岩城がはにかんだ微笑を浮かべて頷いた。
並んで改札へ入っていく二人を、小野塚と宮坂は目を見開いたまま見送った。
「・・・すっごい、美人?」
「真面目で、素直で、純?」
「ちょっとー、行かないのー?」
女たちに急かされて、小野塚と宮坂は歩き出した。
その二人の頭の中に、巨大な疑問符が浮かんでは消えた。
「・・・まさか、ねー・・・?」





電車に揺られながら、香藤は岩城の隣に立ち、その顔をじっと見つめていた。
「岩城さん、家どこ?」
「あ、ああ・・・。」
岩城が口にした駅名は、香藤の住んでいる場所から三つ先の駅だった。
「じゃ、家まで送るから。」
「いや、でもそんな迷惑は掛けられないよ。」
「迷惑って思ったら言わないよ、心配なだけ。」
「心配って・・・。」
苦笑を浮かべる岩城に、香藤はどきりとして眉を寄せた。
「ごめん、気に障った?」
その香藤の少し情けない顔に、岩城は慌てて首を振った。
「いやっ、そうじゃないよ!・・・ごめん。」
「えっ!岩城さんが謝るとこじゃないじゃない。俺のほうこそ、ごめん。」
二人で顔を見合わせて、ぷ、と吹き出した。
「わかった。じゃ、送ってくれ。」





他愛ない話をして、岩城の住むマンションのドアの前まで来て、岩城が鍵を取り出した。
「寄って行くか?」
「ううん。今日は遅いから今度にするよ。って、勝手に今度って言っちゃったけど。」
岩城はにこりと笑って頷いて鍵を開けた。
「おやすみなさい、岩城さん。」
「ああ、おやすみ。」
「ちゃんと鍵掛けてね。」
「馬鹿、俺は子供じゃないぞ。」
「ごめん、ごめん。」
笑いながら香藤は手を振って岩城に背を向けた。
エレベーターに乗り、振り返ると、ドアを閉める岩城の背が見えた。
ドアが閉まったエレベーターの壁に背をつけて、香藤は大きな嘆息を零した。
「・・・決定、だな。」
外へ出て、駅に向って歩きながら、脳裏に悪友二人の顔が浮かんで、香藤は別の溜息をついた。
「今度会ったら、なに言われっかな。」





翌日、出勤した香藤は、片手に弁当の包みを下げて見回りを始めた。
岩城がまだ残業していることは確認済みで、彼の部屋の前まで来ると、香藤は大きく深呼吸した。
「岩城さん、いる?」
ノックをしてドアを開けた香藤に、岩城は振り返って微笑んだ。
「ああ、香藤か。昨日はありがとう。」
「いいよ、そんなの。はい、これ。」
バンダナの包みを受け取って、岩城は嬉しげな顔で香藤を見上げた。
「いつもすまん。」
「どういたしまして。」
にっこりと微笑んで、岩城は弁当の包みを両手で大事そうに机の上に置いた。
「意外、だな。」
「え?」
岩城は申し訳なさそうな顔で、香藤を見上げた。
「ごめん。人は外見で判断しちゃいけないって思ったんだ。昨日のお前の派手な格好からは、仕事してる姿とか、こういう風に弁当を作ってきてくれたりとか、想像もつかないから。」
「ああ、いいよ、そんなの。気にしないで。」
「やさしいな、香藤は。」
その岩城を見つめながら、香藤は少し溜息をついた。
「・・・岩城さんだからだよ。」
「え?」
「好きな人のことは、大事にしたいって思うでしょ?」
「え・・・あ・・・うん。」
「心配するし、さ。特に昨日みたいなことがあると、余計に心配になるよ。」
岩城はその言葉をポカン、として聞いていた。
「・・・あの、香藤?」
「うん、なに?」
「好きな人、って・・・?」
「岩城さん。」
「大事にしたい、って?」
「そう。」
にこり、と笑う香藤に、岩城は顔を真っ赤にして視線をそらした。
「俺は、男だぞ?」
「知ってるよ、もちろん。」
「好き、ってそういう意味なのか?」
岩城が香藤を見上げた。
不思議そうなその顔に、香藤はぷ、と笑いかけて頷いた。
「そうだよ。」
「お前、もてるだろう?別に男の俺じゃなくても、いいんじゃないのか?」
「岩城さんは俺のこと、嫌い?」
「そんなこと、誰も言ってないだろう?」
「なら、いいじゃない。」
「冗談も程々にしろ。俺の年、知ってるだろ?」
「でも、可愛いって思っちゃうんだよね。しょうがないじゃない。」
「は?」
ぽかんとして香藤を見上げる岩城の唇に、香藤が軽く唇を重ねた。
なにが起こったのかわからずに、岩城は呆然としたまま香藤を見つめていた。
「ね?キスもしたいし、それ以上もしたいんだよ、俺?」
「・・・そっ・・・それ以上、ってっ?!」
「当たり前でしょ?好きなんだもん。」
香藤はそう言うと、脇に抱えた制帽を被った。
「じゃ、俺、見回り続けるから。」
「え、あ、・・・ああ。」
岩城は背を向ける香藤に、慌てて立ち上がった。
ドアを開け、微笑を残して出て行った香藤に、岩城はしばらく目をぱちくりとして、その場に突っ立っていた。





「こんばんは。」
岩城が保安室に顔を出し、芝沼が椅子を勧めた。
「すみません、香藤はもうすぐ戻ってくると思うんですが。」
「あ、いえ、いいんです。これ、香藤に渡しておいて貰えませんか?」
そう言って、岩城は弁当包みを机の上に置いた。
「いや、岩城主任、それは直接渡してやってください。その方が香藤も喜ぶと思うんで。」
「いや・・・あの・・・でも・・・。」
「あいつ、何かしました?」
岩城の戸惑いに、彼は心配げに眉を顰めた。
「いえ、そうじゃないんです。」
首を振る岩城に、芝沼はにっこりと笑った。
「巡回、終了しました。」
香藤が保安室のドアを開けて、戻って来た。
「あれ?岩城さん、帰るの?」
「あ、うん。」
机の上に置いた弁当包みを差し出し、岩城は香藤を見上げた。
「ごちそうさま。」
「うん。」
「その・・・美味かった。」
「ありがと。それ一番嬉しいよ。」
「じゃ、俺・・・帰るから。」
岩城が立ち上がり、保安室から出るのを、香藤はそのままついて行き、研究所の門まで送った。
「気をつけて帰ってね。」
「うん。」
「じゃ、おやすみなさい。」
「おやすみ。」
一歩、歩き出した岩城は香藤を振り返った。
微笑んだまま自分を見送っていた香藤に、岩城はもう一度口を開いた。
「おやすみ、香藤。」
「うん、おやすみなさい。」
ゆっくりと歩き出す岩城を、その姿が小さくなるまで、香藤はその場でじっと見つめていた。





2007年5月10日



2013年12月09日、アップロード。