さしも知らじな  第十三章 その1





翌朝、俺は岩城さんの腕の中で目が覚めた。
窓に吊るしたシャツが、朝の光に半分透けていた。
清々しく晴れた秋の空。
とにかく気持ちのいい、新しいスタート。



寒いわけでもないのに、俺たちはひしと抱き合っていた。
寄り添うというより、身体を半分重ねるみたいに。
狭いシングルの布団だから、そうする以外になかったんだけど。
「・・・おはよ」
寝起きのビジョンが岩城さん。
俺の頭を抱きかかえて見下ろしてる彼と、目が合った。
「ああ」
甘い吐息みたいな声。
慈しみに満ちた眼差し。
―――これが夢なら、永遠に覚めないでほしい。
俺はうっとりと美貌の恋人を見上げる。
「起きてたんだ」
「ああ」
「俺が起きるまで、待っててくれたの?」
「・・・いや」
あ、目じりに小さな笑いじわ。
至近距離でこの笑顔が見られる、最高の贅沢。
―――すごく、幸せ。
穏やかな時間が嬉しくて、俺はくすくす笑い出した。
「どうした?」
「なんでもないよー」
のそのそと身体をずらして、俺は寝そべったまま岩城さんをゆっくりと見つめた。
それが合図みたいに、岩城さんが身体を起こす。
きれいな裸体を朝の光に惜しげもなく晒して、彼はそこに座っていた。
「岩城さん・・・」
俺は唇に指をあてて、キスをねだる仕草をした。
くすり、と笑って。
岩城さんは軽いキスをくれた。
上半身を倒して、俺にのしかかるように顔を近づけて。
「もっと」
「・・・まったく」
さらり、と。
黒髪が零れて俺の頬をくすぐる。
俺は手を伸ばして、岩城さんの首筋に指を走らせた。
もう片方の腕で、岩城さんを背中から抱き寄せる。
「・・・んっ」
ゆるい愛撫。
恋人の背中をのんびりと指が伝う。
情熱の夜が明けて、今こんなに穏やかな気分で抱き合ってるのが、不思議なくらいだった。
「好き」
「かと・・・」
ついばむようなキスを繰り返す。
「・・・きれいだよ」
うっとりと俺は呟いて、岩城さんの腰をまさぐった。
素肌はさらりと冷えた感触。
「・・・んぅ・・・」
ぴくりと、岩城さんが震える。
俺は丹念に、くるみ込むように尻を撫でた。
からかうように、気まぐれに指を走らせる。
「気持ちいい・・・?」
空いている手で、彼の胸を弄りながら。
もう一方の手を伸ばして、今は慎み深いアヌスに触れた。
「・・・あっ・・・」
不埒な指先に、岩城さんが小さく息を呑む。
―――まだ、熱を持ってる。
「岩城さん・・・」
俺の声がいやらしく掠れた。
熟れた、熱い柔襞。
昨夜の感覚を思い出した途端、股間のバカ息子に漲(みなぎ)る力を感じた。
―――これ以上はヤバい、かな。
「んん・・・っ」
岩城さんが小さく首を振って、俺の腕を掴む。
キスが―――すうっと遠ざかる。
「・・・ふう」
息継ぎの合い間に、岩城さんはゆっくりと身体を離した。
「調子に乗るなって―――」
「ごめん、つい」
「つい、って・・・」
「・・・あれ?」
見上げた岩城さんは、ものすごく恥ずかしそうだった。
真っ赤な顔をして、俺の視線から目を逸らす。
「どしたの?」
「―――こんな・・・こと」
「え?」
「・・・どうしたら」
小さな、蚊の鳴くような声で。
こんなふうに恋人と朝を迎えたことなんて、今までなかった。
だから、どうしていいのかわからない。
嬉しい半面、恥ずかしいのだ、と。
―――しどろもどろに、岩城さんはそう呟いた。
「・・・岩城さん・・・!!」
俺はほとんど悲鳴に近い声をあげた。
「なんてこと言うの・・・!!」
「え!?」
―――無自覚っておそろしい。
甘い殺し文句に、すっかりハートを撃ち抜かれて。
俺は手足をジタバタさせて、布団の上で転げ回った。
「そういうの、反則だから!」
「・・・香藤?」
びっくりしてる、その顔も可愛い。
「たまんないよ・・・!」
もう一度、岩城さんを抱きしめる。
「香藤・・・」
困ったような、照れくさいような表情。
「なにを、いったい・・・」
俺の抱擁から逃れて、深呼吸をして。
それから岩城さんは、ゆらりと立ち上がった。
頬だけじゃなくて、耳から項までほんのり染まっている。
「好きだよ、岩城さん」
じっと見上げて、俺は真顔で言った。
「知ってる。・・・まったく」
「知ってるって」
俺が笑うと、岩城さんは顔をしかめてみせた。
「笑うな」
「だって」
「・・・本当におまえは、臆面もなく・・・」
ふいに、言葉が止まる。
視線に耐えられなくなったみたいに、岩城さんは苦笑して、俺に背中を向けた。
恥ずかしくて、俺の顔も見られないって感じ・・・?
「先に風呂に入る」
まるで、この甘い会話から逃げ出すみたいな言い草だった。
―――そそけ立った背筋が、少し震えていた。
「・・・もう、ホントに!」
最高にハッピーな気分で、俺は彼の背中を見送った。
本当に可愛くて可愛くて、どうしようもない。
愛しさで、俺はおかしくなりそうだった。



「あいたた・・・っ!」
ごろんと寝返りを打った途端、俺は派手に顔をしかめた。
「どうした?」
「かかと、打っちゃった」
布団からはみ出してた足を、俺は指差した。
膝から下は、フローリングに投げ出したまま。
「寝相が悪いからだ」
ほんわりと笑って、岩城さんは俺の足元にしゃがみ込んだ。
お風呂上りの素肌。
腰にタオルを巻いただけの格好。
あんまり扇情的で、俺はどぎまぎした。
「痛いか・・・?」
細い指先で、俺の足に触れる。
つややかな髪の毛から、ぽたり、と雫がこぼれ落ちた。
「・・・岩城さん・・・っ」
「うん?」
「い、いいから!」
俺はがばりと起き上がって、脚を引っ込めて胡坐をかいた。
―――あんなに一晩中、愛し合ったのに。
岩城さんに触れられるだけで、疲れきったはずの下半身が疼いた。
いくらでもできる、と本気で思う。
俺ってこんな野獣キャラだったっけ・・・?
「香藤?」
俺の不自然な態度に気づいて、岩城さんが首をかしげる。
とまどう瞳が、ほんの少し不安げにゆらめいた。
「ごめん、違うよ」
苦笑して、俺は岩城さんの腕を引っ張った。
バランスを崩して、彼が俺の胸の中に倒れ込む。
「おい・・・っ」
「あは、いい匂いだね」
ふわりと石鹸の香り。
あたたかい項に、俺は舌を這わせた。
「こら・・・」
困ったような、甘い声。
岩城さんの心臓が、早鐘を打つのがわかった。
彼がドキドキしてくれる、それが何より嬉しい。
「好きだよ、岩城さん」
言うたびに、もっともっと好きになる気がする。
出かける用事なんてぶっちぎって、もう一度ゆるゆると抱き合いたい。
岩城さんの最奥に俺を埋めて、ずっと繋がっていたい。
―――でも、そうもいかないよね。
俺は嘆息した。
「買い物、行かなくちゃねー」
「・・・そうだな」
ひとしきり、俺の手が背中を撫で回すのを許してから。
岩城さんはそっと立ち上がって、外出の準備を始めた。



☆ ☆ ☆



ソファとベッドって、けっこう高い買い物だと思うけど。
岩城さんの決断は、あっけないほど早かった。
「いいものを、長く使いたい」
彼の希望は、いたってシンプルだった。
さっさと配送の手続きをして、俺たちはファブリックの展示コーナーに移った。



「こんなの、いいんじゃない?」
「いい色だな」
「うん。こういう柄なら、オールシーズン使えると思うし」
「そうか」
熱心にオーダーカーテンのサンプル生地を見てる俺に、岩城さんが聞いた。
「退屈しないか、香藤」
「ううん。なんで?」
「いや、なんて言うか・・・」
ほのかに笑って、岩城さんは肩をすくめた。
「他人の買い物につきあうのって、疲れるだろう」
そっけなく聞こえる言葉に、俺は苦笑を返した。
「俺たち、他人じゃないと思うけど」
ささやいて、意味深に岩城さんの背中を撫でた。
指で背筋をたどって、腰の付け根まで。
「・・・ばっ」
驚いた岩城さんが、顔を真っ赤に染めて振り返った。
その拍子に、俺たちの後ろに控えていたデパートの店員と目が合ったんだろう。
「え・・・」
目をぱちくりさせた彼女が、曖昧に頷いた。
そつのない、でも興味深げな愛想笑い。
コホン。
その視線に気づかないふりで、俺は咳払いをした。
「―――決めたの、岩城さん?」
岩城さんは気まずそうに顔を逸らせた。
「・・・ああ、うん。これにしようか」
淡いセイジ・グリーンの布地を指差して、岩城さんが頷いた。
俺のチョイスだけど―――まあ、いいか。
「リビングも、寝室も同じ生地?」
「そのつもりだが・・・おかしいか?」
「ううん、いいと思うよ」
俺たちは小声で話しながら、店員に促されてレジに向かった。
「それでは、こちらで承ります」
年配の女性店員が、慣れた手つきで注文書に記入を始めた。
時々ちらりと顔を上げて、俺たちを値踏みするような視線を走らせる。
―――興味津々なのが、丸わかり。
今どき男同士のカップル、そんなに珍しいかな。
俺の顔になんかついてるのかって、聞いてやりたくなる。
「それでは―――」
「はい」
「お仕立てに一週間ほど頂きますが、よろしいでしょうか」
「ええ、構いません」
「出来上がり次第、お二方様のご新居に配送の予定でございますが、その際に―――」
「・・・!」
岩城さんが思わず息を呑んだ。
ふたりの新居って言葉に、俺も瞠目した。
「・・・そうじゃん!!」
俺は破顔して、岩城さんの腕をがしっと掴んだ。
「そうしよう、岩城さん!」
「香藤?」
「そうだよ、なんで俺、もっと早く思いつかなかったんだろ!!」
「な、何がだ!?」
俺と店員の顔を交互に見ながら、岩城さんが慌てて聞いた。
「バッカだなあ、俺・・・!」
「だから、何の話をして―――」
「一緒に暮らそう、岩城さん」
岩城さんの両手を取って、しごく真面目に俺は言った。
「はあ!?」
今度こそ度肝を抜かれて、岩城さんは呆然と俺を見返した。
「こないだの俺のプロポーズ、受けてくれたんだよね」
「・・・!」
「ちがうの?」
「・・・そういうことじゃ、なくて・・・」
「なら、いいじゃない。ふたりで新しい生活、始めよう?」
「何を、いきなり・・・っ」
「それとも岩城さんは、俺と暮らすのは嫌?」
「・・・バカッ!」
耳まで真っ赤にして、何度も首を振って。
それから岩城さんは、上目遣いに俺を睨みつけた。
「あの・・・?」
女性店員も、目を丸くして俺たちを見ている。
―――信じられないものを見ちゃったって、そんな表情で。
「じゃ、決まりだね!」
俺はくすりと笑って、彼女の手元の注文書を指差した。
「あのー、それ・・・」
「あ・・・は、はい!」
店員が慌てて、俺にオーダーの控えを手渡した。
「お買い上げありがとうございました」
「じゃあ、よろしくお願いします」
軽く会釈して、俺は岩城さんの手を取った。
「岩城さん、行こう」
「・・・おいっ・・・」
「次は俺の買い物、つきあって?」
ぎゅっと彼の手を、握りしめたまま。
俺はにっこり笑って、岩城さんを先導して歩き始めた。





藤乃めい
10 November 2007



2013年7月13日、サイト引越に伴い新サイト(新URL)に再掲載。初掲載時の原稿を若干加筆・修正しています。