「ねえ、岩城さん?」
「・・・なんでしょう」
「その服だけど」
「服?」
「選んだの、香藤だよね?」
「あ・・・ええ」
細身のホワイト・デニム。
ぴったりタイトな濃紺のカットソー。
その上に、染めむらのあるブルーの濃淡グラデーション・シャツ。
ざっくりした風合いのニットカーディガンが、膝の上に置かれていた。
「・・・そうです、けど」
「ですよねー」
清涼感のある着こなしが、岩城をいつもより若く見せていた。
むろんいずれも、香藤の見立てだ。
靴は、少し値の張るイタリア製。
これだけは以前、海外出張中の岩城がひと目惚れして、珍しくも衝動買いした逸品だった。
「・・・なんで、わかるんだろう?」
肌触りのいいコットン・シャツ。
その襟を摘まみながら、岩城はしげしげと己の姿を見下ろした。
香藤と買い物に出かけたときに、まとめ買いしたものばかり。
彼を喜ばせたくて、一緒にいるときは極力、着るようにしていた。
―――少し、派手なのかもしれない。
ふだんの岩城なら選ばない色合いだが、服自体は奇抜でも奇妙でもない。
むしろシンプルで、上質なデザインだと思っている。
―――似合わない・・・かな?
デニムに通したベルトは、香藤から借りた。
シルバーのスタッズが鈍く光る、ややごつい風合い。
「おかしい・・・ですか?」
小声で問いかける岩城に、小野塚が首を振った。
「いや、全然」
「でも、香藤が・・・って」
「わかりますよ、そりゃ」
「もろ香藤の好みだもんなあ」
「・・・そうですか・・・」
―――よくわからない。
岩城は首をかしげた。
好み、とはどういう意味なんだろう。
自分がいま着ているものは、香藤のいつものファッションとは相当ちがうように思えるのだが。
「このみ・・・?」
「そ!」
宮坂がにんまりと頷いた。
「オンナの趣味、っつか・・・」
「え?」
「いや、こっちの話っす」
「あのさあ、岩城さん」
「はい?」
さらりと、小野塚が話を逸らした。
「前から気になってたんですけど、あいつ―――香藤とはどこで知り合ったの?」
「え―――」
虚を突かれて、岩城は目を丸くした。
―――そういえば、そうだ。
言われてみれば、それはもっともな疑問だった。
社会人の岩城と、大学生の香藤。
15歳の年齢差。
本来、接点などまったくないはずの二人なのだ。
「えっと・・・」
どう答えるべきか迷って、岩城は口を噤んだ。
「・・・その」
「あれ、言いにくそうだね?」
小野塚が軽く茶々を入れる。
「ワケアリなんかね、やっぱ」
「そっとしといてやれや、小野塚」
「でも知りたいじゃん」
「二丁目のバーとかだったり、するかもしんないしー?」
宮坂が意味ありげに、片頬で笑ってみせた。
「二丁目ねー。この人に限って、それはなさそうだけど」
「いやいや、わかんねーぞ」
「ま、香藤だからなー」
「そゆこと」
「とはいえ、香藤がお持ち帰りしたくなるタイプかって言うと・・・」
「遊びだったらわかんねーじゃん」
「そうかなあ」
「だって、香藤だよ?」
「まあね。女に飽きたわけじゃねえって、言ってたけどなー」
ポンポンと小気味よい応酬が続く。
小野塚と宮坂のペースに圧倒されつつ、
「・・・二丁目?」
わけがわからず、岩城は小首をかしげた。
ふたりの会話は、岩城の理解の範疇をはるかに超えていた。
「お持ち帰りって・・・」
―――香藤が・・・?
どういう意味なんだろう。
遊び。
わけあり。
刺を持った言葉がぐるぐると脳内をめぐる。
岩城は知らず知らず、眉をしかめた。
「じゃあさ、岩城さん!」
「あ・・・はい?」
「香藤のどこがいいのか、教えてよ」
ふいに顔を向けた小野塚が、からかうような口調で言った。
にんまり、笑いながら。
「それ、俺も知りたーい」
わざと甘えた声で、宮坂が便乗する。
「つきあってるんでしょ?」
「う・・・」
「男女交際、的な意味で」
「・・・そっ」
「惚れてるんだよね?」
「あの・・・っ」
「違うのー?」
「・・・ちっ・・・違わない!」
顔を真っ赤にして、岩城は二人をにらみ返した。
ひゅう、と。
宮坂が口笛を吹いた。
「違わない、けど・・・」
とたんに岩城は、しどろもどろになる。
「あいつイケメンだけどさ。岩城さんから見たら、まだ全然ガキじゃね?」
「そっ・・・そんなこと・・・」
岩城の声が裏返る。
反射的に、ぷるぷると首を横に振っていた。
「香藤とはそんなんじゃ・・・」
「あれれ?」
小野塚が意外そうな顔をした。
「・・・岩城さん?」
問い質されて、あらためて岩城は気づく。
―――そうか。
香藤は確かに、ずいぶん年の離れた恋人だ。
社会に出たことのない、学生ならではの若さを感じたことがないではない。
―――でも、だけど。
子供だとか未熟だとか、思ったことは一度もない。
あらためて、岩城はそれに気づいた。
香藤はガキなんかじゃない。
それどころか、岩城にとっては頼りになる存在だった。
安心して、なにもかも任せてしまえる。
彼との年齢差を、忘れてしまうほどに。
「・・・ガキ、なんかじゃない」
「うん?」
「か、香藤は・・・俺なんかより、ずっと・・・」
岩城の言葉はかすれて途切れた。
「・・・惚れてんねえ」
呆れたように、小野塚が言った。
「マジだわ、これ」
「・・・」
「で、どのへんが好きなの?」
宮坂は執拗だった。
「顔がタイプとか、声がいいとか。そーいうの普通あるっしょ?」
頬を朱に染めたまま、岩城はますます困ったように首を振った。
「どこって、わからないよ」
ぽつり、と。
「わからないんだ・・・」
岩城はやっとそれだけ言った。
―――好みとか、好みじゃないとか。
そんなふうに考えたことはない。
「香藤は、香藤だから―――」
香藤洋二。
岩城にとって彼は、ある日突然舞い降りた奇跡だった。
そのすべてが眩しく、愛しい。
「俺は、そばにいるだけで・・・」
そばにいられて、幸せだと思う。
名前を呼んでもらえるだけで嬉しい。
触れられれば、心がざわつく。
香藤に選ばれた幸運。
自分でも、今でも信じられないくらいだから。
「・・・なんか、岩城さんってさ・・・」
やがて、宮坂がため息をついた。
心もち俯いた岩城を見下ろして、しみじみと。
「いたいけな少女みたいだよね」
「・・・?」
「おまえ、なに言ってんだよ?」
小野塚が眉を上げて失笑をこぼした。
「いや・・・なんか俺、苛めてるみたいな気になっちゃって」
宮坂は照れながら、ぽりぽりと頭をかいた。
「ヤバいわ、俺」
「なにが?」
「香藤の気持ち、ちょっとわかる気がしてきた」
「はいー?」
「だって岩城さん、可愛いよ・・・」
ちいさな呟き。
小野塚は呆れて、肩をすくめた。
+++++
「ごめん、岩城さん! 待たせちゃって―――」
そのとき、ようやく。
バタバタと慌てる足音がした。
まるで転がり込むように、香藤が姿を現す。
両手に余るほどの花束。
リボンのついたぬいぐるみ。
大きな紙袋を、いくつも提げている。
「遅くなっちゃって・・・!」
ぱあっとそこに陽があたるような、華やかな存在感。
周囲のざわめきが、一気に大きくなった。
「・・・香藤っ・・・」
岩城の声が、あまく掠れた。
「およ!」
「やっと王子様のご登場だねー」
「おまえ、遅すぎ!」
「・・・っ!?」
香藤がぴたり、足を止める。
岩城を挟むように座った、小野塚と宮坂。
途方に暮れたような恋人の表情。
「おい」
悪友二人のしたり顔に、香藤はあからさまに眉をしかめた。
「―――何してんだよ、てめえら」
地を這うような唸り声。
「どけ」
「おい香藤」
「・・・岩城さんから離れろ」
「うっわー、機嫌わる!」
「カノジョのお守(も)りをしてやってたのに、それはないんじゃなーい?」
わざとらしくシナをつくって、宮坂が甲高い声を上げた。
「言ってろ、ボケ!」
「まあ、コワイ!」
「どけって!!」
ほっとした岩城が、小さく呼んだ。
「香藤ぉ・・・」
心なしか、顔色に生気がない。
「・・・岩城さん!?」
よほど驚いたのだろう。
ファンからのプレゼントを放り出して、香藤は岩城に駆け寄った。
「どうしたの!?」
「かとう・・・」
岩城のすがるようなまなざし。
香藤は床に跪いて、恋人をぎゅっと抱き寄せた。
「岩城さん!」
彼の座っている椅子ごと、両腕で抱え込むように。
「どうしたの」
「な・・・何でも・・・」
ささやくように、岩城が言った。
いや、唇が動いただけで、ほとんど声は出ていなかった。
「大丈夫?」
「うん」
頬を紅潮させて、岩城はじっと香藤を見つめる。
視線が絡み合う。
表情がふと、柔らかく解けた。
恋人の姿に安心したのが、ありありとわかる。
「なんでもない・・・」
「岩城さん」
「ん?」
恋人の頬を手のひらで撫でて、香藤は苦笑した。
「ウソ」
「うそじゃない」
「何でもないって顔、してないよ」
岩城の漆黒の瞳が、ゆらゆらと潤んだ。
「こいつらに何か言われた?」
「いや・・・」
「ごめん。きっと、嫌な思いさせたんだよね」
「・・・そうじゃない」
のろのろと首を振って、岩城は微笑した。
「そうじゃないんだ」
「でも」
「俺は大丈夫だから」
「なら、いいんだけど」
ふたりはそのまま、しばらく無言で見つめあった。
あたりはしんと静まり返った。
藤乃めい
22 February 2008
2014年12月01日、サイト更新。
サイト引越にともない新URLに再掲載。初公開時の原稿を大幅に加筆・修正しています。