「お疲れーっす」
土曜日の明け方。
最後の巡回を終えて、香藤が保安室に戻ってきた。
制帽をポケットに突っ込みながら、駆け足で。
首の付け根で結わえられていた茶色の髪の毛が今はほどかれ、肩先で揺れていた。
「はいよ、ご苦労さん」
先輩警備員の芝沼が、デスクから顔を上げてねぎらった。
「何も問題なかったか?」
「全館、異常なしです」
笑いながら、香藤は無造作に制服のボタンをはずし始めた。
「じゃ俺、お先に―――」
「おお」
「風呂、使わせてもらいまーす」
すたすたと、香藤が奥のドアの向こうに消える。
芝沼はそれを見送って苦笑した。
「・・・まったく、若いよなあ」




芝沼が警備日誌をつけ終わった頃、香藤が再び現れた。
ジーンズを履いただけの、上半身裸のまま。
ごしごしとタオルで髪の毛を拭きながら、ちいさく鼻歌を歌っている。
「わかりやすいな、おまえ」
「何っすか?」
「今さら、隠さなくってもいいだろう」
からかうような言葉に、香藤は首をかしげた。
「へ?」
「金曜日のたびにせっせとシャワー浴びて、速攻で飛び出してって。バレバレだっつうの」
「は?」
「とぼけるな。可愛い “カノジョ” が待ってんだろ?」
にんまり笑って、芝沼が左手の小指を立てた。
「あ・・・っと」
頭にタオルを被ったまま、香藤が曖昧に笑った。
「まあ・・・」
「岩城主任、週末しか空いてないんだな。あの人、忙しいもんなあ」
芝沼はさらりとそう言った。
「えっ・・・ええっ!?」
香藤が絶句した。
まじまじと年上の正社員を見返す。
濡れた髪のしずくが、ポタリと畳に落ちた。
「・・・それは、あの、芝沼さん・・・?」
恐る恐る探りを入れる香藤に、芝沼は噴き出した。
「おいおい、香藤」
「え・・・っ」
「俺が知らないと思ってたのか?」
「・・・いや、その、何て言うか」
言葉に詰まって、香藤はぽりぽりと頭をかいた。
「・・・すんません」
「バカ、何を謝ってるんだよ」
鷹揚に笑って、芝沼は若い香藤の背を叩いた。
「俺はそういうのに偏見はないって、言っただろう?」
「はあ・・・それは、そうなんですけど」
シャツに腕を通しながら、香藤は困ったような微笑を浮かべた。
「しけた顔してんじゃないよ。上手くいってんだろ?」
「あは、それはもう!!」
「なら、問題ないだろうに」
「問題っていうか。岩城さんが、ここの人には知られたくないだろうなあ、って―――」
香藤は、小さく首を振った。
「ま、そうだろうな」
簡単に相槌を打って、芝沼はくすくすと笑い出した。
「でも、あれじゃ無理だよ」
「はい?」
「隠し通せるわけないと、俺は思うね」
「え?」
「岩城主任のこと」
「と、言うと・・・?」
不思議そうに問い返す香藤に、芝沼は嘆息した。
「・・・おまえ、わからないのか」
「何をですか?」
「ここひと月ぐらいの岩城主任だよ」
「はあ」
「スキップでもしそうな勢いで、帰りがけ、保安室にすっ飛んで来るだろ?」
「え・・・」
「おまえの顔を見に、な」
「そ・・・」
そうですか、と。
香藤は困ったように笑った。
「呆れたな、本当に気づいてなかったのか・・・」
芝沼は笑って、きょとんとした顔の香藤を見上げた。
「憧れのアイドルを追っかけてる少女みたいに真っ赤な顔して、おまえを見てるじゃないか」
「あ―――」
香藤は低い声をもらして、天を仰いだ。
「あれで、ばれないほうがおかしい。だろ?」
肘でわき腹を突かれて、香藤は苦笑した。
「えらい惚れられようだな。あの岩城主任が、すっかり舞い上がってる」
「いや、あはは・・・」
「ま、大人同士の関係だ。好きにすればいいさ」
「芝沼さん・・・」
「ただし―――」
「え?」
芝沼はぴっと、人差し指を突き出した。
「泣かすなよ、色男」
「そりゃあ、もう!」
にっこりと、香藤は頷いた。
若い男特有の、ナチュラルな自信を覗かせた顔つき。
「大事にだいじにしてますから、俺」
「本気なんだな、おまえ」
「・・・遊び相手には、向かない人だと思いますけど?」
照れ隠しに、香藤はちろり、と舌を出した。
「―――あの凄い人が、ねえ」
なんでおまえみたいな若造がいいんだろうね、と笑いながら。
芝沼は顎で、壁の時計を指差した。
「ほら、急いだほうがいいぞ」
「・・・はい!」
香藤は会釈すると、コートを着込んでカバンを拾い上げた。
「じゃ、お先に失礼しまっす」
「おう」
「あの、芝沼さん」
「なんだ」
「・・・ありがとうございます!」
心なしか嬉しそうに、香藤は頭を下げた。




+++++




控えめなノックの音。
「・・・ん・・・?」
少し間隔を置いて、もう一度ノックが響く。
「あれ?」
岩城はむくりと、ソファで身を起こした。
「え―――と」
三度目のノック。
「うわっ!」
転がり落ちるように、岩城は玄関にダッシュした。




「ご、ごめん・・・!」
岩城はチェーンをはずして、ドアを勢いよく開け放った。
「おはよ、岩城さん」
すらりとした長身の若い男。
香藤がにっこり笑って、パジャマ姿の岩城を見下ろしていた。
「い・・・っ」
岩城はそこで、はたと言葉に詰まった。
―――どうしよう。
『いらっしゃい』という挨拶は、なんだか気恥ずかしい。
だからといって、『おかえり』と言うのも少し変だろう。
「・・・あの・・・」
見つめあったまま、もどかしい一瞬の沈黙。
岩城は俯いた。
うつむいたまま、香藤の持っているコンビニのレジ袋を、穴が開くほど見つめた。
「あの・・・お邪魔して、いいかな?」
香藤がそっと言う。
岩城はほっとため息をついた。
「ああ、もちろん」
「外を確認しないで、ドア開けちゃダメだよ?」
甘い声でそう言いながら、香藤は岩城の腰を抱き寄せた。
「あん・・・」
「ここ、寝ぐせついてる」
香藤は楽しげに、岩城の頭頂部にキスを落とした。
「んんー」
「な、なに・・・?」
「寝起きの匂いがする・・・」
後ろ手で器用にドアを閉めて、香藤は玄関で囁いた。
キスをしかけて、それから途中で思いとどまって。
「先に手、洗うね」
香藤はさっさと靴を脱いで、洗面所に消えた。
「うん・・・」
シトラス系のほのかな残り香。
岩城はぼうっとしたまま、その長身の後ろ姿を見送った。




「もしかして、ソファで寝たの?」
つくねんと座っていた岩城の隣りに、香藤がどさりと腰を下ろした。
午前6時半。
カーテンの隙間からは、まだ薄暗い早朝の空が覗いていた。
「ああ、うん」
ぎこちなく顔を強張らせて、岩城は頷いた。
―――昨夜からずっと、ずっと。
香藤を待っていたはずなのだ。
それなのに、いざ恋人を目の前にすると、岩城は無口になった。
何を話したらいいのだろう。
いたたまれなくて、落ち着かなくて。
ともすれば、香藤の気配に逆上せてしまいそうになる。
岩城はそわそわと、香藤の横顔を見つめた。
「岩城さん?」
香藤はゆったりと腕を廻して、岩城を抱き寄せた。
「あ―――」
岩城の声が掠れた。
どきん、と心臓が大きく跳ねる。
「どうしたの」
至近距離で見下ろす、やさしい茶色の瞳。
「なんでもない・・・」
香藤に捉えられた身体が、わずかに震え出す。
「あの・・・」
「まだ、俺に慣れない?」
困ったように笑って、香藤はゆっくり岩城の頬に触れた。
上気した桜色の肌に、小さくキス。
おびえる年上の恋人を宥めるような、やさしいくちづけ。
「ほら、いつもの俺だよ?」
「うん」
「そんなに緊張しないで」
「・・・うん・・・」
観念したように、岩城は目を閉じた。
―――嫌なわけじゃない。
香藤の抱擁は、いつもとても暖かい。
香藤のキスは、いつも泣きたくなるほど優しい。
岩城はそうっと深く息を吐いた。
―――大丈夫、大丈夫。
こわくない。
こわいはずがない。
呪文のように自分に言い聞かせて、岩城は肩の力を抜いた。
「香藤・・・」
「うん?」
うっすらと目を開けると、そこに恋人の笑顔があった。
「・・・どうしてだろう」
ため息まじりの岩城の言葉。
「おまえのことを考えると、息苦しい」
独り言のような告白に、香藤は目を見開いた。
「ありがと、岩城さん」
とろけるような甘い囁き。
「・・・なぜ?」
「嬉しいから」
「どうして・・・?」
「大好きだって、言われてる気がするもん」
にっこり笑って、もう一度キス。
―――蜂蜜のように甘いくちづけ。
ふたりだけの週末の始まり。
疼くような期待に、岩城の吐息が震えた。




+++++




「んん・・・やっ・・・いやぁっ・・・!!」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、岩城は身体を強張らせた。
熱い吐息と、早鐘を打つ鼓動。
桜色に上気した肌が、しっとりと汗に濡れていた。




「ど・・・したの?」
乱れた茶色の髪をかきあげて、香藤は恋人を見下ろした。
彼の身体の下の、波打つ白い裸体。
点々と散る薄紅色のキスマーク。
大きく開かれた、なめらかな太腿。
その付け根で、すっかり勃ち上がった岩城のペニスが揺れていた。
「痛いの、岩城さん」
「・・・ちがっ・・・」
いやいやをする子供のように、岩城は顔を横に振った。
息が荒い。
声がどうしようもなく掠れた。
「じゃあ、なにがイヤなの・・・?」
おだやかな声で尋ねながら、香藤は岩城の腰を抱えなおした。
「そろそろ、いい?」
「・・・うん」
躊躇いがちに、岩城が頷いた。
身体がぴくんと震える。
「ゆっくり挿れるから・・・」
「うん」
「痛かったら、ちゃんと言って」
恋人の汗ばむ額に、ちょん、とキスを落として。
香藤は濡れそぼるペニスの先端を、岩城の後孔に押し当てた。
じわりと、慎重に。
腰を少しずつねじり込む。
「・・・んんっ・・・!」
岩城を中心から真っ二つに切り裂く、脈打つ男のあかし。
その圧倒的な存在感に、岩城は全身を震わせた。
―――痛い。
そして、怖い。
後孔の最奥に納まろうとする、香藤のはちきれそうなペニス。
ずきん、ずきんと全身が痛んだ。
「香藤・・・っ」
ぎゅっと眉根を寄せて、瞳を閉じたまま。
浅く胸を喘がせて、岩城は貫かれた衝撃に耐えた。
―――香藤は、そのうち慣れると言うが。
いつそうなるのか、見当もつかなかった。
どうしても、恐怖で身体が竦む。
自分を抱く香藤が、ちゃんと男の快感を得ているのかどうかすら、岩城にはわからない。
「・・・かとぉ・・・」
―――怖い。
痛いけど、それでも。
白い腕を伸ばして、岩城は香藤のぬくもりを探した。
「ここだよ、岩城さん」
ふわりと笑って、香藤はその両手を掴んで引き寄せた。
熱い手のひらが、導かれるままに香藤の肩にすがりつく。
しなやかな筋肉の弾力。
その確かさに、岩城は安堵の吐息を漏らした。
「香藤・・・」
「うん。痛い?」
「・・・もう、慣れた」
かすれ声で辛うじて答えると、香藤が微苦笑を返した。
「ウソ」
「・・・おまえは?」
うっすらと目を開けて、岩城が小さく尋ねた。
「気持ちいいか、ってこと?」
「ああ」
「最高だよ、岩城さん。―――ここ、ね」
香藤は、しなやかな指先で岩城の後孔をなぞった。
「あ、ん!」
ギリギリまで拡げられたそこが、硬い灼熱を咥え込んでいる。
「・・・ひあっ・・・!」
喉を晒して、岩城が小さく仰け反った。
「岩城さんにぎゅうぎゅう締めつけられて、たまんない」
雄の色香をしたたらせて、香藤が囁いた。
―――なら、いい。
深い官能の予感に、岩城はそっと目を閉じた。
痛くても、おそろしくても。
その先に何があるか、岩城の身体が知っている。
どうあっても四肢をすべて恋人に委ねて、ついて行くことしかできないから。
「か・・・と・・・」
「いわきさん・・・っ」
甘いかすれ声。
ぞくりと、岩城は肌を粟立たせた。




藤乃めい
4 February 2008



2014年10月11日、ほぼ7ヶ月ぶりにサイト更新。
ホントにふと偶然、今日がサイト開設記念日であることに気づきました・・・(笑)。はや満9年、これで10年目に突入です。
小説はサイト引越にともない新URLに再掲載。当時の原稿を大幅に加筆・修正しています。