第一話 (前編)



板戸が慌しく引き開けられる音が、屋敷内に響いた。
廊下を走り、岩城は井戸端へ裸足のまま飛び降りた。
「統領?!」
庭の手入れをしていた佐和が、それに気付いて慌てて駆け寄り、その背をさすった。
「大丈夫にござりますか?」
岩城は、苦しげに胸を押さえて、えずいていた。
「す・・・すまん・・・。」
「いかがされました?」
嘔吐が治まって、口を濯いでいる岩城の背を、佐和ははっとして見つめ返した。
「わからん。突然、胸が悪くなった。」
佐和の顔が、徐々に綻んだ。
「佐和?」
岩城がその顔に、不審げに眉を寄せた。
「三位殿に、お伝えせねばなりませぬな。」
「いらん。これくらいのこと。」
「そうではござりますまい。大事なことですぞ。」
「は?」
岩城のきょとんとした顔に、佐和は吹き出した。
「御子が・・・。」
「・・・は?」
固まったまま、岩城は呆然と佐和を見つめた。
「なっ・・・なにを言ってるんだ?」
「不思議でも何でも、ござりませんでしょう?我らは、そういう者。ご不信なら、母御前に、お伺いなされませ。」
「その必要は、ないぞえ。」
「母者?!」
突然の声に、岩城は慌てて振り返った。
いつの間にか、その場に岩城の母が姿を現し、微笑んで岩城を見つめ頷いた。
「そなたは、生まれた時からおのこの部分が多かったゆえな。跡取りとして、育てたためもある。子ができるなど、その人型ではわかるまいよ。」
まだ、信じられないといった顔で、岩城は母を見つめていた。
「・・・子供・・・?俺と、香藤の?」
「そうじゃ。」
母親と佐和は、愕然とする岩城を放って、楽しげに話を始めた。



「ただいま。」
香藤が柱に背を預けて廊下に座り、ぼんやりとしている岩城に声をかけた。
「どしたの?」
「なんでもない。」
ここ数日、岩城は体調が優れぬらしく、気だるげにしていることが多くなっていた。
そのせいで、夜の営みもお預けになっている。
「薬師に来てもらう?」
「いや、いい。」
岩城は、心配げな香藤の顔を見ながら首を振った。
「でも、具合が悪いんでしょ?なんか、病気だったら困るし・・・。」
「・・・病気じゃないから。」
岩城はそう言って、顔を背けた。
「岩城さん!」
腕を掴んで顔を覗き込もうとする香藤を、岩城は頬を染めて見上げた。
「あのな・・・その・・・。」
香藤は、その真っ赤な顔で言いよどむ岩城の肩を掴んで、自分のほうへ向けさせた。
「岩城さん、俺に隠し事はやめてよ。理由がわかってるんなら、尚更だよ。どうして言ってくれないの?」
頬を染めたまま俯く岩城を、内心で可愛いと思いながら、香藤は岩城が口を開くのを待った。
「言えないわけじゃ、ないんだが・・・。」
「うん?」
「・・・恥ずかしいというか。」
「え?なんで?」
「言って、お前がどう思うか、不安もあるし・・・。」
そう言って、一度上げた顔をふたたび伏せた岩城に、香藤は不審げに眉を寄せた。
「ねぇ、岩城さん。俺、今更岩城さんのことで、驚くことなんかないと思うけど?」
その言葉に、岩城は顔をあげ香藤を見つめた。
まっすぐな瞳を受けて、それでも恥ずかしげな顔で視線を泳がせる岩城に、香藤は焦れて口を開こうとした。
「あのな・・・。」
岩城が肩をつかまれ、俯いたままで、小さな声を発した。
「うん?」
「その・・・。」
「うん?」
しばらく黙って、岩城は顔を上げて香藤を見つめた。
「・・・子供が出来たらしい。」
そう言って、また、顔を伏せる岩城を、香藤はぽかん、として見つめた。
香藤が黙っていることに、不安になって岩城は、伺うように視線だけを上げた。
「・・・今、なんて言ったの?」
「だから・・・子供が出来たって・・・。」
一拍の沈黙のあと、屋敷の闇にいる者たちが、飛び上がるほどの香藤の叫び声があがった。
「やった〜〜〜〜〜!!!!!」



「お前、何とも思わないのか?」
「思うよ!っていうか、何を?」
「何をって・・・不思議だ、とか、おかしいとか、思わないのか?男なのに、とか?」
手放しで喜びを表す香藤に、岩城のほうが疑問をぶつけた。
「全然!!嬉しいもん!!」
呆れるくらいに屈託のない笑顔で、香藤は答えた。
「岩城さんがさ、俺の子供を産んでくれるんだよ?なんで疑問に思わなきゃいけないのさ?」
岩城は、その顔をまじまじと見つめた。
ほっと溜息を漏らすと、香藤が岩城を両腕で抱きこんだ。
「岩城さんは、嬉しくないわけ?」
「そんなことはない!」
「でしょ?」
にっこりと笑って、香藤は岩城を見つめた。
「岩城さんさぁ、考えすぎだよ。確かにさ、岩城さんは男だから、普通ならありえないけど。」
「俺は、人じゃないからな。」
岩城が、自嘲気味に言った言葉に香藤は、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「そうなんだよね!おかげで子供ができたんだ!」
抱き込んで、ゆさゆさと岩城の身体を揺する香藤に、岩城は震えそうになる声を抑えて、その胸に頬をつけた。
「馬鹿か、お前は。」
「うん、そうかも!」
「で、な、香藤。」
「うん?」
「できないからな。」
「・・・はぁっ?!」
呆然として、香藤は岩城を見つめた。
「どうした?」
「まさか・・・?」
「ああ。人とは違う。我慢しろ。」
顔をしかめて香藤は深く嘆息した。
「困ったなァ・・・。」
「何が?」
「・・・ってことは、産まれるまでお預けなわけ?堪えられるかなァ・・・岩城さんのこと抱けないなんて、俺には拷問だよぉ〜〜!!」
聞いているうちに、岩城の身体が別の震えを起こした。
「あ〜〜〜・・・きっついなぁ〜〜〜・・・」
岩城の鉄拳が、香藤の頭に振り下ろされた。
「馬鹿!」
「いった〜〜〜〜い!なにすんのっ?!」
「お前の困るはそれか?!」







それ以来、元々岩城に対しては過保護といっていいほど世話を焼いていた香藤が、輪をかけてひどくなった。
「岩城さん、なにしてんの?!」
「何って、書庫の中の物を、虫干ししてるんだ。毎年、やってるだろ?」
「そうじゃなくて!」
きょとん、とした顔で岩城は両手に文書の詰まった箱を抱えて、香藤を見返した。
「そんな重いもの、持っちゃダメだよ!」
「あのな・・・。」
香藤は岩城の手から文書箱を奪い取ると、片腕で脇に抱えて岩城の背を押し、部屋へ押し込んだ。
「俺がやるから、岩城さんはじっとしてて。何かあったらどうすんのさ?」
「ちょっと待て。何かってなんなんだ?」
「だから、岩城さんはもう、一人の身体じゃないんだから、気をつけてよ。」
「や・・・それはそうだけどな。」
香藤の真剣な顔に、言い返す言葉をなくして、岩城は困ったように俯いた。
「岩城さん、俺、怒ってるわけじゃないんだよ?」
慌てて香藤は岩城の肩を抱き寄せた。
「わかってる。」
「心配なんだもん。岩城さんて結構自分に無頓着なとこあるから。」
「そんなことはない。」
香藤の胸に頬をあて、その鼓動を聞きながら岩城は溜息をついた。
「岩城さんのことは、俺のほうがよく知ってるよ。」
香藤はその背を撫でながら岩城を見下ろして微笑んだ。
「重いものは持っちゃダメ。いい?そういう時は、誰か呼んで。俺がいれば俺が持つよ。」
「わかった。」



「あ〜〜〜〜!!」
「なんだ?どうした?」
廊下を行く岩城の後から、香藤の叫び声が聞こえた。
振り返った岩城は、眉をしかめて飛んでくる香藤を、驚いて見つめた。
「何してんの?!」
「は?」
まったく思い当たることがなくて、岩城は呆然と香藤を見つめた。
「なんで裸足なの?!しとうず(足袋)履かないと!それにそんな薄着でいたらだめだってば!」
「あのな、香藤。」
毎度毎度のことに、岩城は嘆息して部屋に入った。
ぶつぶつと小言をいいながらついてくる香藤を無視して、岩城は文机の前に座った。
その後ろで、香藤がなにやらごそごそと動き回っている。
ふわり、と岩城の肩に綿物がかけられ、文書に目を通しながら暦を詠んでいた岩城は、顔を上げた。
「ほら、足出して。」
香藤の少し怒ったような声に、岩城は黙って膝を崩し両足を差し出した。
首を捻じって作っていた暦に目を通しながら、岩城は香藤がしとうずを履かせるに任せた。
「はい、いいよ。」
「うん。」
くすっと、岩城が笑った。
「なに?」
「・・・過保護だな、お前。」
「なに言ってんの?当り前でしょ?」
くすくすと笑い続ける岩城に、香藤は頬を膨らませた。
「身二つになるまでは、大事にしてし過ぎることなんてないんだからね。岩城さん、わかった?」
「ああ、わかった。」
くすぐったそうに頬を染めて、岩城は香藤を見返した。
「ま、身二つになっても、だけどね。」
「ん、そうだな。」



「おやすみ、岩城さん。」
香藤が、岩城の肩を抱いて額に接吻した。
そのまま香藤は、岩城の隣に身体を横たえた。
瞬く間に寝息を立てる香藤を、岩城は少し眉を寄せて見つめていた。
そっと香藤に寄り添うと、瞼を閉じた。
何度目かの嘆息をついた岩城を、突然香藤が抱きしめた。
「すまん、起こしたか?」
「いいよ、俺のことは。それより、どしたの?」
「え?」
香藤は心配そうに、見上げる岩城の頬を撫でた。
「溜息、ついてたでしょ?」
「ああ・・・。」
岩城は再び溜息のような返事を返した。
香藤は、口を閉ざした岩城の頬や額に、あやすようにそっと唇を触れた。
「・・・香藤・・・。」
「ん?なに?」
「すまん。」
「なにが?」
ゆっくりと髪を撫でながら見下ろす香藤に、岩城は少し言いよどんだ。





つづく




サイト引越に伴い2012年12月11日に再掲載。