さしも知らじな  第六章 その8





ゆっくりと、俺は岩城さんの前立てをくつろげた。
「ん・・・」
紺色のビキニブリーフ。
前がパンパンに膨れ上がって、もう布地を濡らしてた。
その卑猥な光景に、俺はごくりと喉を鳴らした。
―――こんなエロティックなもの、嫌がるわけがない。
抵抗なんて、感じるわけがない・・・!
「嬉しいな。感じてくれてるんだね」
そのまま岩城さんの片手を掴んで、下着の中にもぐり込ませた。
「・・・あっ」
咄嗟に、岩城さんが甲高い声をあげた。
「手を、ここに」
「・・・え?」
唇を震わせて、縋るように俺を見つめて問いかける。
けぶる瞳が、ゆらゆらと揺れていた。
セックスの快感を待ち望む、潤んだ眼差し。
でもそこには不安というか・・・なんだろう?
困惑、に似た何か。
いつ俺に突き飛ばされるかって、怯えているような。
傷つくのを畏れてる、そんな表情だった。
「ん・・・」
こんなに俺たちは近くにいて、お互いを欲してるのに。
こんなに俺は、岩城さんが好きだって言い続けてるのに。
こうやって露わに肌を晒して、セックスの一歩手前にいるのに。
それでも、彼は信じないのか。
いや、信じるのが怖いのかもしれない。
―――それだけ、辛い体験を経てるってこと・・・?



「ね、岩城さん」
どうやったら、この人から不安を取り除いてあげられるんだろう。
―――今はただ快楽に没頭して、すべて忘れてほしい。
俺は岩城さんの紅潮した頬に、屈みこんでキスを落とした。
小さな、なだめるようなキス。
「俺は胸をこうやって、愛してあげるから・・・」
滴るような甘い響きで囁いて、俺は岩城さんの乳首を撫でた。
「あ・・・んっ」
「岩城さんは、こっち、自分で扱いて」
下着の中に差し込まれた彼の手首を、そっとつついた。
「・・・っ!」
息を呑んで、岩城さんはそろりと俺を見上げる。
「ば・・・っ」
「できないの?」
俺は岩城さんの前髪をすいて、その額にくちづけた。
むずかる子供をあやすような、そんな愛撫。
大事にしたい、って想いを込めて。
胸を上下させて、岩城さんが深呼吸した。
「・・・っ・・・」
観念したように、ゆっくりと瞳を閉じる。
数秒間の沈黙。
それから上肢をずりあげて、彼は俺に凭れかかり直す。
そろり、と躊躇いがちに手のひらを進めて。
自らの悦びを引き出すために、下着の中に指を忍ばせた。



くちゃり、と粘着質の音がする。
「はぁあ・・・んんっ・・・」
甘い、甘い吐息。
半裸の岩城さんが、途切れ途切れの嬌声を上げていた。
両手をブリーフの中に差し込んで、自分のペニスをしごく。
先走りが漏れこぼれて、濡れた音が響く。
その度に胴体を震わせて、岩城さんは小さく仰け反った。
「かと・・・っ」
汗ばんだ顔を上げて、俺を振り返るように身を捩る。
「いいよ、達っても」
髪の毛にくちづけて、火照った身体を抱えて。
ざわめく肌を撫でて、俺はぴんと尖った乳首を摘まみあげた。
「・・・んあぁ・・・っ」
悲鳴を噛み殺して、岩城さんが背中を撓らせる―――。



そのとき、ドアのチャイムが鳴った。
「・・・!!」
続けて、静かなノックの音。
俺の腕の中で、岩城さんの身体がそれとわかるほど震えた。
もがくように、抱擁から抜け出そうとする。
「はな・・・っ」
「・・・ほっときなよ」
俺は構わずに、岩城さんをいっそう抱き寄せた。
「なんかの配達なら、また後で来てくれるよ」
うっすら赤い項に、じんわりと吸いつく。
吸血鬼になった気分で、そっと歯を立ててみる。
「・・・香藤っ・・・」
熱い肌がざわめくほど、感じているのに。
岩城さんは腰を捩って、俺の腕から逃げ出した。
「岩城さん・・・っ」
思いがけない反応。
しんどそうに上半身を起こして、座ったままで大きく息を吐く。
悔しいけど―――。
それだけでもう、情事の最中の濃密な雰囲気はかき消えていた。
「・・・まったく」
「岩城さん・・・」
―――まさかの展開。
夢が覚めてしまった失墜感に、俺は嘆息した。
それに気づかず、岩城さんはドアをじっと見つめてた。
もう、ノックの音は止んでいたけど。
「・・・岩城さんってば」
「離せ、香藤」
岩城さんの首筋が、うっすらと汗に光っていた。
俺がそこにくちづけようとした、その瞬間。
「なに?」
―――カチャリ。
小さな金属音がした。



「・・・え!?」
弾かれたように、俺は玄関を振り返った。
ありえないはずの―――予想外の音。
花の雨が降る日曜日の午後。
訪ねて来る人がいるなんて、考えてもいなかった。
まして、まさかドアが開けられるなんて・・・!
「・・・!」
文字通り、雷に撃たれたみたいに。
岩城さんは俺の隣りで、全身を硬直させた。
「どうしたの?」
・・・鍵を開ける音。
それはもう、聞き間違いようがなかった。
「え・・・!?」
「京介・・・?」
よく響く落ち着いた声が聞こえるのと。
重たいドアが、ためらいなく開けられるのと。
岩城さんが飛び上がって、玄関口を凝視するのと。
たぶん、ほぼ同時だったと思う。
「・・・!」
「え―――」
着乱れた服を整える暇すらなかった。
俺たちは闖入者を、ただ呆然と見上げた。
「これはこれは・・・」
微苦笑を浮かべた男が、目を丸くした。
渋いジャケットをジーンズの上に羽織った、苦み走った優男。
年のころは、40代後半・・・って感じだろうか。
「あ・・・っ」
―――既視感に、俺は思わず声を上げた。
京都駅で岩城さんを見かけたときに、一緒にいたあの中年男。
すらりと背の高い美丈夫。
その指に、前回していたはずの結婚指輪はなかったけど。
・・・やっぱり、こいつだったのか。
俺は黙って、うっそりと男を見上げた。



笑みを浮かべながら、男は俺をまっすぐに見据えた。
「邪魔をしてしまったようだね」
穏やかに聞こえるが、威圧的な口調だった。
鋭い瞳が、俺たちの格好を検分してるのがわかる。
「・・・どなたですか」
俺はソファに座ったまま、憮然とその男を見上げた。
「京介に、聞いてみたらどうだ」
視線を巡らせて、男がくすりと笑う。
岩城さんの背中が、小さく震えた。
俺はことさらゆっくりと、ぱさついた髪をかきあげた。
―――そう、知らなかったわけじゃない。
なるべく考えないように、してただけだ。
岩城さんの家の鍵を持つ男。
以前にもこのマンションの前で、見かけたことがある。
それがどういうことなのか、聞くほうが野暮だってわかってるけど。
「京介」
男は、岩城さんに向かって横柄に顎をしゃくった。
―――バカな間男に説明してやれ、と言わんばかりに。
「・・・克哉」
ため息をついて、岩城さんがゆらりと立ち上がった。
疲れたような掠れ声。
恥じ入るでもなく、慌てるでもなく、はだけたシャツのボタンを緩慢に留めながら。
・・・それが虚勢なのかどうか、俺にはわからない。
「今さら、何の用ですか」
相手を見据える彼の目に、感情は見えない。
俺はじっと、岩城さんの横顔を見つめた。
「つれないな」
「・・・」
「そんなに拗ねるな。放っておいて悪かった」
男がちらりと、俺に意味ありげな視線を走らせた。
「・・・寂しい思いを、させてしまったようだな」
大きな手のひらが、岩城さんの肩に触れる。
「やめてください」
小さく身体を捩って、岩城さんはその手を振り落とした。
ほんの僅かなためらいを含んだ、拒絶の言葉。
それでも、拒絶には違いない。
「京介・・・」
男の低い声が、岩城さんを促す。
この男を追い払えと、彼にそう要求するのが当然だと思っている口ぶりだった。
それに反応するように、岩城さんはゆっくりと俺を振り返る。
「香藤」
「うん?」
俺はまっすぐに、岩城さんの瞳を見返した。
揺れるまなざしに、彼の真意を見つけたくて。
岩城さんの心が知りたくて。
―――でも。
「・・・帰ってくれないか」
かすれてはいたけど、冷静な口調だった。
まさか、そんな。
ガタリと音を立てて、俺は立ち上がった。
「い、岩城さん・・・っ!?」
「・・・悪かったな」
「何を―――」
青ざめた頬を、わずかに引き攣らせて。
それ以上何も言わずに、岩城さんは疲れたように首を振った。
話し合っても無駄だ、という意味なのか。
説明する気はない、ということなのか。
諦めにも似た、寂しい横顔。
彼の心は・・・俺には見えなかった。
「岩城さん・・・」
唐突な拒絶。
手に入れたと思ったぬくもりが、指の間から零れていく―――。
喉がカラカラに乾いていた。
こういうとき、どうすればいいのか。
何を言えばいいのか、わからなかった。
俺は呆然と、本当にただ茫然と。
ほんの数分前まで俺の腕の中で乱れていた人を、見返すしかなかった。





藤乃めい
17 May 2007



2013年4月15日、サイト引越に伴い新サイト(新URL)に再掲載。初掲載時の原稿を若干加筆・修正しています。