さしも知らじな  第九章 その4





「岩城さん・・・!!」
激怒のあまり、俺の声は裏返っていたかもしれない。
いや、激怒っていうか、憤りっていうか。
それは名前も知らない、荒々しい感情だった。
「え・・・っ!?」
俺は力任せに、岩城さんの腕を引っ掴んだ。
手首を捉えて、強引に彼の身体を起こし、俺のほうを向かせた。
「おい、香藤!?」
バランスを崩して、彼はとっさにシーツに膝をついた。
上半身を立て直して、そのまま正座の要領でしゃがみ込む。
「どうした・・・っ」
驚愕した岩城さんが、瞠目して俺を見つめる。
濡れた瞳と、けぶるような眉。
睫毛の先に、涙の痕が見える。
―――ああ、綺麗だな。
こんなときにも、俺は岩城さんの美貌に息を呑む。
条件反射なんだ―――もう、どうしようもないくらい。
「あのさあ・・・!」
俺はもどかしさに、髪の毛をかきむしった。
それから両腕で、彼の身体を抱き寄せた。
ぎゅっと、力いっぱい抱きしめる。
「香藤・・・?」
困ったみたいな、岩城さんの声。
しばらく逡巡してから、彼は俺の背中に腕を回した。
逆鱗に触れるのを恐れるように、慎重に。
ゆっくり、怒る俺の肩を撫でさすってくれる。
「・・・すまん」
小さな声だった。
「なにか、気に障ったなら、謝るから・・・」
「なに言ってんの!!」
岩城さんを遮って、俺は声を荒げた。
びくりと、彼の身体が強張る。
「なんで、そこで謝っちゃうかなあ!?」
違う、違う、違う。
岩城さん、それは間違ってるよ・・・!
そんな思いばっかりが、空回りする。
「岩城さん、全然わかってない。わかってないよ!」
腹が立って腹が立って、やさしい言葉が出てこない。
こんなんじゃ、彼が怯えるだけなのに。
「なんでそうなの、ねえ!!」
がっしり岩城さんの両肩を掴んで、俺は言い募った。
悔しい。
腹立たしい。
メチャクチャにむかついて、もどかしい・・・!
「香藤・・・」
泣きそうな声で、俺を呼ぶ。
「何を、言ってるんだ・・・?」
本当に戸惑っているんだろう。
岩城さんは眉をひそめて、そろそろと俺を見返した。
綺麗な瞳の奥に、混乱が覗いていた。
―――ああ、怖がらせてしまっている。
それが一層、俺の焦燥を煽った。
「お願いだから、そういうのやめてよ!」
「・・・そういうのって・・・」
俺はぶんぶん首を振って、岩城さんを見つめた。
―――恋人に対して、どうしてそんなに、卑屈になる必要がある?
風俗じゃないんだから、これはない。
「あんまりだよ・・・!」
どう言っていいかわからず、俺はマットレスに拳を叩きつけた。



一方的に、相手の快楽のために奉仕する。
ひたすら自らの身体を差し出して、相手を悦ばせる。
―――そんなセックスなら要らない。
それは、愛する人とのセックスじゃない。
「・・・どうして、岩城さんは・・・っ」
そこに、お互いへの労わりや慈しみは見えないから。
いいように使われるだけの、都合のいい関係。
本人は尽くしてるつもりかもしれないけど、冗談じゃない・・・!
「香藤?」
この人は、そんなセックスしか知らないのか。
心で繋がる喜びを知らないのか。
愛を・・・知らないのか。
それがあたりまえだと、思ってるのか。
愕然と、俺は悟った。
―――だから、幸せを信じないなんて、あっさり断言してしまえるのか。
「なんでそんなこと・・・」
甘んじて、受け入れてしまえるんだろう。
身体だけの関係じゃ、心は満たされない。
そんなのは、恋愛って言わない。
・・・今どき子供にだって、そのくらいわかるだろうに。
「どうして・・・っ」
不可解な怒り。
それから、言い表しようのない哀れみに似た感情。
俺の思考はまとまらず、ぐちゃぐちゃの気分だった。
それでも、言わなくちゃいけないと思った。
俺たちの関係は、そうじゃないはずだ。
違わなくちゃいけないはずだ・・・!



落ち着け、俺。
俺は荒い息を鎮めようと、深く息を吸った。
吐く息に合わせて、ゆっくりと身体をほぐす。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
岩城さんは身じろぎもせずに、俺の様子を窺っていた。
のそりと、俺は座り直した。
「ねえ、岩城さん」
「―――なんだ」
俺の反応が、まったく予測できないんだろう。
岩城さんは慎重に答えて、俺の顔を見つめた。
「うまく言えないかも、しれないけど」
俺はベッドに胡坐をかいて、岩城さんをまっすぐに見返した。
「岩城さんが今まで何人の男と、どんなつきあいをして来たか、俺は知らない」
「・・・!」
「正直、知りたいとも思わない」
―――嫉妬はするけどね、と俺は心の中でつけ足した。
「でも、お願いだから、ああいうのはやめて」
「・・・ああいうのって・・・?」
非難されていると思ったんだろうか。
まるで俺の視線が痛いみたいに、岩城さんは目を伏せた。
「さっきみたいな・・・セックスさせてやる、みたいな態度だよ」
抑揚のない声で、俺は静かに言った。
「・・・っ!」
「岩城さんに、悪気がないのはわかってる」
「・・・か・・・っ」
「俺のために、やってくれてるのもわかる。その気持ちは、嬉しいんだよ?」
岩城さんの濡れた唇が、小さく震えた。
かすかな喘ぎが漏れる。
「でも、あんなのは嫌だ。あんな、突っ込ませればいいんだろう、みたいなのは―――」
「ちが・・・っ!」
岩城さんの瞳に、怒りが灯った。
「馬鹿にするな!」
地を這うような低い声。
岩城さんの身体が、ざわりとそそけだつ感じだった。
「馬鹿になんか、してないよ」
俺はゆっくりと首を振った。
「・・・俺はさ、本気で、岩城さんが好きなんだ」
ため息まじりに、俺は髪の毛をかきあげた。
それからもう一度、岩城さんを抱き寄せた。
「あ・・・」
上半身を預けて、岩城さんが俺の胸に納まる。
何か言おうとして、言いあぐねたような顔つきで。
潤んだ瞳で、俺を見上げる。
―――暖かく息づく、とても愛しい人。
「好きだ」
俺はもう一度、言った。
「マジで惚れてて、一生、大事にしたいって思ってる」
岩城さんの吐息が、俺の首筋に熱かった。
「一生って・・・」
「そうだよ」
きっぱり言って、俺は頷いた。
「岩城さんに、俺の人生のパートナーになってほしい。岩城さんにも、俺をそういう相手として見て欲しい。そう思ってるんだ」
「香藤・・・」
誘われるように、岩城さんがゆっくり顔を上げた。
「それって、対等の人間としてつきあうってことだよ。わかる?」
「・・・なにを?」
「身体だけじゃないってこと。心も結ばれたいって思うこと。宝物みたいに、愛することだよ」
噛んで含めるように言って、俺は岩城さんの髪を撫でた。
愛しいと思う、素直な俺の気持ち。
それが高まって、身体を重ねるってこと。
どうしたら岩城さんに、わかってもらえるんだろう。
「そりゃあ、セックスもすると思うよ? っていうか、いっぱいしたいよ?」
くしゃりと笑って、俺は岩城さんの頬にキスをした。
「でも俺は、岩城さんを愛したいんだ」
ぴくりと、彼の肌が震えた。
「大事に大事に抱いて、全身にキスして、岩城さんに気持ちよくなって欲しい。岩城さんに、俺を欲しいって思って欲しい。それから―――」
「香藤・・・っ」
岩城さんが、俺の腕の中で呻いた。
「うん?」
耳まで真っ赤な岩城さんが、俺を見上げて首を振った。
「いいから、もう、わかったから・・・っ」
「ホントに?」
「香藤、もう・・・」
「・・・恥ずかしいの?」
掠れ声でそう聞いて、俺は岩城さんの裸の胸をさすった。
ゆっくりと冷えていく汗を辿って、指で乳首をくすぐる。
「・・・んぁっ・・・」
思わず漏れた甘い吐息に、自分でびっくりしたみたいに。
岩城さんは目を見開いて、呆然と俺を見返した。
「俺に全部、くれるんだよね」
にっこり笑って、俺は岩城さんにキスをした。
「岩城さんの全部。ちがう?」
「うん・・・」
ためらうように視線を泳がせてから、岩城さんは頷いた。
のろのろと、躊躇いがちに。
「なら、俺に全部、預けてみて。俺に何か、しようとしなくていいから」
「・・・」
彷徨うような視線が、俺を捉える。
迷っているのがありありとわかる、深く輝く黒い瞳。
「―――俺を、感じて欲しい。任せて欲しい。俺のすること全部、受け止めてくれるだけでいいから」
「でも・・・」
「目を閉じて、岩城さんの快感だけを追いかけて。そしたらきっと、わかるから」
「・・・何を・・・」
「愛される、ってことだよ」
「・・・!」
何か言いかけた紅い唇を、俺は熱いキスで塞いだ。






藤乃めい
27 August 2007



2013年5月27日、サイト引越に伴い新サイト(新URL)に再掲載。初掲載時の原稿を若干加筆・修正しています。