「岩城さん、休憩?」
「あ・・・。」
見回りの途中、香藤は廊下の奥の休憩所に、岩城が座っているのを見つけた。
「・・・うん。」
岩城は、はっとして香藤を見上げ、手に持った缶に視線を落として頷いた。
「どしたの?」
「いやっ・・・別に。」
香藤は、首を傾げて岩城を見返した。
視線を合わせようとせず、下を向く岩城の横顔を見ていると、ぱちぱちと忙しなく瞬きをしている。
頬が少し赤くなっているのを見て、香藤はそっと手を伸ばした。
「うわぁ!」
額に触れられて、岩城が思わず声を上げた。
「あ、ご、ごめん!びっくりして・・・。」
思わず手を引っ込めた香藤は、苦笑しながら首を振った。
「顔が赤いから、熱でもあるのかと思ったんだ。俺のほうこそ、驚かせてごめんね。」
「だ、大丈夫だ。風邪は、引いてないから・・・。」
「そうなんだ。なら、いいけど。」
「あの・・・ごめん。」
申し訳なさそうに眉を寄せる岩城に、香藤は微笑んだ。
「いいよ、気にしないで。」
制帽を被って、「見回りに行ってくるね。」と歩き出した香藤の背を、岩城は唇を噛んで見送った。





「あのさー、」
小野塚が、グラスをテーブルに置いて、頬杖をついて香藤を見上げた。
「この間のさ、」
「なんだよ?」
「あのおっさん、誰?」
「あぁ?」
香藤が飲みかけたグラスを口から放して、眉を顰めた。
呼び出されて、なにを言われるかと覚悟していた香藤は、あまりの言葉に小野塚を睨みつけた。
「だからさ、俺達のことほったらかしてすっ飛んでった、あのおっさん。」
「・・・殴るぞ、お前。」
「怒んなくたっていいじゃんか。どう見ても年上・・・それもかなり。」
「うるせえな。誰でもいいだろ。」
「あの人が、この前言ってたすっごい美人、なんだろ?」
香藤は黙り込み、ちら、と視線を向けた。
「やっぱなー。そうじゃないかと思った。」
「なんで?」
小野塚が、肩をすくめて香藤を見返した。
「おっさんだけど、美人にゃ違いねぇから。」
むっつりとグラスに口を付ける香藤に、小野塚はくすくすと笑った。
「機嫌わるー。」
「・・・五月蝿い。」
「おほっ、なんかあったみたいだねー。ふられた?」
「・・・。」
無言のまま溜息をつく香藤を、目を見開いて小野塚は見つめた。
「あれれ?ひょっとして当たり?」
「わかんねえ。」
「わかんねえ、って?」
「告ってから、避けられてる気もするけど・・・。」
「けどー?」
「普通に喋ってくれるし、嫌がってるみたいでもないし。」
「それってさ、」
小野塚がつまみを口に放り込み、箸を振りながら頷いた。
「相手にされてねえ、ってことじゃん?」
「・・・かも。」
そう呟いて嘆息をついた香藤に、小野塚は笑った。
「自分で言って、落ち込んでやんの。」
「うー・・・。」
パタリ、とテーブルに突っ伏した香藤を、小野塚は呆れて眺めた。
「お前ってさあ、」
「なんだよ?」
テーブルから、ひょこ、と顔を上げて、香藤は小野塚を見つめた。
「ホモだったんだねー。」
「・・・。」
香藤が無言で首を振った。
「んな自覚ない。」
「なんで?あのおっさ・・・いや、あの人、男じゃん。」
じろり、と睨まれて、小野塚は言い直して、ペロッと舌を出した。
「わかんねえんだ。いつの間にか好きだったし・・・可愛いって思っちゃったし。」
「あ?可愛い?!」
「うん。すげえ、可愛い。」
呆然として、小野塚は香藤を見返し、天井を仰ぐように顔を向けて、吹き出した。
「笑うな!なにがおかしい?」
「いや、末期だな。女に飽きたんじゃねえ?」
「そういう理由じゃないって。」
「可愛い?あの、おっさんが?」
「おっさん言うな!」
「はいはい。」
くつくつと笑いの止まらない小野塚を、香藤は睨んだままグラスを呷った。
「で、告って、返事は貰ったのかよ?」
無言で首を振り、香藤は箸を取り上げた。
黙ったまま、小鉢の中をこねくり回して、香藤は箸を置いて再び嘆息した。
「どしたん?」
「・・・そうなんだよなー・・・。」
「あ??」
「ホモ、ってことなんだ・・・。」
「・・・なに言ってんだ、今ごろ。」





「こんにちは。」
香藤が、保安室のドアを開けた。
「おう・・・どうした?」
「え?」
きょとんと見返す香藤を、芝沼が心配そうに見つめていた。
「顔色、悪いぞ?」
「いえ、大丈夫ですよ?」
「ほんとか?」
「・・・そんなに、顔色悪いっすか?」
「うん、悪い。」
はっきりと頷く芝沼に、香藤は苦笑を浮かべた。
「ちょっと寝不足なだけなんで、大丈夫です。」
「そうか?ならいいけどな。」
着替えて出てきた香藤に、芝沼がまだ残っている所員の名と部署を伝えた。
「あ、それから、客が一人来てるから。」
「客?」
「仕入先の営業マンだよ。岩城主任のとこだ。」
「・・・え。」
「あいつ、岩城主任のファンだからなぁ。」
「・・・っ。」
絶句した香藤の顔を、芝沼は面白げに見返した。
「俺っ、見回り行ってきますっ。」
走り出るように廊下に出て行った香藤を、芝沼は笑って見送った。
「ま、大丈夫だろ。岩城主任も、香藤のこと好きなんだし。」
しばらく、芝沼の笑いは止まらなかった。
「まぁ、心配なのはわかるけどね。」





「仕入先の営業マン、ってこの間のあいつだよな・・・。」
しつこく岩城の腕を掴んで、タクシーに乗せようとしていた男の顔を思い出して、香藤はムカムカとする気分を押さえ、各部屋を巡回した。
岩城のいる階へ、階段を上り、角を曲がった。
暗い廊下の先、ドアに設けられた小窓から明かりが漏れていた。
ゆっくりとその廊下を、香藤は歩いた。





「俺、岩城主任のことが好きなんです。」
「は?」
「いや、は?じゃなくて。」
「君、いったい何を言ってるんだ?」
「白ばくれないでくださいよ。こっちは我慢してたのに。」
「え?」
「あんな男と・・・。」
訳がわからない、と見返していた岩城は、いきなり腕を掴まれて抱きすくめられた。
「なっ・・・なにすっ・・・。」
「いいじゃないですか、俺と付き合って下さい。」
「じょ、冗談はよせ!」
「もちろん、冗談なんかじゃありません。」
「ふざけるな!」
岩城が男の腕を振りほどこうともがいた。
「ちょっ・・・やめろ!」
男が片手で岩城の顎を捉えた。
顔を背け、男の肩を引き剥がそうと、岩城は手を突っ張った。
力任せに男が岩城の顔を引き寄せ、唇が触れようとした。
「かっ・・・香藤!」
岩城が、思わず叫んだ。
それに呼応するように、ドアが壁にぶち当たるほど、勢いよく開いた。
「岩城さん!」
「香藤!」
「て、め、え・・・。」
香藤が岩城から男を引き剥がし、男は床に這い蹲るように転がった。
「殺されたいか?!」
「ひ・・・。」
日頃のにこやかな彼からは想像もつかない、香藤の鬼のような顔を、岩城は呆然として見つめていた。
ジリ、と香藤が男に迫ろうとして、岩城はとっさにその腕を掴んだ。
「待て、香藤。」
「なんで、止めるの?!」
「殴るな。お前に傷がつく。」
「でも!」
「いいから。」
岩城はゆっくりと男を見下ろした。
「帰ってください。二度と、ここには来ないように。」
「は・・・。」
男は自分の鞄を掴むと、あたふたと部屋を出て行った。





「殴りたかったのに・・・。」
「馬鹿、強盗でもないのに。」
「そうじゃなくて!」
香藤は椅子に岩城を座らせると、その足元に膝を付いた。
「強盗より性質(タチ)悪いよ。岩城さんを襲ったんだよ?」
「だから・・・無事だったんだし。」
「無事だったって、俺が来なかったらどうなってたのさ?」
「・・・あのな、」
岩城が少しため息をついた。
「俺も男なんだけどな?」
「知ってるってば。」
「そうじゃなくて、俺だって力もあるし・・・。」
香藤がぐじゃぐじゃと髪を掻き毟るようにして、首を振った。
「もおー!違うって。」
「助けに来てくれたじゃないか、お前。」
「当たり前でしょ・・・って、岩城さん。」
「え?」
「俺の名前、呼んだ、よね・・・。」
「あ・・・うん。」
途端に黙り込んだ岩城を、香藤はじっと見つめた。
真っ赤な顔をして俯き、岩城は眼鏡を外して、ハンカチでそれを拭き、ついでに額を拭った。
「汗、かいちゃったよ。」
「なんで?」
「・・・なんで、って。」
「なんで、俺の名前呼んだの?」
「そっ・・・それは、その・・・。」
香藤は岩城の手から眼鏡を取ると、机の上に置いた。
岩城の前に膝を付いたまま、香藤はその肩をそっと掴んだ。
「ね?なんで?」
「なんでって・・・わからない。」
「わかんないの?」
こくり、と岩城が頷いた。
「気付いたら、お前の名前、呼んでた・・・。」
「それって、俺のこと、嫌いじゃないって思っていいのかな?」
「嫌い、なわけないだろ。」
「そう?最近、岩城さん俺のこと、避けてるみたいだったし。」
「ち、違う!」
岩城は顔を上げて香藤を見つめた。
「恥ずかしくて、お前の顔、まともに見られなかったんだ。」
「恥ずかしい?どうして?」
「・・・。」
くしゃり、と顔を染めて下を向いた岩城を、香藤は思わず抱き込んだ。
「か、可愛すぎるよ、岩城さん。」
「可愛くない!こんな小父さん・・・。」
「可愛いよ、岩城さんは。」
香藤はそっとその頬に手を触れると、唇を寄せた。
「俺、自惚れていいんだよね?岩城さん、俺のこと好きだって。」
「・・・え・・・あ・・・えっと・・・。」
「いいよね?」
そう言って、香藤は岩城の唇にそっと触れた。
目を見開いたまま、岩城はそのキスを呆然として受けた。
唇を離して、香藤は岩城のその顔を見て、ぷ、と吹き出した。
「岩城さん、今までキスしたことないの?」
「し、失礼だな!キスくらいしたことある!」
「じゃ、目、閉じて?」
「う・・・。」
ぱちぱち、と瞬きをすると、岩城は香藤を見つめた。
なにか言いたげに開きかけて止めると、岩城は目を閉じた。
その頬をそっと両手で挟んで、香藤は岩城に唇を重ねた。
「可愛い・・・。」
唇を離して、香藤は真っ赤になった岩城の顔を蕩けそうな顔で見つめた。
「うるさい。可愛い、可愛いって言うな。」
しばらく、香藤は岩城を抱き締めていた。
「あのさ、岩城さん。」
「え?」
「今日、何時まで仕事?」
「わからない。まだ、実験の最中だから。」
「そっか。」
再び、香藤の顔が迫り、岩城は慌てて瞳を閉じた。
息苦しくなって香藤の背を、岩城が叩いた。
「なに?」
「苦しいって。」
ぽかん、と岩城の顔を見て、香藤はぶっと吹き出した。
「ねえ、ほんとにキスしたことあるの?」
「ある!」
「じゃ、さ、鼻で息しなよ?」
「・・・あ。」
初めて気付いたように香藤を見返す岩城に、くすくすと笑いながら、香藤は彼を抱き込むと、喰むように唇を舐めた。
「・・・ふっ・・・」
舌先で唇を突き、思わず開いた岩城の咥内を、香藤はくるりと舌で撫でた。
「・・・んぅ・・・」
洩れた岩城の声に、香藤の下半身が反応した。
抱き込まれた岩城が、それに驚いて顔を離した。
「・・・あのな、香藤。」
「ごめん。わかっちゃった?」
「当たり前だ。」
「だってさー・・・。」
岩城は赤い顔で、眉を寄せて香藤を見つめた。
「だめだぞ、ここじゃ。」
「ここじゃ、ってことは他ならいいの?」
「そっ・・・。」
口篭って、岩城は下を向き、そのまま言葉を継いだ。
「すぐ、そういうことにならないとだめか?」
「・・・え・・・と?」
「どうしたらいいのか、わからないし・・・。」
香藤は微笑んで首を振ると、岩城の額に自分の額をつけた。
「ごめん。俺、自分のことしか考えてなかったね。心の準備って必要だよね。」
「あのな、香藤・・・。」
岩城は香藤を見つめ返して、口篭った。
「なに?」
「その・・・今度の休み、俺のとこへ来るか?」
「いいの?」
こくり、と頷く岩城に、香藤は満面の笑みを浮かべた。
ぎゅ、と自分を抱き締めて、巡回に戻った香藤を送り出して、岩城は椅子に座り込んで溜息をついた。




2007年5月12日



2013年12月09日、アップロード。