さしも知らじな  第十四章 その2





☆ ☆ ☆



「忘れ物、ないよね」
通路で立ち止まって、俺は岩城さんを振り返った。
東京始発ののぞみは、静かに京都駅にすべりこんでいた。
車窓の外には、やわらかな日差し。
晩秋の古都は晴れていた。
「ああ―――」
岩城さんは笑って、ふと視線を俺の手元にやった。
ぶらぶらさせてる、食べ終わった駅弁のゴミ。
「なに?」
「・・・いや」
いたずらっぽい含み笑い。
俺はわざと眉をしかめてみせた。
「今、ガキみたいだって思ったでしょ」
「なにを言ってるんだ」
車両の揺れが小さくなり、けたたましいベルが鳴り響いた。
「そんな冷たい目で見なくなって・・・」
「ほら、先に進め」
「いいじゃんか。だって、新幹線に乗ったら駅弁でしょ、やっぱり!」
俺の主張をいなして、岩城さんは背中を押した。
「いいから、早く降りろって」
「んもー」
俺は促されるまま、下り線のホームに降り立った。
「うわ、寒!」
ひゅうっと冷たい風が、俺の首筋を撫でる。
思わず首をすくめた俺を、岩城さんは楽しそうに見つめた。
「寒くない、岩城さん?」
「俺は雪国育ちだからな」
トレンチコートの襟を立てながら、岩城さんが微笑する。
すらりと端正な立ち姿。
片手は、キャリーケースのハンドルに置かれている。
その手元には、鈍く光るプラチナのリングがあった。
まだ見慣れなくて、意識するたびにドキドキする。
「・・・じゃ、行こっか!」
よっこいしょっと、俺はでっかい荷物を抱えなおした。



☆ ☆ ☆



「チェックインは後でいいよね」
「ああ、まだ早いだろうな」
ホテルにとりあえず荷物だけ置いて、俺たちはさっさとタクシーに乗り込んだ。
「××まで、お願いします」
「はいはい」
運転手さんのしゃべる京ことばが、耳に心地いい。
「京都、一年ぶりだ―――」
俺は後部シートに身体を預けて、ほうっと深呼吸した。
岩城さんの左手を探りあてて、手のひらをそっと重ねた。
「そうか」
岩城さんは言葉少なに答えて、俺の手に指を絡めた。
じんわりとぬくもりが伝わってくる。
澄んだ湖のような眼差しが、まっすぐに俺に向けられた。
「うん?」
「・・・いや」
やわらかな微笑み。
「ホントにあっという間だったよ、この一年」
俺はぐっと、岩城さんの手を握りしめた。
「俺にとって、一生忘れられない年になるね」
―――岩城さんに、出会えたから。
「ああ」
俺が口に出さなかった言葉を、読み取ってくれたのかもしれない。
岩城さんは、やけに神妙に頷いてくれた。



☆ ☆ ☆



「か、香藤くん!?」
古ぼけた洋風のドアを開けると、サティのメロディーが聞こえた。
時代に取り残されたような、小さな喫茶店。
―――純喫茶、だっけ。
死語になりつつあるその言葉がいかにもふさわしい店だった。
「こんにちは!」
「な、な、なんで、京都にいてるん!?」
紺色のエプロンをした吉澄さんが、素っ頓狂な声をあげる。
あんまりびっくりされて、俺のほうが驚いた。
「なんでって・・・」
俺が京都に来るのって、そんなに仰天されるほどのことか?
「美味いコーヒー、飲みに来たんです」
めげずににっこり笑って、俺は岩城さんを振り返った。
「寒いから、中に入ろう」
「あ、ああ」
岩城さんが、小さく吉澄さんに会釈する。
「・・・あれえ?」
なにか呟きながら、吉澄さんは俺たちをまじまじと見つめた。



観光シーズンだというのに、店内は空いていた。
昼下がりのけだるい時間帯。
奥のテーブル席に数人、馴染みらしい客がいるだけだった。
「こっち、いいですか?」
「ええよ」
観葉植物で仕切られたバーカウンターに、俺は岩城さんを促した。
「ブレンドでええかな?」
「ええ、はい」
吉澄さんは首を傾げながら、水の入ったグラスを俺たちの前に置いた。
ちらりと横目で岩城さんを見つつ、何も言わない。
―――余計なことは聞かない、ってことか。
俺が紹介するまで、誰何(すいか)する気はないらしい。
「あの・・・」
「え?」
きれいに磨きこまれたカウンター。
そっけないほどに装飾のないキッチン。
ぴかぴかのグラスが整然と並ぶ。
―――なんか、吉澄さんらしいな。
「なに?」
「俺、吉澄さんに謝りに来たんです」
「謝りって・・・ああ、先だってのなあ」
くすくす笑って、吉澄さんはコーヒーを淹れ始めた。
「あんな右も左もようわからんとこで、置いてけぼりやったもんな」
「本当にごめんなさい。俺、去年から、吉澄さんに迷惑かけっ放しで」
すみません、と俺は再び頭を下げた。
「そういえば、そうやったなあ」
口調はのんびりしてるけど、手はずっと動かしたまま。
丁寧にドリップされるコーヒーを、俺は感心して眺めた。
「あれは去年やったか」
「はい・・・」
「ホテルに荷物ほったらかして、自分帰ってしまうんやもんな。あれには、ほんまに呆れたわ」
「その節は、ホントに・・・」
頭をかく俺に、吉澄さんは声を立てて笑った。
「ま、損な性分や思うけどな」
カタン。
目の前に二客、白いカップとソーサーが置かれた。
馥郁とした香りが、とても心地よい。
「許したるから、それ、熱いうちに飲みぃ」
「はい、いただきます!」
俺は破顔して頷いた。
隣りの席の岩城さんも、小さく微笑してカップを取り上げた。



「・・・で?」
二杯目のコーヒーを注いだところで、吉澄さんが聞いた。
「わざわざ東京から新幹線乗って、謝りに来たんか?」
俺は苦笑して首を振った。
それからおもむろに、家から抱えて持って来たパネルを取り出した。
「・・・へ?」
「まずはこれ。よかったら、もらってください」
「ここで開けてええの?」
細い目をしばたかせて、吉澄さんは包装紙を破った。
「あ・・・これ、もしかして!?」
「ええ、そうです」
A2サイズのフォト・パネル。
そのフレームをカウンターに乗せて、吉澄さんはため息をついた。
「うわー・・・」
俺の『さしも知らじな』に、真剣に見入ってる。
少し気恥ずかしい気分で、俺は岩城さんに視線をやった。
彼も、いたずらっ子みたいな表情で吉澄さんを見てる。
「やっぱこれ、傑作やなあ。香藤くん、さすがや」
「いや、その・・・」
真顔で誉められて、俺は照れた。
一時は俺と同じく、写真の世界を目指した吉澄さんだ。
きっと思うところもあるだろうに、心から祝ってくれるのがありがたかった。
「本当にもらってええの?」
「ええ、ぜひ、よかったら」
「おおきに。うっとこに持って帰りたいけど、店に飾るほうがええかな・・・」
写真とにらめっこの吉澄さんが、ふと、顔を上げた。
「・・・あれえ!?」
「な、なんですか!?」
「この写真のモデルって、もしかして―――」
そこではじめて符号に気づいたみたいに、彼は目を丸くした。
じっと、岩城さんを見る。
「ぼんやりした輪郭やけど、でもこれ・・・?」
岩城さんに視線をやって、もう一度パネルを見て。
そのコミカルな仕草が可笑しくて、俺は笑った。



「そうです、吉澄さん」
俺は笑って頷いた。
「実は俺、彼を紹介しに来たんです」
やっとそう言って、俺はスツールから立ち上がった。
横で岩城さんが、するりと俺の隣りに立つ。
「・・・ええ?」
吉澄さんはきょとんとしている。
「こちらは、岩城京介さんです。俺の・・・えっと」
わざとらしく咳払いして、俺は岩城さんに微笑みかけた。
「何て呼ばれたい?」
「・・・バカ」
岩城さんの白皙に、ほのかな微笑が浮かぶ。
「はじめまして、岩城です」
俺は勝手に頷いて、吉澄さんに向き直った。
「俺のフィアンセ、かな」
「・・・はあっ!?」
吉澄さんは目をまん丸にして、俺たちふたりを見つめた。
「今、なんて言うた・・・」
「その写真のタイトルで、解っちゃうと思いますけど」
俺は苦笑した。
「岩城さんは、俺の大切な人です。真剣におつきあいしてるつもりです。去年、京都でひと目惚れして―――」
「おい、香藤」
岩城さんが俺の腕を掴んで、そっとたしなめた。
「そんなことは言わなくていい」
「でも」
「ほえー・・・」
ずるり、と。
吉澄さんがカウンターの向こうでよろけた。
「うわっ!」
「吉澄さん!?」
長身を支えるように、慌ててカウンターに両手でしがみつく。
「か、香藤くん・・・」
天を仰いで、何度か深呼吸をして。
それからようやく、吉澄さんは俺たちに向き直った。
「こ、腰、抜けてもうた・・・」
「・・・すみません」
俺は苦笑を返して、曖昧に頭を下げた。
「えっと、それ、てんご(冗談)ちゃうねんな」
つぶやきかけて、ふと、岩城さんの指輪に目をとめて。
もう一度あらためて驚いて、吉澄さんは目をぱちぱちさせた。
「・・・それ、ひょっとして」
「はい、そうです」
俺は笑って、自分の左手をかざしてみせた。
もちろん薬指には、岩城さんとお揃いの指輪がある。
「・・・本気やねんな、香藤くん」
「もちろん」
額の汗を拭って、吉澄さんが唸った。
「香藤くんがそっちの人やて・・・いやあ、びっくりや。考えもせんかった。あんなにぎょうさん女の子、とっかえひっかえ・・・」
はっと息を呑んで、彼は岩城さんに謝罪した。
「すみません! 俺、えらい無神経なこと言うて!」
「いえ、そんな」
気にしてませんから、と岩城さんは苦笑した。
―――本当に、まったく気にならないとしたら。
それはそれで少しさみしいよ、岩城さん?



「それで、なんで京都へ?」
他の客の追加注文を運んでから、吉澄さんが戻って来た。
ニコニコしながら、岩城さんとおしゃべりしてる。
―――さっきは、あんなに驚いたくせに。
大らかな吉澄さんはあっという間に、岩城さんの存在を受け入れたらしかった。
「香藤に、旅行に誘われたんです」
照れくさそうに、岩城さんが答えた。
「三日間だけだけど、オフが取れたから、って」
「今や香藤くん、売れっ子やもんねー。岩城くんは、会社員?」
「そうです」
「急に有給取るの、大変やったろうに」
「・・・ええ、まあ」
ほのかに微笑する岩城さんに、まるでどぎまぎするみたいに。
吉澄さんは俺を振り向いて、にんまり笑った。
「ええ人つかまえたな、ほんま」
「お陰さまで、ラブラブですよ」
「おい、香藤!」
俺は笑って、そっと岩城さんの手を取った。
彼の手は逃げない。
ただ、困ったように俺を見るだけで。
「吉澄さんのお陰です」
「へ?」
「去年のこと、覚えてませんか」
「去年て・・・ああ、すっぽかされたことやな」
のんびりそう言われて、俺は再び頭をかいた。
「そうです。あのとき、吉澄さんに言われたんですよ」
「なに言うたかな・・・?」
「すごい美人の後、ふらふらついてったんだろうって」
俺は岩城さんを見つめて、陶然とそう言った。
「上手くいったら、紹介しろってね」
ウィンクして、俺は吉澄さんに向き直った。
「あのときは、自分でも自分の行動がわからなかったけど。今はわかります。あの日から俺はずっと、岩城さんしか見えてないから」
唖然とする吉澄さんを尻目に、俺は岩城さんの腰を抱き寄せた。
「おい・・・っ」
「幸いにも上手くいきましたから、俺のすごい美人を、見せびらかしに来たんです」
俺は笑って、ペロリと舌を出した。
「香藤・・・!!」
岩城さんが真っ赤になって腕の中でもがいた。
「・・・まったく、ようやる」
吉澄さんは腕を組んで、呆れたみたいに笑った。





藤乃めい
25 November 2007



2013年8月10日、サイト引越に伴い新サイト(新URL)に再掲載。初掲載時の原稿を若干加筆・修正しています。
次回、ようやく最終回です。