さしも知らじな  第十四章 その3 最終回





「それでは、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
ホテルの案内係が、丁寧に頭を下げた。
「うん、ありがとう」
パタン、と。
オートロックのドアが閉まった。



二人きりになった途端、俺は岩城さんを抱き寄せた。
「・・・んっ!」
勢いよくのしかかって、そのままベッドにダイヴ。
「おい、香藤・・・っ」
もがく岩城さんの抵抗を封じ込めて、俺は貪るようにくちづけた。
「・・・んぅっ・・・」
ねっとりと濃厚なキス。
それに応える岩城さんの唇が震える。
俺のシャツを掴んでいた手が、ゆるゆると俺の背中に廻った。
「・・・いわっ・・・」
唇を離すと、つうっと唾液が線を引いた。
荒い呼吸に胸を喘がせて、岩城さんが俺を見上げる。
きらめく漆黒の瞳が、じんわりと欲情に滲んでいた。
「まだ、日が高いのに―――」
俺の頬を片手で撫でながら、岩城さんが苦笑した。
―――ああ、ものすごく色っぽい。
俺をたしなめるというより、欲望に翻弄されかけている自分に戸惑う、そんな感じの表情。
たおやかで、でも艶めかしい。
「うん、そうだけど」
微笑みを返して、俺は岩城さんのシャツのボタンに手をかけた。
「もう限界だよ、俺。岩城さんが欲しくてたまんない」
なめらかな肌はもう、桜色に息づいていた。
「・・・あっ」
「ここもほら、悦んでる」
乳首をこね回されて、岩城さんが軽く仰け反った。
極上の羽毛布団の上で、二人の身体がふわりと波打つ。
「観光は、明日。・・・ね?」
―――新婚旅行なんだから、溺れるほどに愛し合いたい。
耳元でそう囁くと、岩城さんはくつくつと笑った。



☆ ☆ ☆



ハネムーンってのがどのくらい、免罪符になるのか知らないけど。
俺はその日、飽くことなく岩城さんを貪った。
貪り尽くした。
つるべ落としの夜が更けて、冴え冴えとした月が山の端にかかっても。
ルームサービスの夕食もそこそこに、俺たちはお互いの身体に夢中になった。
情欲のおもむくままに、どろどろになるまで交わった。



いっさいの躊躇いを脱ぎ捨てて、岩城さんは俺を求めた。
掠れた悲鳴をあげて。
終わらない官能に身を焦がして。
確かめるように何度も、何度も、俺に貫かれたがった。
初めて見る恋人の姿だった。
涙でぐちゃぐちゃになりながら、彼は俺を欲しがった。
乱れに乱れて、俺の腕の中で艶やかに咲いた。
「んああっ・・・かとぉ・・・香藤っ・・・っ!!」
「岩城さん・・・!」
俺の背中に爪を立てて、快感にむせび泣きながら。
しなやかな下肢で俺を閉じ込めて、狂おしげに俺を呼んだ。
「・・・いいっ・・・っと、奥まで・・・かとっ・・・ひあぁっ」
壮絶なまでに妖艶な俺の恋人。
凄まじい絶頂感に、全身を痙攣させて仰け反って。
俺に必死ですがりついて。
岩城さんは惑乱の叫び声をあげた。
躊躇いも、羞恥もなく。
ただひたすら、俺を欲しがった。
「・・・やあっ・・・もっ・・・もう・・・はぁんっ」
ぎゅうぎゅう締めつけてくる岩城さんのアヌスに、俺もまた暴走した。
痛いほどの快楽に、根こそぎ理性を奪われた。
「んくっ・・・岩城さん・・・いっ・・・!!」
渾身の勢いで、捻じ込むように腰を叩きつけた。
その晩もう、何度目かもわからないスパーク―――!!
「・・・ふああぁっ・・・んんっ・・・」
熱い身体を抱きしめ、その最奥で俺は勢いよく迸りをぶちまけた。
衝撃を受け止めて、岩城さんが喜悦の涙を零す。
この世の果てまですっ飛ばされそうな、最高のエクスタシー。
「好きだよ、岩城さん。愛してる・・・!」
俺の声は完全にざらついて、吐息みたいなものだったけど。
「・・・香藤・・・っ」
激しく肩で息をつきながら、岩城さんはたしかに頷いた。



果てしない熱情の後の静寂。
「香藤・・・」
言葉を覚えたばかりの赤ん坊みたいに、岩城さんが繰り返す。
「うん」
俺はその度に頷いて、彼の髪をすいた。
汗だくの身体を寄り添わせて、ゆるやかな愛撫を交わす。
「・・・ん・・・」
火照った肌をまさぐって、やわらかなキスを重ねた。
灼熱の夜が去っていく。
それが惜しくて、離れがたくて。
岩城さんの指先は、ずっと俺の下腹部あたりを撫でていた。
エロティックというより、やさしく愛おしむ感覚。
追い立てるのではなく、寝かしつけるような仕草だった。
「それ、好き?」
からかうように問いかけると、岩城さんは婉然と微笑を返した。
「さあな」
細い指先がつうっと、俺のペニスを伝う。
気まぐれな、いたずらみたいな感触。
「なんかずいぶん、名残惜しそうだからさ。もう一回くらいなら、俺いけると思うけど?」
「バカ」
くすくす笑いながら、岩城さんは俺の額を小突いた。
その手を捉えて、俺は指先にキスを落とした。
「・・・かとう」
「うん?」
俺はのっそり半身を起こして、岩城さんを見下ろした。
恋人の思いの丈を、濡れた漆黒の瞳が伝えていた。
―――ああ、本当に綺麗だな。
好きだ。
本当に好きだ。
セックスがただのセックスじゃなくて、心の交感でもあること。
ありったけの愛で恋人を満たすために、誰よりもそばにいるために、身体を繋げるということ。
それを今の岩城さんは、信じてくれてるんだと思った。
「あのな、香藤」
「うん」
俺はのろのろと布団をたぐり寄せて、俺たちの身体を覆った。
「話がある」



「え・・・」
ひどく真摯な、ひたむきな視線。
「―――言っておきたいことがあるんだ」
ドキリ、と。
しなかったって言ったら嘘になる。
それでも努めてさりげなく、俺は微笑した。
「なあに?」
「・・・おまえはこれから、写真家として認められて」
「うん?」
「たぶん、世界に羽ばたいて行くんだと思う」
「え―――」
「もっと活躍して、成功して・・・」
予想外の岩城さんの『話』に、俺は目を瞠った。
―――なに、これ?
彼は、なにを言おうとしてる?
「いつか、誰もが名前を知ってるような、そんな存在になるかもしれない―――」
淡々とした、岩城さんの声。
「・・・まだまだ駆け出しだよ、俺」
俺は苦笑して、布団の中で岩城さんを抱き寄せた。
温かな恋人のぬくもりに、俺はほっと息を吐く。
「そうだといいけど、来年も売れてる保証はどこにもないから」
「・・・ああ」
甘えるように鼻先を擦りつけた俺を、岩城さんが抱き返してくれた。
それだけで、俺はせつないほどの安心感を味わう。
「岩城さん、なんでそんなこと・・・?」
「そうしたら、俺は―――」
俺の肩口にちょんと唇を押しつけて、岩城さんが小さく言った。
「・・・おまえの邪魔に・・・」
か細い声だった。
「俺みたいな存在は、おまえのためにならないだろう・・・?」
「・・・!」
「ゲイの恋人と一緒に暮らしてるなんて、どこかでばれたら・・・」
俺はがばりと起き上がって、岩城さんをぎゅっと抱きしめた。
「ちょ、ちょっと、岩城さん!!」
「・・・香藤・・・」
「本気でそんなこと言ってるなら、怒るよ!?」
岩城さんが静かに、首を横に振った。
「聞いてくれ、香藤」
「ばれる以前に、俺、岩城さんとのことを隠そうなんて・・・っ」
「ちがうんだ」
口を尖らせた俺を見て、岩城さんはふわりと笑った。
最近よく見せるようになった、染み入るような微笑。
幸せそうだけど、でも儚げでせつない。
「違うよ、香藤。そうじゃなくて―――」
「じゃあ、なに?」
岩城さんはベッドの上で居住まいを正して、俺に向き直った。
素っ裸のまま、俺と膝を突き合わせて。
「香藤には、本当に済まないと思う」
低い、でもしっかりした声。
思いもしなかった謝罪の言葉に、俺は飛び上がった。
「やめてよ、岩城さん!」
あわてて再度、彼を俺の腕の中に閉じ込めた。
「心臓に悪いから! お願いだから、そういうのはよして、ね!?」
「・・・ちがう」
恋人が小さく首を振る。
「ちがうんだ」
「じゃあ、なんで謝るの?」
俺の裸の胸に頬をつけたまま、岩城さんは身体を震わせた。
ああ、肌があたたかい。
「・・・別れてやれないと、思うから」
揺れる瞳が、そっと俺を捉えた。
「へっ!?」
「―――たとえ俺がおまえにとって、足枷になる日が来ても・・・」
「・・・っ」
「俺はきっと離れられない。きれいに身を引いてやれる、自信はない―――」
瞳を伏せて、岩城さんは自嘲気味に笑った。
「すまないな」
「―――岩城さん!」
たまらなくて、俺は岩城さんの唇を奪った。
「・・・っ・・・んんっ」
驚いた岩城さんは少し抵抗して、それからすぐに大人しくなった。
舌を絡めて、唾液をすする濃厚なキス。
「・・・んはっ」
もぎ取るようにキスから逃れて、岩城さんはぜいぜいと息を吐いた。
「香藤・・・っ」
「上等じゃんか、それ!」
俺はにんまり笑って、岩城さんの桜色の頬を撫でた。
なめらかな、本当にきれいな肌だ。
「嬉しいよ、岩城さん。おまえを愛してるって、聞こえるね」
「・・・!」
ほんのりした岩城さんの肌が、徐々に朱に染まっていく。
壮絶に綺麗で、俺は目眩がしそうだった。
「・・・だから」
「言っとくけど、俺だって、もう頼まれたって別れてあげないよ?」
俺は微笑して、岩城さんの左手を取った。
全裸の恋人を飾る唯一のアクセサリー。
その誓いの指輪に恭しくキスを落とす。
「お互いさまだね、岩城さん。死ぬまで離さないから、覚悟して」
「・・・かとう」
小さな声は、今度は格段に甘く響いた。
「大変なことがあったら、二人で乗り越えればいい。岩城さんと幸せになるためなら、俺は何でもするから」
そそけ立つ岩城さんの肩を抱き寄せて、俺はにっこり笑った。
「だから、取り越し苦労はやめよう?」
頬を染めたまま、岩城さんは泣き笑いみたいな貌をした。
「香藤・・・」
甘い、甘い掠れ声。
「せっかく一緒にいるんだもん。幸せになることだけ、考えようよ」
「・・・そうだな」
照れたようにうつむいて、ぽつりとひと言。
「愛してるよ、岩城さん」
俺はもう一度、岩城さんの手を握りしめた。
岩城さんは黙って、握り返す指に力を込めた。



☆ ☆ ☆



そして俺たちは、嵯峨野に帰って来た。
やわらかな晩秋の日差しが降り注ぐ、野宮神社の境内。
あたり一面の山紅葉、草紅葉。
紅葉の錦、神のまにまに―――って、こういうのを言うんだろうな。
ひらひらと足元に戯れる落ち葉を踏みしめて、俺は岩城さんを見つめた。
「うん?」
視線を感じて、岩城さんが俺を見上げる。
穏やかな微笑を浮かべた、せつないほどに美しい恋人。
「なんでもないよ」
「・・・おかしな奴だな」
ひそやかに笑うその声に、俺の鼓動が跳ね上がる。



俺の見つけた、最高の一期一会。
去年のあの夕暮れ、天啓のように降って来た俺のひらめき。
ほんのひと目見た途端に、運命だとわかった。
あの日の興奮が、今でもつい昨日のことみたいだ。
とろける闇に沈んでいく岩城さんの輪郭を、必死で追いかけて。
息をすることすら忘れて、夢中でシャッターを切った。
セックスの絶頂みたいな高揚感に、胸が震えた。
―――あの日から一年。
俺は奇跡を手に入れた。



俺の数歩前を歩いていた岩城さんが、ふと振り返った。
誰もいない手水舎の前。
「おまえは、何も聞かないんだな」
「え?」
「一年前のことだよ」
滲むような苦笑は、照れ隠しか。
「・・・ああ」
俺はにっこり笑って、首を振った。
「なんとなく、想像はつくから。言いたいなら、いくらでも聞くよ?」
さわりと、冷たい風が吹いた。
岩城さんの黒髪がひと筋、秀でた額に揺れる。
「岩城さんは今、ここにいる。俺には、それだけで十分だよ」
「・・・そうか」
それっきり、会話は途絶えたけど。
落ちた沈黙は、決して息詰まるものじゃなかった。
俺と岩城さんの間に育まれつつある、心地よい情愛みたいなもの。
恋愛の奔流とは違う、穏やかであたたかいもの。
それが感じられるからだと思った。
俺は黙って、岩城さんから柄杓を受け取った。



「・・・限界、だったと思う」
拝礼のあと、まるでひとり言みたいに岩城さんが呟いた。
昔話でもするような、せつない遠い目をしながら。
「終わりにしたくて、できなくて―――」
哀しい微笑み。
俺は黙って、岩城さんの腰をぐいと抱き寄せた。
「香藤・・・」
岩城さんの吐息が、俺の頬にかかる。
きらめく黒曜石の瞳が、まっすぐに俺を見つめていた。
「もっと早く、おまえと出会いたかった」
―――ああ、そうか。
未練があるわけじゃないんだね。
岩城さんは、去年の寂寥(せきりょう)を反芻してるのかもしれない。
「・・・ね、キスして?」
とろけそうな甘い声で、俺はねだった。
そっと周囲に視線を走らせて、岩城さんは俺の鼻先をつついた。
「人が見てるぞ」
「いいじゃんか」
俺は笑って、岩城さんの白皙を手で撫でた。
「こら」
「ここは、縁結びの神様だよ。恋人同士が仲良くして、何がいけないのさ?」
俺の屁理屈に、岩城さんは声を上げて笑った。
「そういうのを、詭弁って言うんだ」
するりと、俺の抱擁から抜け出して。
「どうしてさー」
むくれる俺に、岩城さんは振り返りざま、小さな投げキスをくれた。



☆ ☆ ☆



「この辺か?」
黒木の鳥居に手を触れて、岩城さんは首を傾げた。
「うん、いいよ」
俺は頷いて、ゆっくりカメラを構えた。
―――もちろん、ファインダー越しの岩城さんは一年ぶりだ。
息を止めて、俺は切り取るイメージを定めた。
レンズの向こうには、俺の恋人。
凝視されてるのを意識して、ちょっと身体が硬い。
「ねえ、岩城さん」
「うん?」
「さっきの、もう一回やって?」
「さっきのって?」
俺はカメラを下ろして、指先で自分の唇をトントンと叩いた。
「悩殺、投げキッス!」
「・・・バッ・・・」
びっくりした岩城さんが、あからさまに顔をしかめる。
「冗談じゃない!」
俺は笑って、もう一度カメラを構え直した。
「・・・自分でやったくせに」
「言ってろ」
フレームのど真ん中に岩城さん。
ほんのり頬を染めて、岩城さんが睨みつける。
俺はその瞬間を逃さずに、シャッターを切った。



それから、夢中になって岩城さんを撮った。
やめられなかった。
彼のすべての表情を拾いたかった。
「いったい何枚、撮るんだ―――」
「もうちょっとだけ・・・!」
オレンジ色の西日が、あたりを黄金色に染めている。
岩城さんの瞳も、ほの白い頬も、やわらかに輝いていた。
―――本当に、神々しいほど綺麗だ。
「・・・そろそろ日が落ちるぞ」
手持ち無沙汰になったのか、岩城さんが左右に腰を捩る。
写真を撮られるのに慣れてきたんだろう。
さっきより随分、表情が生き生きしていた。
「好きなように動いていいよ」
レンズから目を離さずに、俺は微笑した。
「きれいだね、岩城さん!」
つむじ風に肩をすくめた岩城さんが、びっくりして俺を見返った。
細身のシルエットが、逆光ぎみにファインダーに映る。
「なに、言って・・・」
眉をしかめて見せるけど、口元は綻んでいた。
そこには、たおやかな余裕すら感じられた。
「大好きだよ、岩城さん」
そんな彼が、愛しくて愛しくてたまらない。
「―――まったく」
俺の言葉に、呆れたふりをしながら。
岩城さんは、とっておきの輝かしい笑顔を俺にくれた。






藤乃めい
30 November 2007



これで、『さしも知らじな』はおしまいです。加筆・改稿にずいぶんと時間がかかってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
2013年8月18日、サイト引越に伴い新サイト(新URL)に再掲載。初掲載時の原稿を若干加筆・修正しています。