さしも知らじな  第十一章





☆ ☆ ☆



「バッカじゃねえの、おまえ!」
さも呆れたみたいに、小野塚が大げさに肩をすくめた。
銀座の端っこの、騒々しいビアホール。
俺は悪友たちを誘って、憂さ晴らしをしてた。
―――そうでもしなくちゃ、やってらんない気分だった。



「そういう言い方はねえだろ?」
大ジョッキを呷って、俺は口を尖らせた。
「友だちだろ。少しは慰めろよー」
「・・・あのなあ、香藤。甘いよ、おまえ」
宮坂が派手にため息をついて、俺に指を突きつけた。
ふたりとも、専門学校時代の同期。
といっても、今じゃまったく分野の違う、別の仕事をしてるんだけど。
正直、この業界、カメラで食っていけるほうが少数派だ。
「いいか、よく考えてもみろ」
噛んで言い含めるみたいな失礼な口調で、小野塚が言った。
「一年間、おまえの片思いだったんだろ?」
「・・・そうだよ、悪いか」
「絡むなって、もう。いいから聞く!」
つまみの小鉢を脇にどけて、小野塚は続けた。
「イマイチ自覚、ないみたいだけどさー」
「んあ?」
「おまえのやってたことって、はっきり言ってストーカーだよ」
「・・・」
「変質者あつかいされても、文句言えないレベル。わかってんの?」
「おい」
「ふつうなら受け入れるどころか、警察に通報されてるって」
「・・・うっ・・・」
否定できずに、俺は憮然と悪友を見返した。
「下手したらおまえ、今ごろ犯罪者なわけ」
「・・・るせえ」
「そんなおまえを、許してくれたんだろ?」
「・・・ああ」
「ありがたいじゃねえか、彼女」
小野塚は、せせら笑うような表情で俺を見下ろした。
「そーゆー寛大な彼女に、おまえ、感謝してるか?」
「してるよ!」
「そーかなー」
「何が言いたい?」
―――相変わらず、もったいぶったやつだ。
俺は内心、ぶつぶつと悪態をついた。
「だっておまえ、強引すぎるじゃん!?」
宮坂が横から、茶々を入れた。
「イケメンなら何やっても許されるわけじゃねーのよ?」
「うるせーよ!」
「まあまあ」
ひらひらと手をかざして、小野塚が仲裁に入る。
「宮坂、おまえは黙ってろ。いいか、香藤」
「んだよ」
「なんだかんだで彼女、おまえの熱意に根負けして渋々オッケーくれたんだろ?」
「・・・そうだよ」
その言い方は気に食わないけど。
ついでに言うと、彼女じゃないし。
俺は嘆息して、もう一度ビールを呷った。
「いい子だよな、心が広いっつうか」
「・・・まあな」
「美人なんだろ?」
「ったりめえだ」
「で、いきなり、押し倒したわけだ?」
「・・・悪かったな」
あの状況の岩城さんを見て、勃たなかったら病気だ。
手を出さずに済む男なんているもんか。
無理強いしては・・・いない、はずだ。
岩城さんだって、嫌がってはいなかった。
・・・おそらく。
「マジ、よくできるよな」
「・・・あのなあ」
―――そこには、愛があったんだよ。
好きだという気持ちは、俺のほうが強かったと思うけど。
それでも、そんな俺を受け止めてくれたはず、だった。
そう言いたいのを、俺はぐっとこらえた。
「それでその翌日には、プロポーズしたって?」
「おうよ」
「そこだよ、そこ!」
「は?」
「おまえは、誠意を見せたつもりなんだろうけど」
ニヤニヤ笑って、小野塚は肩をすくめた。
「ふつう引くだろ、そりゃ」
「―――なんでだよ」
俺は最高に不機嫌な声を出した。
「はは、自覚なしかよぉ!」
頓狂な声を上げて、宮坂が笑った。
「いいからおめーは黙ってろ、宮坂!」
俺は低く唸ってから、ビールを飲み干した。
性質(たち)の悪い酔いに、頭がくらくらし始める。



「なんでプロポーズしちゃ、いけねんだ・・・?」
半分は独り言みたいに、俺はぼそりと呟いた。
俺のものにしたかった。
やっと捕まえた岩城さんを、放したくない。
一生ずっと俺のそばにいて欲しい。
他の男には、もう二度と触れさせたくない。
―――そう伝えることの、何がいけないんだ?
「俺だけのものにしたいって、フツーだろ?」
「・・・おまえって」
哀れむように、小野塚が言った。
「もてるわりに、案外、女をわかってないねー」
―――だから、女じゃないんだって。
そう言いたかったけど、俺はどこかで躊躇っていた。
男同士だから・・・じゃない。
岩城さんとの絆に絶対の自信があったら、堂々とカミングアウトしてるだろう。
「・・・おまえはわかるってのかよ、この野郎」
「ってか、駆け引きなさすぎー?」
得意げな宮坂を、俺はじろりと黙殺した。
小野塚が宥めるように、俺の頭をぽんぽん叩いた。
「あのね、香藤くん。しちゃいけねえ、じゃなくてさ?」
「ん?」
「押して押して、押しまくって、勢い余って押し倒して・・・それだけじゃ女は、落とせないよ?」
「・・・」
「やっと手に入れて、舞い上がってるのはわかるけどさ」
「・・・」
「閉じ込めておきたくて焦ってるの、バレバレじゃん」
「・・・そっ」
「そうじゃないって、言えんの?」
ぐっと言葉に詰まって、俺は小野塚を睨みつけた。
痛いところを突かれて、言い返せないのが悔しい。
「独占欲まる出し。イタイよ、おまえ」
ツキン。
いきなり頭痛がした。
「う・・・」
酒のせいで、頭の回転も遅いのかもしれない。
「あんまり追い詰めると、女は怖くなって逃げるよー?」
―――だから、女じゃないって!
いや・・・女じゃなくても、同じなんだろうか?
問題はそこじゃないのかもしれない。
小野塚の忠告を聞きながら、俺はふとそう思った。
「要するにおまえ、余裕なさすぎなわけ」
「・・・そっかな」
―――否定はできない。
俺はぼんやりと思いをめぐらせた。
いつだって俺は、目の前に欲しいもんがあると一直線だ。
周りが見えない・・・というより、気にしたことがない。
形(なり)振りかまわず突っ走って、手に入れるまで絶対にあきらめない。
それで失敗したことなんて、今まで一度もない。
男ってそういうもんだと思ってた。
それが恋愛のパッションだろう、とも。
―――だけど。
「怖くなって逃げる、か・・・」
胸の奥が、再びツキンと痛んだ。
『しばらく、ひとりにしてほしい』
あの日の岩城さんの言葉がよみがえる。
・・・確かに、相手の気持ちを考えてなかったかもしれない。
俺のアプローチを、ずっと迷惑だと言ってた岩城さん。
でもそれは、過去の話だ。
その、はずだ。
「・・・逃げたがってるとは、思えないけどな」
たしかに俺は一方的に、つれない岩城さんを追いかけていたけど。
俺の勢いに流されたにせよ、絆されたにせよ。
岩城さんは、自らの意志で、俺を受け入れてくれた。
だから、少なくても今は違うはずだ。
・・・そのはず、なんだけど。
『考えたいことがあるんだ』
うつむき加減で、静かにそう言った岩城さん。
―――あれは、どういう意味なんだろう・・・?
「おい、どーした?」
ぐるぐると考え始めた俺を、小野塚が小突いた。
「うーん・・・」
好きだって、言ってくれた。
俺の腕の中で、ほんわかと笑ってくれた。
それが岩城さんの真実だって、思っていいはずだよね。
連絡、くれるよね・・・?
「・・・会いてえ・・・」
顔さえ見られれば、こんなもやもやは晴れるのに。
俺はため息をついて、テーブルに突っ伏した。



☆ ☆ ☆



それからしばらくは、目の回るような忙しさだった。
××賞を受賞してから、それ関連の取材が何件か。
カメラ専門誌だけでなく、スポーツ紙にも記事が載った。
個展を開かないか、なんて声をかけてくるギャラリーもあった。
仕事の依頼は、いきなり倍に増えた。
テレビで紹介された後は、疎遠だった親戚からも電話が来た。
―――受賞作品のモデルについての問い合わせも、実はずいぶんあった。
「プロのモデルさんではないから」
俺はそれで押し切って、何も語らなかった。
展示会場での岩城さんとのやりとりについては、ちょっと気にしてたんだけど、幸い誰も触れてはこなかった。



一躍脚光を浴びた。
―――なんて、自惚れてるつもりはない。
注目される前も後も、俺の仕事の姿勢は同じだ。
だけど仕事の現場では、周囲の態度はすっかり変わってた。
受賞を好意的に受け止めてくれた人が、ほとんど。
だけど、中には剥き出しの敵意をぶつけて来る奴もいた。
『君ってゲイジュツカ、だったんだねえ』
そんな嫌味ぐらい、受け流せないといけない。
―――まぐれ、まぐれ。
俺は理性を総動員して、いつもどおりに振舞った。
あれは奇跡のショットだった。
偶然の産物みたいな一枚の写真を、世の中に送り出しただけのことだ。
認められて嬉しいけど、それで俺が変わったわけじゃない。
そう言い聞かせて、俺は平常心を貫いた。



岩城さんからの電話はまだない。
あれからそろそろ、一ヶ月が過ぎようとしていた。



本当に、皮肉なもんだ。
一年間ずっと追いかけて、追い続けて、追い回して。
恋焦がれに焦がれて、やっと手に入れた恋人だった。
きれいで哀しい岩城さん。
ようやく、俺を認めてくれた。
おずおずと差し伸べられた彼の手を引き寄せた途端に、お預けを食らった気分だった。
拒絶されてた頃は、いくらでも強引に迫れたのに。
想いが通じた今、俺はどうすることもできないでいた。
押しかけるのは、ルール違反だと思うから。
俺はただ、信じるしかなかった。
岩城さんが連絡をくれるのを、ひたすら待つだけ。
―――焦らされてるとは思ってない。
捨てられたわけでも、試されてるわけでもないと思う。
わかっちゃいるけど、しんどかった。
信じてる。
信じなくちゃいけない。
彼のくれた言葉を、大事にしたい。
初めての約束だから、何があっても守りたい。
だけど、ただ待つのは苦手だ。
ため息をついて、俺は自分を慰めた。
恋人を抱けないひとり寝の夜。
「岩城さん」
したたる甘い毒のような岩城さんの味を、心身で反芻した。
「岩城さん・・・」
昂ぶる身体を持て余して、いつまでも寝つけなくて。
助けを求めるみたいに、岩城さんの名前をひそかに呼んだ。
―――幸せだけど、すごくせつない。
「待ってるから」
物わかりのいい振りをした自分が、いっそ恨めしかった。





藤乃めい
2 October 2007



2013年6月21日、サイト引越に伴い新サイト(新URL)に再掲載。初掲載時の原稿を若干加筆・修正しています。