「だぁ―――!」
心底いやそうに、宮坂が嘆息した。
「いちゃいちゃしてんじゃねーよ、まったくもう!」
「まあまあ」
小野塚が宮坂のしかめっ面を見上げて笑った。
「妬くかフツー」
「っせえ」
「・・・とはいえ、」
香藤の腕をぽんぽん叩く。
「ほら、そこ!」
「んだよ」
獣のように唸って、香藤は小野塚の手を払いのけた。
香藤の腕の中の岩城が、ぴくりと反応する。
「二人の世界に入ってる場合かよ」
「・・・ぁんだと?」
やや口を尖らせて、香藤が顔を上げる。
「少しは、ファンの目ってもんを考えろや」
つい、と。
小野塚があたりに視線を投げた。
周囲にはいくらか人の輪が出来ていた。
好奇のまなざし。
ひやかしの含み笑いと、不穏なざわめき。
賑やかなBGMのお陰で、彼らの声はほとんど届いて来なかったが。
「―――ちぇ」
誰にも聞こえないほど小さく、香藤は舌打ちした。
「なにも、」
小野塚がひときわトーンを落とした。
「ムダに刺激することはねーだろ」
「・・・あのなあ」
「あー、はいはい」
不満げな香藤を遮って、小野塚がにたりと笑う。
「俺はアイドルじゃねえ、とか青くせーこと言ってんじゃねえよ」
「誰が・・・」
「かとう?」
「・・・ま、いっか」
香藤はぶるんと一度、首を振った。
「なんでもないよ」
にっこりと、岩城を安心させるように微笑む。
「え?」
さっさと身体を起こすと、香藤はその勢いのまま、岩城の両腕を引っ張り上げた。
「・・・うわっ・・・?」
驚いた岩城が、思わず声を漏らす。
「はい、岩城さん!」
ぴょんと立ち上がった格好の岩城。
その背後に回り、香藤は椅子にどさりと腰を下ろした。
「え・・・っ」
岩城の腰を、問答無用に抱き寄せる。
後ろから抱え上げる体勢。
「おい、香藤・・・!」
岩城は驚いて、足をバタバタさせた。
「んー?」
当の香藤は涼しい顔だった。
悠々と恋人を膝に座らせ、びくともしない。
「ちょ・・・っ」
「じたばたしないの」
「・・・って!」
「椅子が一個しかないんだから、しょうがないでしょ?」
強引なにっこり。
そのまま、ぐるりと周囲を見渡す。
ひゅう、と。
誰かが口笛を鳴らした。
岩城は目をむき、言葉を失う。
「気にしない気にしない」
「そ・・・っ」
抱擁を解こうと、岩城の指が香藤の腕にかかる。
香藤はその指を捉え、すっぽりと手で覆う。
「もう!」
指先が絡みあい、身体がいっそう密着する。
恋人の耳元で香藤がなにか囁く。
恥ずかしげな岩城の顔が、耳まで真っ赤に染まった。
「ダメだこりゃ」
小野塚がかるく天を仰いだ。
「・・・見せつけてんなよ、バカ香藤」
ため息をついて、宮坂がだるそうに言った。
「なに言ってんだ」
香藤が不機嫌に応じる。
「誰がおまえに見せるか、もったいねえ」
そんな悪態を返して、恋人を抱き寄せる腕にいっそう力を込めた。
「岩城さんは、俺だけのもんなの!」
露わになった、まだ新しいホワイト・デニム。
岩城が身体をねじって逃げようとするたびに、余計にその柳腰が際立った。
すらりと伸びた下肢。
ほっそりとしてはいるが、華奢ではない。
無造作に巻きつく、ごつい設えのシルバースタッズのベルト。
二重に戒める、香藤の逞しい腕。
そこに、思いがけない艶めかしさが漂う。
「やめろって・・・っ」
岩城が恥ずかしげに小声で囁いた。
額にはかすかに汗。
こどものように紅潮した頬が、香藤の顔に寄せられる。
「いいから、ね」
香藤は聞く耳を持たない。
いたずらっ子のような笑みを返し、岩城の頬を擦る。
「可愛い、岩城さん」
「もう・・・」
岩城が恨めしげな眼を向けた。
香藤はかまわず、岩城の腹のあたりをぽんぽんと叩く。
むずかる幼児を宥めるようなしぐさ。
はたから見れば、衆人環視の中、じゃれあっているようにしか見えない。
「・・・まったく!!」
宮坂が呆れて髪をかきむしった。
「あー、やってらんねえ」
小野塚もまた、肩をすくめるしかなかった。




+++++




「大丈夫、岩城さん?」
香藤は額の汗を拭いながら、岩城を振り返った。
幾多のプレゼントの入った紙袋を、どさりと玄関口に投げ出して。
「・・・ああ」
岩城はおずおずと頷いた。




初めて訪れた、香藤の下宿。
―――ここが。
岩城はそわそわと室内を見回した。
学生向けのワンルームの部屋は、混沌としていた。
不潔さこそないが、雑然とした印象。
狭い部屋の片隅を占拠するギターとギターケース。
うず高く積み上げられた書籍。
デスクの端から落ちそうなノート型PC。
とぐろを巻いたコード。
ベッドに放り出された衣類。
置き場所の定まらないものたちが、とにかく溢れ返っていた。
「びっくりした?」
「いや・・・」
岩城はあいまいに首を横に振った。
「汚くて、ごめん」
ぺろりと舌を出して謝ると、香藤は岩城を招き入れた。
「トイレはそっち」
「うん」
「冷蔵庫は・・・って、見りゃわかるか」
「・・・ああ」
香藤はくすりと笑った。
「・・・借りてきた猫」
「ん?」
「なんでもない!」
ほわんと見上げた岩城の前髪を、香藤はくしゃりと撫でた。
「俺、シャワー浴びてくるから」
「あ・・・うん」
「その辺に適当に座ってて?」
「・・・香藤・・・」
「なあに?」
やさしい声で、香藤が応じる。
「・・・なんでもない」
言葉に詰まって、岩城は首を横に振った。




+++++




「俺の部屋のほうが、ここから近いからさ―――」
ライブハウスを出たところで、そう提案したのは香藤だった。
「よかったら、寄っていかない?」
真夜中をとうに回った時刻。
終電に間に合うか間に合わないか、微妙なタイミングだった。
「そうだな・・・」
師走の夜の意外な冷え込みに、岩城は肩を震わせた。




「寒そうだね、岩城さん」
耳元で囁く年下の恋人。
ふわりと自然に、岩城の腰を抱き寄せた。
「こんな場所で・・・」
繁華街から遠ざかる細道。
車通りの絶えない幹線道路から一本、脇に入っただけだ。
あたりは薄暗かったが、灯りがないわけではない。
民家もコンビニエンスストアもある。
「だいじょうぶ」
家路を急ぐ人影が、いくつか。
たしかに、他人に興味はなさそうだったが。
それでも視線を気にして、岩城は肩を強張らせた。
「でも」
「誰も見てないよ、岩城さん」
香藤が鷹揚に笑う。
岩城はつと、彼を見上げた。
―――まぶしい。
ライブの興奮の余韻が、まだ続いているのだろう。
香藤の全身からは、焔(ほむら)のような輝きが感じられた。
若さ、あるいは生命力。
ふだん感じるよりもずっと強く、煌めいて見えた。
「うん・・・」
対照的に、ずっと押し黙ったまま。
岩城はゆるゆると頷いた。
恋人に寄り添って歩く。
「・・・岩城さん?」
香藤が顔を覗き込む。
岩城は淡く笑って、首を横に振った。
いぶかしげな香藤が、そっと手を差し出す。
一瞬ためらってから、岩城はその手をとった。
ゆるく手をつなぐ。
肌のぬくもりがじわりと伝わる。
ただ、言葉は出て来なかった。
岩城はふと、蒼い空を見上げた。
―――遠い、な。
どうしてそう感じたのだろう。
夜空には、冴え冴えとした三日月がかかっていた。




藤乃めい
2 March 2008


2014年12月13日、サイト更新。
サイト引越にともない新URLに再掲載。初公開時の原稿を大幅に加筆・修正しています。

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