さしも知らじな  第六章 その4






野郎同士でテーマパークってのは、どうかと思ったけど。
男ばっかりのグループも意外にいて、俺はひそかに安堵した。
・・・ほっとしたのは、もちろん、岩城さんのためだ。
家族連れや、恋人同士。
それから仲良し女の子グループ。
華やかな場所で、きらきらと楽しそうな人々の中で。
岩城さんに、肩身の狭い思いを味わってほしくなかったから。



「ねえ、岩城さん?」
「なんだ」
つれない返事に、俺は苦笑した。
そこで笑顔で応じてくれると、盛り上がるんだけどなあ。
こっそりそう思いながら、俺は岩城さんに笑いかけた。
「手ぇ繋ぎたいなあ、俺」
耳元でそう囁くと、岩城さんは全身を強張らせた。
「・・・馬鹿か、おまえは!」
あっさり却下されて、俺は肩をすくめて天を仰いだ。
「やっぱしダメか」
「あたりまえだ」
憮然とした岩城さんが、さっさと先に歩き出す。
「あん、待ってよ!」
さらりと、春風が吹いた。
つむじ風に、ベージュのトレンチコートの裾が舞い上がる。
岩城さんの後ろ髪が、さらさらと揺れる。
砂が飛んだのか、目元に手をやって風を防ごうとする。
その袖口から、細い手首が垣間見える。
ふと横を向く、シルエットの繊細さ。
―――そんな、ごくありふれた光景が、いちいち綺麗で。
俺はうっとりと、彼の後ろ姿に見惚れた。



☆ ☆ ☆



「じゃ、俺はこっちのパスタ・セットを」
「かしこまりました」
かわいいフリルのエプロンの女の子が、頬を染めて頷いた。
岩城さんをちらりと見てから、視線を俺に戻す。
そそくさと去って行く彼女を見送って、俺はほっとひと息ついた。
「さすがに、疲れたねー」
人混みの中で、ようやく確保したテーブル席。
テラスの窓は全開で、そよそよと風が吹いてくる。
ランチには遅すぎる時間だったが、それでもほぼ満席だった。
俺は両肘をついて、ちびちびとグラスの水を飲んだ。
「岩城さん、お腹すいたでしょ?」
上目遣いに見ると、岩城さんが少し笑ってた。
「なに?」
「おまえは、俺の腹の心配ばかりしてるな」
―――って、朝飯のこと、言ってるのか。
「そんなに食ってないように見えるのか、俺は」
おかしそうに聞くその表情は、穏やかだった。
・・・ああ、綺麗だな。
こんな顔、俺にしてくれるのは、初めてかもしれない。
そう思った途端に、心臓がどくんと跳ねた。
「そんなこと、ないけどさ」
口を尖らせた俺を、不思議そうに見て。
岩城さんは、変なやつだな、って独り言みたいに呟いた。
いつの間にか、俺といることに慣れたんだろう。
ごく自然な感じで、岩城さんは俺の向かいに座ってた。
「暑いくらいだな」
淡いストライプシャツの袖を、無造作に捲くる。
―――筋張ってて、線がシャープで、どう見ても男の腕なんだけど。
それでも、綺麗な白い肌に視線が吸い寄せられた。
たった一度の情事が、フラッシュバックみたいに脳裏によみがえる。
「・・・おい」
俺の熱い視線に、ふと気づいて。
「よせって言っただろう」
本当に困ってるみたいに、岩城さんが首を傾げた。
「・・・俺!」
たまらなくて、俺は唐突に立ち上がった。
「香藤?」
「トイレ!!」
俺は低くそう呻って、猛然とテーブルから遠ざかった。
―――あのまま、岩城さんの傍にいたら。
人目も構わず、抱き寄せてしまいそうだったから。



運ばれてきたパスタ・ランチは、いかにも女性好みのメニューだった。
ボリュームはともかく、盛りつけの彩りがきれい。
デートのご飯には最適・・・ってやつだ。
「ん、美味いね」
まともな味だったので、俺はほっとした。
「そうだな」
器用にフォークを使いながら、岩城さんが微笑する。
―――うわ。
屈託のない、自然な笑顔。
すごく嬉しいけど、心臓に悪い。
「・・・ねえ、岩城さん」
「ん?」
スパゲッティ・カルボナーラをちゅるん、と吸い上げて。
俺に視線を向ける岩城さんに、またドキリとした。
「好きだよ」
「・・・んぐっ・・・」
パスタを噴き出しそうになって、岩城さんが慌ててグラスを掴んだ。
―――水を呷る喉元の白さに、俺は目眩を起こしそうになる。
「ば、馬鹿野郎・・・っ」
肩で息をしながら、岩城さんが俺を睨みつけた。
顔が、耳まで真っ赤。
「そっ・・・いうことは、人前で言うなって・・・っ」
「あれ?」
俺はにっこり笑って、岩城さんの瞳を覗き込んだ。
「人前じゃなかったら、言ってもいいの?」
身を乗り出して、小声で囁く。
甘いトーンで、口説くみたいに。
「・・・っ!」
憤然とした表情で、岩城さんが俺を見返す。
ほの白い頬は、赤く染まったまま。
―――立ちのぼる香華に逆上せそうだ。
「い・・・いい加減にしろっ」
低く呻る声が、ほんのちょっとだけ震えてた。
なんだか虐めてるみたいで、俺は少しかわいそうな気分になる。
「・・・ごめん」
やりすぎちゃったね。
ぺろっと舌を出して、俺はさっさと謝った。
「・・・ったく・・・」
髪の毛をかきあげて、岩城さんが嘆息した。
「困らせてごめん、岩城さん。・・・でも」
真顔になって、俺は続けた。
「俺の気持ち知ってて、岩城さんは、一緒にいてくれるんだよね?」
「・・・」
岩城さんは、ふと、視線を泳がせた。
―――わかってるけど答えたくない、って感じだろうか。
「・・・出よっか」
気まずい沈黙が、俺たちの間に落ちる前に。
俺はにっこり笑って、席を立った。



☆ ☆ ☆



俺としては、最後の花火までいたかったんだけど。
―――だってそれって、テーマパーク・デートの醍醐味じゃない?
普通の恋人同士だったらやること全部、岩城さんと体験したかった。
でも岩城さんはどうしても、首を縦に振らなかった。
「用事があるから」
の一点張りで、それ以上は何も説明してくれない。
それが本当なのかウソなのか、俺にはわからなかった。
・・・諦めたくはないけど、でも。
俺にはそれ以上、問いただす権利はないような気がした。
「そっかあ・・・」
彼の困ったような、申し訳なさそうな顔を見ると、降参するしかない。
「うん、じゃあ、しょうがないね」
もうちょっと、傍にいてほしかった。
でも、もともと無理やり誘ったのは俺だ。
こんなに遠出するとは思わなかった、という岩城さんの言葉は、本音だろうと思う。
夕暮れ、春風がちょっと肌寒く感じられる時刻。
「・・・帰ろっか」
なるべく明るい調子で、俺は言った。



帰りの湾岸は、大渋滞した。
しょうがないけど、こういう時は沈黙が重く圧(の)しかかる。
ポツリポツリと、上の空の会話を交わすんだけど。
ぎこちなくて、それは長く続かなかった。
―――どうしてだろう。
さっきまでは、穏やかに笑ってしゃべっていられたのに。
空気がどうも、張りつめていた。
岩城さんが、すぐ隣りの俺の存在を意識してるのがわかる。
―――どうして?
警戒されてるわけじゃないと思うけど、目に見えない境界線を引かれた気がした。
そんな彼の身じろぎひとつに、俺の神経も過敏に反応した。
―――緊張しすぎだろう、俺。
暮れていく春の空。
岩城さんは黙って、何気ないふりで車窓を眺めてる。
声をかけていいのかどうか、俺にはわからなかった。
何を言っても、彼をびっくりさせてしまう気がして。
俺は嘆息して、FMのスイッチを入れた。



「さて、と」
ハンドブレーキを引いて、俺は大きく息を吐いた。
エンジン音がやんで、急に静けさが落ちてくる。
薄闇の都心。
外はもうとっぷりと暮れていた。
見慣れた岩城さんのマンションの入口に、ぼんやりと街灯が点いていた。
・・・休日はもう、おしまい。
隣りの席の岩城さんが、ゆっくりとシートベルトをはずした。
「岩城さん」
無言でドアに手をかけた彼を、俺は呼び止めた。
「今日は、つきあってくれてありがとう。ホントに楽しかった」
「・・・ああ」
岩城さんは目を伏せて、曖昧に頷いた。
何を言ったらいいのかわからない、そんな感じで。
「じゃ・・・」
沈黙から逃げるみたいな、小さな声。
俺は上半身を乗り出して、岩城さんの腕をぐいっと引き寄せた。
「ごめんっ」
「香藤―――!?」
声が驚愕に揺れた。
「・・・送り狼に、なってもいいかな」
「え・・・っ」
見開かれた瞳が、まっすぐに俺を見つめる。
俺は岩城さんの顎を捉えて、そのまま強引にくちづけた。
「・・・んっ・・・!」
空いているほうの腕で、細い腰を抱き締める。
シャツの下のしなやかな身体が、それとわかるほど震えた。
―――岩城さんと初めてのキス。
っていうか、あの夜以来、彼に触れたのもこれが初めてだった。
腕の中の身体は、逃げなかった。
ほんの少しだけ冷たい唇が、俺の熱に戦慄く。
俺は貪るように、濡れた感覚を追いかけた。
陶然と舌先で、やわらかな唇を割る。
さまよう舌をくすぐって、誘い出して、ねっとり絡め取る。
「・・・ぁふ・・・っ」
岩城さんの甘い匂いが、俺の鼻腔をくすぐった。
「かと・・・っ」
唇を離した瞬間、かすれた声が俺の名前を呼んだ。
俺の下半身が、ドクリ、と大きく脈を打つ。
「・・・ばっ・・・こんな・・・」
荒い吐息をひとつ、ふたつ吐いて。
岩城さんは身体を捩ると、上目遣いで俺を睨んだ。
潤んだ眼差しが、ぬめるように光る。
「俺へのご褒美って、感じかな」
えへへ、とおどけて笑った俺に、岩城さんが呆れたように顔をしかめた。
「・・・言ってろ」
今度こそ、さっさとドアを開けて立ち上がる。
「おやすみなさい、岩城さん。またデートしようね」
俺はにっこり笑って、車の中から彼を見上げた。
バタン、と容赦なくドアが閉まる。
「バカ」
精一杯の捨て台詞。
ウィンドウ越しに見た岩城さんは、真っ赤な顔をしていた。





藤乃めい
22 March 2007



2013年3月30日、サイト引越に伴い新サイト(新URL)に再掲載。初掲載時の原稿を若干加筆・修正しています。