さしも知らじな  第六章 その5






☆ ☆ ☆



それから俺は、ときどき岩城さんをデートに誘うようになった。
ごく普通のカップルみたいに、映画を見たり、おいしいものを食べに行ったり。
成功率は五割くらい・・・かな。
断られるときも、岩城さんが家にいないときもあった。
俺が撮影で、都内にいない週もあったし。
それでも時間の許す限り、俺は彼のマンションに通った。
通うしかない、っていうか。
岩城さんは、次の約束をさせてはくれなかったから。
それが岩城さんなりの線引き、らしかった。
―――我ながら、よく続くって思うけど。
ほんの少しずつ俺に気を許しかけてる岩城さんに、俺は夢中だった。
週末がいつも、待ち遠しかった。



☆ ☆ ☆



「・・・本当にあったのか」
岩城さんは、心底びっくりしたようだった。
俺が差し出した、渋谷の映画館の鑑賞券。
それを受け取って、得意満面の俺に視線を向けた。
思いがけず、やわらかい視線。
「よく見つけたな」
心持ち目を細めて、少し嬉しそうに呟いた。



それは、珍しく岩城さんのリクエストだった。
―――いや、リクエストってのは違うかな。
「何でもいいから、岩城さんのしたいことしようよ」
そう言った俺にふと、見逃した映画があるなんて、言うもんだから。
俺は何週間も目を皿にして、情報誌の細かい文字を追い続けた。
ごくマイナーな数年前のイタリア映画。
そんなもん、東京中探したって上映してないんじゃないか。
そう諦めかけたときに、偶然見つけた。
・・・もう、運命みたいなものを感じたね。



吐息が、近い。
岩城さんの静かな呼吸が、やけに気になってしかたがない。
閑散とした、昼間の映画館の闇の中。
物悲しいピアノの旋律が流れてた。
「・・・おい」
悩ましい吐息みたいな声で、岩城さんが俺の手を捉えた。
いたずらな指先が、隣りのシートの岩城さんを求めて越境してたから。
「香藤」
岩城さんはそっと振り返って、後ろに人がいないのを確認してから、俺に身体を向ける。
「ごめん」
岩城さんには、見えなかったかもしれないけど。
俺はぺろっと舌を出して、岩城さんの右膝を辿る手を引っ込めた。
―――映画館でいちゃいちゃって、憧れなんだけど。
と、言ったら怒るだろうから言わない。
「痴漢か、おまえは・・・」
呆れたため息。
周囲に誰もいないのが、わかるからだろう。
文句を言いながらも、岩城さんは落ち着いていた。
「ストーカーよりは、ましじゃない?」
俺は上半身を乗り出して、岩城さんの耳元で囁いた。
「・・・どこが」
憮然とした声で、俺を牽制する。
「黙って、映画を見てろ」
つれない横顔が、ぼんやりと薄い闇に浮かび上がる。
―――いつ見ても、綺麗だな。
俺はしばらく、その端正な顔立ちを眺めた。



映画は、イタリアの田舎町を舞台にした地味な人情ものだった。
貧しい家族の葛藤と、子供たちの成長の物語。
・・・岩城さんがこれを見たがったって、なんとなく意外。
どうやらこの映画監督が、気に入ってるらしかった。
正直、まったく俺の趣味じゃないんだけど。
でもこうやって、好きな人の嗜好を覚えていくのは楽しい。
少しは、懐に入れてもらってるんだろうか。
気を許してもらってるんだろうか。
岩城さんは俺のこと、どう思ってるんだろう―――。



映画のBGMが、ひときわ大きくなった。
恋を覚えた少女が、町を出て行く場面・・・らしい。
しんと静まった空間に、せつない音楽が満ちる。
岩城さんは一心に、スクリーンに見入っている。
俺はそろそろと左手を伸ばして、岩城さんの脚に触れた。
ジーンズ越しに、筋肉がぴくりと動く。
俺の指を止めようと、岩城さんの手が俺の指を掴む。
そのまま五本の指を絡めて、俺はぎゅっと握りしめた。
冷たい指だけど、しなやかな感じがいい。
「・・・」
前を見たままの岩城さんが、ひそやかな吐息を漏らした。
―――抵抗はない。
俺はゆっくりと繋いだ手を離して、岩城さんの太腿を撫でた。
「・・・んっ・・・」
ほんの少しだけ、吐息が乱れる。
―――岩城さん、嫌じゃないんだ・・・?
制止されないのをいいことに、俺はそこを愛撫した。
くすぐるように軽く、膝先から脚のつけ根のほうに。
握りしめられた拳を、安心させるようにそっと包んで。
ぬくもりを交わしてから、また身体の中心に向かって、そろりと内腿を撫でる。
「かと・・・」
身じろぎした岩城さんが、俺のほうを向く。
困惑しきった囁き声。
そのか細い響きに仄かな色香を感じて、俺の全身が震えた。
「黙って」
強張った熱い身体を、俺は力づくで抱き寄せた。
「・・・ひっ・・・」
驚いた岩城さんが、低く息を呑んだ。
それには構わず、俺は背中に手のひらを這わせる。
彼は逃げなかった。
逃げないってだけで、俺の心臓がバクバクする。
「誰も見てないよ、岩城さん―――」
音楽がうるさくて、きっと誰にも聞こえてない。
怯える唇を塞ぐように、俺は岩城さんにキスをした。
強引に舌を差し込んで、咥内を執拗にねぶり回す。
岩城さんとの二度目のキス。
続けて、三度目のキス。
俺の腕の中で、岩城さんがびくびくと身体を震わせた。
「・・・んっ」
鼻から抜ける息が、なんとも色っぽい。
ぎこちないキスへの反応も、どうしようもなく甘くて。
左腕でしなやかな腰を抱き込みながら、右手で岩城さんの股間を探った。
「・・・っ!」
「しーっ」
飛び上がりそうな彼を制して、しっかりと捕らえたまま。
俺は何度も、ジッパーの上から軽やかな愛撫を繰り返した。
「・・・こ、こんなっ・・・」
キスの合い間に、岩城さんがかすれ声で抗議するんだけど。
火照る肌が、甘い吐息が、彼の昂ぶりを伝えていた。
―――ダメだ、この人は扇情的すぎる。
「大丈夫だよ、岩城さん」
何がどう大丈夫なのか、自分でも説明できないんだけど。
俺はひそやかに笑って、岩城さんに頬を寄せた。
可愛いと思う。
本当に、震えが来るほど好きだと思う。
―――それから、その熱い身体のすべてを征服したいとも。



☆ ☆ ☆



「まったく、もう!」
いかにも不機嫌そうに、岩城さんが嘆息した。
「ごめんね」
駅前の、ひどく騒々しいスターバックス。
奇抜な格好の若者に囲まれながら、俺たちはカフェラテをすすった。
岩城さんは、ほんのり頬を染めたまま。
俺はなんだか、にやけ面のまま・・・だと思う。
―――映画は結局、ろくに覚えてない。
岩城さんは、ラストシーンを見損ねたせいでご立腹だ。
俺の愛撫に耐えきれず、途中で席を立ってしまったから。
「何を考えているんだ、おまえは」
「うん」
「非常識にも、ほどがある」
「うん」
「あんなところで・・・」
「うん」
「おまえが買ってきた券なのに、もったいないだろう」
「うん」
岩城さんは、盛大に眉をしかめた。
「なに?」
「・・・だから、そういう顔はやめろ」
締まりのない俺の顔が、相当癪にさわるらしい。
「うん、ごめん」
俺はにこにこと、岩城さんを見返した。
「・・・まったく」
岩城さんは諦めたみたいに、ため息をついた。
テーブルの上に置かれた綺麗な手を、俺はふと見つめた。
―――さっき暗闇の中で、しっかり握りしめた。
嫌がりもせずに、黙って握り返してくれた・・・。
俺はそろそろと、指を伸ばした。
「こら」
俺の意図に気づいて、岩城さんが苦笑した。
さっさと手を引いて、呆れた顔つきをする。
「本当に、見境のない奴だな。・・・女はそんなふうに、強引に口説かれるのが好きなのかもしれないが―――」
そっぽを向いた岩城さんに、俺は微笑した。
「口説かれてる自覚はあるんだ?」
虚を突かれて、岩城さんは絶句した。
「よかった」
「何がだ」
「俺、必死で口説いてるつもりだから。絆されてくれるの、待ってるからさ」
「・・・馬鹿」
「うん」
俺は頷いて、テーブルの下で岩城さんの手を握った。
「・・・!」
岩城さんの全身が、びっくりして強張った。
なにしろ、スタバだからね。
こんなことしたら、誰にでも丸見えなんだけど。
「好きだよ、岩城さん」
「・・・放せ、香藤」
「や・だ」
にんまり笑うと、岩城さんは派手に眉をしかめた。
「・・・まったく」
きつい力で、俺の手をにべもなく振りほどいて。
すらりと、岩城さんはスツールから立ち上がった。
「調子に乗りすぎだ、おまえ」
俺を見下ろして、さらりとひと言。
それから身を翻して、店を出て行く。
「・・・ちょっと、待ってよ!」
俺は慌てて、その長身の後ろ姿を追った。





藤乃めい
30 March 2007



2013年4月2日(=歌舞伎座開場!)、サイト引越に伴い新サイト(新URL)に再掲載。初掲載時の原稿を若干加筆・修正しています。
それにしても、あえてそのままにしてあるのですが、「細かい文字の情報誌」で映画を探すってあたりに、時の流れを感じますね・・・(汗)。