「・・・ひぁっ・・・んっんっ・・・」
岩城の濡れた唇から、甘い声がこぼれた。
秘めやかな夜の時間。
せつないあえぎ声。
狭い部屋には、蛍光灯が煌々とついたままだった。




はだけられたほの白い胸。
つん、とけなげに勃ち上がった乳首。
香藤はそれを丹念に舐め上げた。
舌先で転がし、押しつぶし、コリコリと甘噛みする。
「・・・やぁっ・・・」
息を弾ませて、岩城が抗議した。
「うん?」
「そこ、ばっ・・・かり・・・っ」
感じてしまう恥ずかしさ。
それに耐えられず、片腕で顔を覆いながら。
「だって、ここ」
「んんっ・・・」
「いじってもらうの好きでしょ?」
うふふ、と。
満足げに笑って、香藤が顔を上げた。
茶色の乱れ髪がはらりとこぼれ落ちた。
「ぁ・・・」
あえかなため息が、岩城の口をついて出た。
「かと・・・」
「・・・それとも、指のほうがいいのかな」
―――香藤の指。
ついさっきまで、ギターを爪弾いていた指先。
女の子たちからの山のようなプレゼントを受け取った、その指。
「ん・・・」
―――考えちゃだめだ。
岩城はぎゅっと目を閉じた。
「ふふ」
くすぐるように、香藤が岩城の乳首を摘み上げた。
「ひゃあっ・・・!?」
ファルセットの悲鳴を上げて、岩城の身体がシーツの上で跳ねた。
「ホント、すっごい敏感だよね」
したたるように甘い囁き。
香藤はうれしそうに、じっと岩城を見つめた。
「可愛いよ、岩城さん」
器用な指が官能を駆り立てるように動く。
「はん・・・っ」
過敏なそこを擦り上げられ、揉み込まれる。
執拗に、存分に弄ばれて。
「・・・あんっ・・・か、香藤・・・っ」
声が甘くかすれた。
狭いシングルベッドの上で、岩城は苦しげな息を吐いた。




岩城の部屋以外の場所で抱かれるのは、これが始めてだった。
見知らぬベッド。
どこか消えない違和感。
目を開けるたびに、見慣れない光景が視界に入った。
―――香藤の部屋。
嗅ぎ慣れない室内のにおい。
どうしてもそれが気になってしまう。
「こっ・・・声が漏れっ・・・んふっ・・・」
裸の胸を晒して、岩城は甘い悲鳴を上げた。
「や・・・んんっ」
執拗な愛撫から逃れようと、懸命に腰を捩った。
そのくせ、香藤のぬくもりを探して手を伸ばす。
首筋に、肩に。
岩城の指がすがろうとしては、つるりとすべり落ちた。
香藤のぬくもりを欲しがる岩城。
香藤の愛撫から逃げようとする岩城。
矛盾する心情が、そのまま態度に出ているようだった。
「・・・まったく、もう・・・!」
いたいけな媚態に、香藤は微苦笑した。
「んく・・・っ」
「これで煽ってないなんて、言わないで欲しいよ―――」
香藤はぼそりと呟いて、岩城のジーンズに手をかけた。
馴れた手つきで、恋人の服を剥いでいく。
「ほら」
「・・・んっ・・・」
「シャツも脱ごうね、岩城さん」
そう促されて、岩城は従順に腕を差し出した。
恋人の要求に抗う術を知らないので、否応もない。
絡まったコットンが、しゅるしゅると小さな音を立てた。
「かと・・・」
岩城は熱い息を弾ませながら、香藤をじっと見上げた。
潤んだ切れ長の瞳が、もの言いたげに光る。
「なに?」
「・・・いや」
「寒い?」
「・・・ううん」
しばらくの沈黙のあと、岩城は緩慢に首を振った。
力の入らないぐったりした肢体。
火照りはじめた肌。
「・・・ん・・・」
何かを言いあぐねて、諦めたように香藤に身体を預ける。
「ふう・・・」
ふと漏れたため息に、香藤は眉をひそめた。
「・・・いやならやめるよ?」
ほんのり染まった肌を撫でさすりながら。
そっと、香藤が聞いた。
どこか屈託のありそうな恋人を、内心いぶかしみながら。
「岩城さん、俺―――」
躊躇う香藤の唇を、岩城はぎこちないキスで塞いだ。
「―――んっ」
「・・・いい・・・」
岩城からしかけるキスは珍しい。
「岩城さん・・・?」
濡れてきらめく黒曜石の瞳。
なにを訴えようとしているのか、香藤には読めなかった。
熱い肌を擦りつけて、岩城が息を乱す。
「いいんだ」
「でも・・・」
すでに勃ち上がったペニスが、二人の身体に挟まれて震えていた。
「いいから、香藤・・・」
かすれた声が、愛撫の続きを促す。
そこに、懇願にも似た響きを感じ取って。
香藤は黙って、岩城をかき抱いた。




+++++




その晩の香藤は、恋人を優しく抱いた。
ゆっくりと時間をかけて、岩城の身体を隅々まで愛した。
ことさら丁寧に、慎重に。
言葉を惜しまず、岩城の心を慮りながら。
「いい、岩城さん?」
「かと・・・」
もともと香藤は、恋人を乱暴に抱くことなどない。
それでもいつにも増して手間をかけたのは、様子のおかしい岩城を抱くことに、多少なりともためらいがあったのか。
「大丈夫・・・?」
「・・・うん・・・」
宥めるような、とろりと穏やかなセックスに終始した。
「ふぅっ・・・んあっ・・・んんっ」
慈しむような愛撫のもどかしさに、岩城は悶えた。
何度も高みに押し上げられ、昂ぶる身体を持て余した。
「・・・香藤ッ・・・!」
狭いベッドの上で貪欲に香藤を欲し、岩城は乱れた。




+++++




「・・・こっ・・・ここで・・・っ」
「んん?」
「抱くのは・・・俺で、な、何人目・・・っ?」
「・・・!?」
虚を突かれて、香藤は愛撫の手を止めた。




「岩城さん、なに言って・・・」
思いがけない言葉に、香藤は息を呑んだ。
「・・・おまえ、の・・・ベッドで―――」
息も絶え絶えになりながら、岩城は恋人を見上げた。
つややかな黒い瞳から、つう、と涙がこぼれた。
「かと・・・」
ひと筋、ふた筋。
熱い涙が紅潮した頬を流れていく。
瞬きもせずに、岩城は泣いていた。
夜明け前の、しんと音のない世界。
唐突に、まるで堰(せき)が切れたように、岩城は涙をこぼした。
静かに、身じろぎもせずに。




「岩城さん・・・!!」
抱え上げていた岩城の太腿を、どさりと下ろして。
香藤は慌てて、恋人をかき抱いた。
「岩城さん!」
「・・・かとぉっ・・・」
ひっく、と。
岩城は香藤の腕の中でしゃくりあげた。
頑是ない子供のようにほろほろと涙を零し、顔をくしゃくしゃにして。
「泣かないで、岩城さん」
香藤は、すがりつく恋人の背中を撫でた。
「泣かないで」
何度もなんども、そう繰り返す。
「俺はここにいるから、ね?」
「香藤・・・」
「好きだよ、岩城さん」
岩城は全身を震わせていた。
香藤の抱擁の中で、ぎこちなく恋人を抱き返す。
「・・・かとぉ」
「俺が好きなのは、岩城さんだけだよ」
「んん・・・」
耳まで真っ赤に染めて、岩城は香藤の胸に顔をうずめた。
「お願いだから、泣かないで―――」
「ごめ・・・っ」
いやいやをするように、何度も首を振る。
「・・・涙、とまら・・・っ」
なぜ突然悲しくなったのか、自分でもわからないのだろう。
困ったように恋人を見上げ、岩城はただ嗚咽した。




岩城の心に芽生えた、初めての独占欲。
慣れない感情に振り回され、押し流されて、岩城は途方に暮れていた。
―――わかっているのに。
香藤の心を疑ったことはない。
香藤が岩城をどれほど大事にしてくれるか、知っているのに。
それでも、疎外感という名の悲しみは消えなかった。
心についた見えない傷が、じくじくと痛んだ。
岩城と知りあう前の香藤の人生。
それを知らない自分。
それを知っている香藤の友人たち。
香藤の恋人だった女性たち。
彼らだけが共有していた時間。
―――わかっているのに。
知らないことが、もどかしい。
あたりまえのことなのに、悲しい。
嫉妬。
独占欲。
押し殺そうとすればするほど、それは執拗に頭を擡げた。
胸の最奥に巣食って、ひたひたと岩城を内部から侵蝕した。
―――香藤を失いたくない。
こんなに好きなのに。
彼の気持ちを、信じているはずなのに。
そう思う端から、焦燥と不安に身を灼かれた。
―――理屈じゃないんだ・・・。
理性でコントロールできない生々しい感情。
無様な葛藤に、自分でも呆れながら―――。




「・・・本当に、それ、知りたいのかな」
岩城を抱き寄せ、やさしく頭髪を撫でつけながら。
独り言のように香藤が呟いた。
「え・・・?」
恋人の胸の中で、岩城はぐっと嗚咽を堪えた。
「香藤・・・」
「知らないほうが、いいこともあると思う」
香藤は嘆息して、慎重に言葉をつないだ。
「ねえ、岩城さん」
「うん?」
「隠したいわけじゃないけど―――」
そっと香藤は、岩城の頬を撫でた。
「俺、その質問には答えられないよ」
「・・・!」
手の甲で、ぐい、と顔を拭いながら。
岩城はおずおずと、泣き濡れた顔を上げた。
「香藤・・・」
「・・・ごめんね」
涙の痕がくっきり残る、桜色の頬。
赤く腫れぼったい目元。
香藤はそこに、そっと舌を這わせた。
「・・・なん・・・で?」
キスの感触に目を閉じながら、岩城が囁いた。
「だって、俺がなんて言っても、岩城さんを傷つけちゃうでしょ?」
岩城の濡れた瞳をまっすぐに見て、香藤がそう言った。
苦しげな表情だった。
「俺を?」
「言ったら、どんなに岩城さんが許してくれても・・・」
「うん・・・?」
「岩城さんの中には、残るもん」
「え・・・」
岩城はぼんやりと、悲しげに笑う香藤を見つめた。
「考えてみて」
香藤はゆっくりと言葉を続ける。
「今までつきあってた人が、ひとりだよって言っても、100人いたよって言っても。それが本当でもウソでも、岩城さんはやっぱり、悲しい思いをする―――んじゃないかな」
「・・・あ・・・」
「人数を知ったら、今度はさ」
「・・・」
「どんな人だったのか、気になっちゃうでしょ?」
香藤はひそやかに笑った。
それから、岩城の身体をいっそう抱きしめた。
宥めるように、しなやかな背中をゆっくりと撫でる。
「香藤・・・」
「忘れるなんて器用なこと、できない人だって知ってるよ」
「・・・うん」




目を瞑って、岩城は嘆息した。
―――わかっている。
そもそも過去に嫉妬するほうがおかしいのだ。
今さらどうしようもないことに不安を感じる自分が、情けないのだと思う。
かつて、香藤に愛された人間が存在する。
今の自分と同じように、抱かれた恋人たちが。
おそらくは、このベッドで。
―――それを確かめて、何になるというのか。
どうしようというのか。
特に考えていたわけではない。
これだけ魅力的な恋人なのだ。
それは、あたりまえのことなのに。
―――香藤の気持ちを、疑っているわけじゃないのに。
苦しいのは、自分のせいだ。
自分に自信がないから、揺れるのだ。
岩城は胸をあえがせながら、そっと恋人を見上げた。





藤乃めい
9 March 2008


2015年02月15日、サイト更新。
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