December Love 02




☆ ☆ ☆



「・・・って、言ってもなあ・・・」
湯船にズルリと沈み込んで、黒川は嘆息した。
ブクブクと泡を立てて、顔の下半分まで湯に潜らせる。
長い茶色の髪が、顔の周りをふわふわと漂った。
「・・・どうすんだ、俺」
黒川は、揃えた膝をきゅっと抱きかかえた。
そろそろ風呂から出なくては、と思うのだが。
目の前に、欲情をあからさまにした保坂の顔が思い浮かぶ。
「ビビるだろ、あれは・・・」
黒川は、ゾクリと身体を震わせた。
とうに見慣れたはずの、涼しげな切れ長の瞳。
それが獰猛な牡の危険さをはらんでいた。
火を噴くような熱さで、黒川を射抜いた―――。
黒川はふと視線を落として、自分の裸体をしげしげと眺めた。
湯気でほのかにソフトフォーカスのかかった身体。
貧相ではないかもしれないが、とりたてて立派でも美しくもない。
「これ見て、欲情するわけ・・・?」
平坦な胸と股間で大人しくしている性器が、いやでも目につく。
はあ、っともうひとつため息。
「・・・マジかよ」
あいつのほうがよっぽど、人の羨む体型をしてるじゃないか。
そうひとりごちた途端。
以前、どこかのプールで見た保坂の裸体を思い出して、黒川は赤面した。
すらりとした肢体に、意外なくらい筋肉が乗っていた。
女を泣かせる強靭そうな腰。
目のやり場に困ったミニマルなビキニ。
それが強調する、股間の膨らみ―――。
「うっわー、やめろ俺!」
連想したビジョンに慌てて、黒川はぶんぶんと首を振った。
それから、のそりと腰を上げた。
ザバザバ音をたてて、湯が素肌からこぼれ落ちる。
「條一郎も充分、訳わかんないけどさ・・・」
大ぶりのバスタブから抜け出して、洗い場の鏡をじっと睨みつけた。
「一番わかんないのは、おまえだよ?」
曇った鏡に映る自分の姿に、たしなめるように呟きかける。
「どうして、自分を抱きたいってほざくバカ男のために、身体洗うかな―――」
がっくり肩を落として。
黒川は、とぼとぼとバスルームを出た。



☆ ☆ ☆



黒川が脱衣所に足を踏み入れたのと、ほぼ同時に。
ガラリとドアが開いて、保坂がひょいと顔を覗かせた。
「おわっ!?」
「あ、弓ちゃん、ごめん」
低いドアフレームに合わせて長身を折るような姿勢で、保坂がタオルを差し出した。
思わず、股間を手で覆ったまま。
あたふたと片手でタオルを鷲掴みにする黒川に、保坂がくすりと笑った。
「・・・何笑ってんだよ」
「だってさぁ」
「何だよ・・・?」
黒川は手早く腰にタオルを巻きつけて、ほっと吐息をついた。
「弓ちゃんのオボコ反応、可愛すぎ」
「オボコ・・・だあ?」
眉をしかめて、黒川は口の悪い親友を見上げた。
「あのねえ、保坂くん」
黒川の動揺ぶりに目を細めて、保坂はゆっくり髪をかきあげた。
「だって、弓ちゃん。意識しすぎなんだもん」
「は?」
「いくら俺ががっついてても、こんなとこじゃ襲わないから、安心して?」
にっこりと微笑されて、黒川は絶句した。
「だいたいさあ。俺、弓ちゃんの裸も、見慣れてるよ」
黙ったまま、黒川は不審げに目の前の男を見上げた。
保坂はもう一度、くすりと笑う。
「一緒に温泉とか、何度も行ってるでしょ?」
「・・・それは、そうだけどね」
憮然とした低いバリトンの美声。
保坂は腕を伸ばして、そっと黒川の右手を取った。
黒川の瞳が、わずかに揺れる。
呼吸を計りながら、ゆっくりと―――。
保坂は掴んだ手を、自分のジーンズの股間に導いた。
「ちょっと、保坂くん・・・!」
「しいっ、黙って・・・」
一歩近づいた保坂の腕が、黒川の裸の背中に廻った。
「・・・濡れるって」
戸惑ったような声だった。
中途半端な、緩い抱擁。
お互いの胸がやっと触れ合うほどの、頼りなさだったけれど。
「いいから」
耳元でささやいて、保坂は黒川の手を、熱く脈打つ自分のものに押しつけた。
「弓ちゃん。これが、俺だよ・・・」
「ほさ・・・」
「弓ちゃんが欲しくて、さっきからずっとこう」
保坂のもう一方の手が、黒川の顎を捉える。
ついばむようなキスが落ちてきた。
「ん・・・」
情事に慣れない少女をあやすような、小さな甘いくちづけ。
優しいキスに、黒川が小さく笑った。
「なあに?」
「いや・・・」
目を閉じたまま、ひっそりと呟く。
「上からキスされる感覚ってのは、おかしなもんだと思ってさ」
つられて保坂も笑った。
「・・・そのうち、慣れるでしょ・・・」
もう一度、唇が重なった。
今度は深く、長く、舌を絡ませる。
ぎゅっと目を閉じたまま。
黒川はおずおずと、保坂の舌に応えた。
濡れた背中をたどる保坂の手の感触。
弾かれたように、黒川は身をよじった。
「ふ・・・っ」
やんわりと、黒川は保坂の身体を押しのけた。
「・・・あんまり調子に乗ると、怒るよ?」
「弓ちゃん?」
「こんなとこじゃ盛らないって、自分で言ったくせに」
頬を染めて睨みつける黒川に、保坂が破顔した。
「そうだったね」
熱い息を吐いて、黒川は一歩後退した。
「・・・さっさと風呂入って、それ、いったん抜いて来いよ」
黒川は、ちらりと視線を保坂の股間に走らせた。
「はいはい、仰せのとおりに」
降参のポーズで両手を挙げて、保坂は声を立てて笑った。



☆ ☆ ☆



保坂がバスルームに消えたのを見届けて。
黒川は裸足のまま、ペタペタとキッチンに向かった。
勝手知ったる他人の家。
迷わず冷蔵庫から、ミネラル・ウォーターのペットボトルを取り出す。
グラスを探そうとして、途中で手が止まった。
「ま、いいか」
二リットルのボトルからそのまま、直に水をあおる。
冷えた液体が一筋、唇の脇からこぼれて裸の胸を伝い落ちた。
「ふう・・・」
ボトルをしまうと、他にやることがなくなって。
長い髪の毛を指先にからめながら、黒川は所在無げに部屋を見渡した。
「・・・よっし」
気合を入れるように、深呼吸をしてから。
黒川は、ペタペタと保坂の寝室に向かった。
ドアを開けて一歩、中に入る。
暗がりの中、手探りでライトのスイッチを探した。
カチリ―――。
ふうわりとした間接照明。
やさしい灯りに、シックなブラウン系で統一されたベッドルームが浮かび上がった。
その真ん中には、大きなベッド。
普通のベッドよりずっと背の低い、流行りのロータイプだ。
「うわー・・・」
黒川はそこで、立ちすくんだ。
ベッドルーム自体は、すっかり馴染みの光景だった。
飲み会で酔っ払っては保坂に介抱され、何度もあのベッドに寝かされた。
かいがいしく世話を焼いてもらえるのが、妙に嬉しくて。
保坂が一緒にいるときは、いつもたいてい飲みすぎる。
気分が良くて、つい甘えてしまうのだ。
―――だけど。
今はもう、状況が違った。



保坂への気持ちに気づいて、それを告げた。
告げてしまった。
黙っているつもりだったのに。
想いが溢れて、こぼれてしまった感じだった。
信じられないことだが。
・・・保坂を、誰にも、渡したくないと思った。
その独占欲が、どこから来ているのかに気づいて、愕然とした。
そんなバカな、と思う一方で。
どこかに、それが腑に落ちる自分がいたのは、否定できない。
何年も焦らされた、と保坂は言ったが。
黒川には、そんなつもりはなかった。
大切な友人、最高のライバル。
本音で話のできる同業者など、他にはいない。
誰よりも自分を理解し、ありのままの姿を見てくれる存在。
黒川の弱さも、狡さも、保坂はあっさりと受け入れる。
その心地よい関係を、失いたくなかったのは本当だ。
何も、変わってほしくなかった。
そのために、保坂の想いに封印をした。
保坂の焦燥をチリチリと肌に感じながら、見て見ぬふりをしてきた。
何故―――?
友人というスタンスを失いたくないのではなく。
今のまま、保坂にいちばん近しいところにいたかっただけなのだと。
保坂との関係が変化し、壊れるのが恐かっただけなのだと。
とうとう、気づいてしまった。
気づかされてしまった。
それが、たった数時間前のこと。
それからもう、何度キスをされたのだろう。
・・・もう、後には引けない。



黒川は、身体を震わせた。
保坂の獣のような瞳が、また脳裡にフラッシュバックする。
黒川を抱きたいと真顔で言う男。
もうずっと待っていた、と―――。
「信じられないな・・・」
右手をじっと、見つめる。
先刻ジーンズ越しに触れた、保坂の欲望。
ずっしりと硬い存在感に、恐怖すら感じた。
「・・・あんなの、俺にどうしろって言うんだよ」
黒川は思わずそう呟いて、天井を仰いだ。
それからもう一度、視線をベッドに戻す。
見慣れた部屋が、まったく違う意味を持って迫ってくるようだった。
「なんか、ヘビーだよなあ・・・」
髪をポリポリかいて、黒川は嘆息した。



「何やってんの?」
「どわぁ―――っ!!」
唐突に、後ろから声をかけられて。
黒川は勢いよく飛び上がった。
「ほ、保坂くん・・・!!」
ビクリと振り返った黒川の声は裏返って、悲鳴のようだった。
「どうしたの、弓ちゃん」
わたわたと腰のタオルを巻きなおす黒川に、保坂が首をかしげた。
「大丈夫?」
「う、うん・・・」
胸を大きく上下させて、黒川はやっと顔を上げた。
「!!」
保坂の姿を見とめて、慌てたようにもう一度うつむく。
「・・・弓ちゃん?」
申しわけ程度に、小さなタオルを腰に巻いただけの保坂。
ほとんど素っ裸の長身の男が、目の前に立っていた。
扇情的な、大人の男の色気をまとって。
「そ、そんな格好で・・・!」
保坂が自宅でどんな姿でいようが、文句を言う筋合いはないのだが。
風呂場での想像を思い返して、黒川は赤面した。
「はい?」
腰にちょっと手をあてて、保坂が黒川を覗き込んだ。
その視線から逃げるように、黒川が顔を背けた。
くすり、と。
保坂がひそやかに笑った。
「やる気満々で、ベッドで待ってるのかと思ったら・・・」
一歩、保坂が近づく。
黒川が一歩、後ずさりする。
「保坂くん・・・?」
小さな声が戸惑いに揺れた。
「弓ちゃん」
もう一歩、保坂が近づいた。
「ねえ」
「保坂くん・・・」
躊躇したまなざしを投げかけながら。
黒川は今度は後退せず、じっと保坂を見上げた。
ほんの少しだけ、唇を戦慄かせて。
ゆらめくその視線を受け止めて、保坂が微笑した。
「好きだよ、弓ちゃん」
保坂の長い腕が、黒川の腰をゆっくり引き寄せた。
「大事にするから・・・」
黒川の濡れた髪に、そっと手を差し入れる。
それだけの仕草で、黒川の息が乱れて震えた。
「恐がらないで」
宥めるように、保坂の指が黒川のなめらかな背を伝う。
「ほさ・・・」
ざわめく肌に、誘われて―――。
保坂はねっとりと、黒川にくちづけた。





ましゅまろんどん
18 March 2006



今になって読み返すと、どうにも恥ずかしいですね(苦笑)。『春抱き』と違って、二人のキャラや言葉遣いの癖など把握できていないから、かもしれません。
2012年11月25日、サイト引越につき再掲載。